00/9/2〜9 スペイン。
00/9/2出発
00/9/3バルセロナ・パレンシア
00/9/4 バレンシア・アンダルシア・グラナダ
00/9/4 アルハンブラ宮殿 Alhambra Palace
00/9/5 グラナダ・ロンダ・セビリア
00/9/6 セビリア・コルドバ・ラ マンチャ・マドリッド
00/9/7 マドリッド・トレド
00/9/7 トレド Toledo
00/9/7 トレド大聖堂
00/9/8 マドリッド
00/9/9 帰国。
スペインにいってきました。
眩しい太陽の光と広々とした大地がありました。
しかし、けっして肥沃ではなく荒涼とした土地の印象を持ちました。
添乗員Fさんに連れられての50名の団体ツアーでした。
一緒に旅行いただいた皆様お世話様になりました。
良い思い出を作ることが出来ました。
ありがとうございました。
添乗員さんはさぞかしお疲れになったことと思います。
バスによる移動が多いツアーでした。
以下はバスが移動したルートと距離です。
ツアー中お世話になったバスは2階建てバスでした。
運転手さんには長い距離を頑張って運転していただきました。
運転手さんはひとりです。
ざっと計算して2000kmのバスの旅行でした。
以下の数値地図から見た、大体の距離ですが、
多分もう少し多いのではないかと思います。

9/3 330km
バルセロナ バレンシア観光Barcelona 70km Tarragona 180km Castello 80km Valencia
9/4 560km
アルハンブラ Valencia 170km Benidorm 30km Alacant 90km 
Murcia 80km PuuertoLumbreras 190km山側ルート Granada
9/5 370km
ロンダ観光 セビリア市内観光 Granada 120km Malaga 70km Costa del sol海岸 
Marbella 50km  Ronda 130km Sevilla
9/6 550km
コルドバ ラ・マンチャ地方 Sevilla 140km Cordoba 230km Puerto Lapice 30km 
Consuegra 150km Madrid
9/7 140km
マドリード市内観光 トレド半日観光 Madrid 70km Toredo 70km Madrid
9/8 マドリード
9/9 移動
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スペイン Spain
ヨーロッパ西南端のイベリア半島にある。
ポルトガルとフランスに接している。
正式名称はエスパーニャ王国。
宗教は、ローマ・カトリックが主。
正式名称 エスパニャ王国Reino de Espana Kingdom of Spain。
面積 50万5922km2
(バレアレス,カナリア諸島,セウタ,メリリャなどを含む)。
日本の約1.3倍。
グラナタ。 アルハンブラ宮殿。 天人花のバティオとコマーレスの塔。
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スペインについて
人口 3,932万人(1997)。 
首都
 マドリードMadrid(287万人,1995)。
住民 カスティリャ人,ガリシア人,アンダルシア人,カタルニャ人,バスク人。 
宗教 
カトリック。
言語 スペイン語(公用語)72%,カタルニャ語16%,ガリシア語8%,バスク語2%など。 
通貨 ペセタ Peseta。pts。
■自然・住民
国土の大部分は標高600〜700mの高原。
北部にピレネー,南部にシエラ・ネバダなどの山脈が走る。
最高点はシエラ・ネバダのムーラセーン山(3482m)。
北西部は西岸気候,東岸・南岸は地中海式気候,内陸部は大陸性気候。
■経済・産業 
農業が主。主要農産物は小麦,オリーブ,オレンジ,ブドウ,ジャガイモ,テンサイ。
乾燥した土地が多く,灌漑が進んでいるが,生産性は低い。
ブドウ酒の産で知られ,羊の飼育が盛ん。
鉄,石炭,銅,水銀,カリ塩などの鉱産に恵まれる。
観光収入が重要な財源の一つになっている。
1986年EC(現EU)に加盟,
1999年ユーロ圏に参加した。
■歴史 
BC10C頃;フェニキア人が南スペインに侵入し、現在のカディスを建設。
BC6C;ギリシャ人がアンプリアスを建設。
BC3C;カルタゴ人が植民地を築き、ローマ支配時代となる。
5C;ゲルマン民族が侵入し、トレドを首都として西ゴート王国を築く。
6−8世紀;西ゴート王国が建設される。
イスラム教徒の支配化となる。
その後長らくイスラム教徒の支配下となる。
バレンシアからグラナダへの途中 オリーブの木がある。 
グラナダの近く。

その後、北部スペインのキリスト教諸王国とイスラム教徒の争いが起きる。
イスラム教徒とキリスト教徒の争いは、
1492年のグラナダ攻略まで770年間続く。
これを「国土回復戦争」(レコンキスタ)という。
大勢としてはキリスト教徒の諸王国が優勢になり、
イスラムの群小の王国を次々に征服する。
1230年に始まるグラナダ王国は、
イベリア半島での最後のイスラム教徒の王国。
キリスト教徒に支配された多くの有能なモーロ人が、
グラナダ王国に逃れた。
農業や他の産業を発展させ、
イスラム系の学問や芸術を発展させた。
その1つがアルハンブラ宮殿。
そのグラナダも1492年に滅亡する。
キリスト教徒の側から見れば、
1492年をもって再征服は完了した
その時スペインには
アラゴン・カスティーヤ・ナバラ・ポルトガルの4つの王国があった。
1512年;フェルナンド王が、
ポルトガルを除くイベリア半島全域を統合し、
エスパーニャ(スペイン)になる。
ラ・マンチャ地方 コクスェグラの古城


フェリペ2世の治世(1556〜98年)に新大陸植民地の経営が進展。
スペインはヨーロッパで肩を並べる者のいない強国となる。
1700年;カルロス2世が跡取りを残さずに亡くなる。
フランスのルイ14世の孫で
スペイン王家の血を引くフィリップが遺言により王位に就いた。
これがブルボン家の最初のスペイン王フェリペ5世。
列国は異議を唱え、
ヨーロッパの殆どの国を巻き込むスペイン継承戦争に発展。
ルイ14世から「将来に渡りフランスとスペインは合併しない」
という約束を取り付ける。
戦争を終結させてブルボン家のスペイン王位を認めた。
18世紀末アメリカ植民地の独立により国勢は衰退する。
トレド大聖堂

19世紀初め;スペイン独立戦争に勝って独立を守る。
以後は内乱が頻発,政治不安が続く。
20世紀前半;スペイン内乱後フランコの独裁政権となる。
1969年;1939年以来国家元首兼首相の座にあって
独裁政治を行ってきたフランコは,
国家元首の後継者として
ブルボン家のフアン・カルロス王子を指名。
1973年;フランコ首相を退任。 
1975年;フランコの死去とともにスペインは民主体制への道を歩む。
1977年;41年ぶりの総選挙が行われた。 
1978年末;新憲法草案が国民投票で承認され
1979年初め発効。
バスクでは〈バスク祖国と自由〉が活動しており,
完全独立を標榜するテロが続いてきた。
(マイペディア99(C)株式会社日立デジタル平凡社参照) 
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■スペイン豆知識 
ツアー中に得た情報です。
スペイン人の現地ガイドさん コルトバ メスキータ

スペイン、ポルトガル、ギリシャ、イタリアでは
現地のガイドさんがいないとまずいらしいんです。
現地ガイドさんがいないと、見学が許可されないらしいのです。
団体ツアーだけかもしれませんが・・・?
今回のツアーでは、日本人ガイドさんに説明いただきました。
しかし、日本人ガイドさん以外に、
その土地のスペインのガイドさんが同行してくれ
一緒にまわってくれました。
雇用確保策のひとつなのかもしれません。
●ひとまかせにしない
荷物はひとまかせにしてはいけません。
バスに積みこむときは必ず自分の荷物を確認をする事が大事です。
今回のツアー人数では、特に必要を感じました。
●免税
税関を税金をかけられずに通過できる量について。
一人の場合です。
ワインは3本まで。
タバコは、外国製であれば1カートン(3カートンかもしれない?)。
日本製であれば1カートンまで。
香水は、2オンスまで。オーデコロンは2オンスまで。
その他、持ち込み品の合計金額は、20万円まで。
1点1万以上又は同品類の計で計算する。
肉、ハム、ソーセージ、果物の日本持ち込みダメです。
●オリーブ。
オリーブは1年おきに収穫されます。
毎年は収穫しないようです。
スペインのオリーブ生産量は世界一?
●郷土料理
「オリーブ」 「アホといわれるニンニク料理」が中心だそうです。
北部地方は、スープ中心の料理です。中部地方は焼いた料理が中心です。
南部地方は、揚げた料理が中心です。
オリーブ、ニンニク、うなぎの稚魚が有名。うなぎの稚魚は土鍋で食べます。
最近では,回転寿司が、マドリッドで増えているそうです。
マドリッドでは、出前も増えています。
スペインのデザートは、少し(かなり?)甘いようです。
スペインでは、料理の中に砂糖を使いません。
デザートで砂糖を補うわけです。スペインの人は量を食べるようです。
また、スペイン料理は、食材が豊富です。
●両替はレートを確認すべし
1.678と1.21の失敗。ホテルで両替をしました。
rateを確認しないで両替したのが失敗でした。
空港で両替したときのrateと、余りに差がありすぎました。
1.678-1.21=0.468も差がありました。
20,000円の両替で、0.468*20,000=9,360ptsも差がありました。
この両替レートの差はどこからくるのでしょう。
20,000の両替にしたのがせめてもの救いでした。
9,360*0.6=5,500円位の差。なんかだまされたような気もしました。
気をつけなくてはいけません。
高い授業料だった。
両替は、両替レートを確認したあとで!!
●遺産の保護
古い街並みの外観を保護するために、色々と約束事があるそうです。
外には洗濯物を干してはいけない。自動販売機が少ない。
外壁を壊すことは勝手に出来ない等々、厳しい規則があるようです。
日本は、明治維新以降そのようなものはどこかにいってしまったようです。
寂しいような気がします。
●ヨーロッパの小国
ヨーロッパには小さい国がいくつかあります。
バチカン帝国 0.44km2面積 1000人くらいの聖職者がいます。ローマ法王がおられます。
サンマリノ共和国 人口3万人。
リスティンシュタイン公国 面積 160km2。
モナコ公国 面積 1.49km2。
アンドラ公国 面積 東京都の1/4位。
ルクサンブルク大公国 面積 神奈川県と同じ位etc・・・・・。
●ヨーロッパのワイン

ポルトガルは、ポートワイン。
仏は、赤ワイン。
スイス ?。
イタリア ?。
ドイツは白ワイン ライン川がブドウの最北端だそうです。スパークリングワイン。シェリー酒。
ツアーでは「サングリア」がおいしかった。
●BARバル
スペインでは、BARはレストランの意味です。
お酒を飲む飲み屋さんとは違うようです。
●大聖堂のマナー
大聖堂へ入るのに、ショートパンツ、タンクトップなどの肌の露出はだめです。
男性は大聖堂内で帽子をかぶってはいけません。
女性は帽子をかぶっても、おしゃれの一部とみなされるため大丈夫です。
●有名品
象牙細工、金細工他いろいろとあります。

金細工

ジェアドロ 磁器の猫とねずみ

ジェアドロは、磁器の人形のことです。
スペインでは有名なものらしいです。
傘とか花の細かいデザインのあるものは高いようです。
安いもの(写真の猫)をこどものお土産にと思い買ってみました。
説明書の本とか保証書とか一緒にもらいました。
こどもはあまり気に入ってくれなかったみたいです。
●歴史
イスラム、アラビア王朝がスペインに移りました。
ヨーロッパには、日本とは異なり、国境のための海がありません。
「略奪の繰り返し」の歴史です。
戦争とペストがヨーロッパでは恐れられていました。
イタリアとスペインは言葉が似ています。
ゲルマン民族の大移動。放牧民族、西ゴート族・・・・。
国土を奪い返したりとられたりの繰り返しです。
セビリアのグラナダは、無血開城しました。
イスラム教とキリスト教の争いが、長い間続いた歴史があります。
●イスラム
アッラーを絶対唯一の神とする一神教で,
コーランを聖典としています。
教義は,アッラー,天使,コーラン,予言者ムハンマド,
来世,予定の六信を中心としています。
信者の生活はムハンマドへの信仰告白。
1日5回のメッカ礼拝。
ラマダーン月の断食,
喜捨,メッカへの巡礼があります。
コーランによる法律の遵守が義務づけられています。
イスラム教では、偶像を崇拝しません。
4人まで妻を持つことが出来ます。
●イサベル女王はコロンブスのスポンサー
コロンブスが新大陸を発見してから、
1992年は、500年目の年です。
グラナダには、親書を渡したところがあります。
●市壁(城壁)に守られた街
市壁。
日の出とともに門を開け、
日の入りとともに門を閉めた。
市壁の都会は集合住宅です。
市壁の中では、スペースの制約があり、
個人の住宅は建てることが出来ません。
集合住宅になります。
トレド、セビリアの街は、昔の街、そのもので残っています。
●最近
最近、万博がセビリアでありました。
1992年には、7/25から20日間バルセロナでオリンピックが開催されました。
オリンピック以降、治安が悪くなってきたようです。
国外から窃盗団がきているというはなしもあります。
治安悪いので注意が必要です。
●シェンゲン協定 
国境での検問廃止をめざして,
ドイツ,フランス,オランダ,ベルギー,ルクセンブルクの5ヵ国によって
1990年に調印された協定。
名称は,この5国の国境に近い
ルクセンブルクの小村シェンゲンSchengenにちなんでいます。
その後イタリア,スペイン,ポルトガル,ギリシア,オーストラリアが加わって,
1995年3月以降実施されています。
EU(ヨーロッパ連合)の市場統合にともなって掲げられた
〈人の移動の自由〉の試みの一環です。
同時に麻薬取締りの強化,
テロ対策など治安・警察の協力体制も整備されることになりました。
航空機を国内便扱いにすることや,
通信機器・システムの共通化などが行われています。
(マイペディア99(C)株式会社日立デジタル平凡社参照)
チップ
25pts;トイレ、タクシーのチップ。100pts;枕チップ、ポーターチップ
交通
車は日本と逆で右側通行。信号は黄色はなく、赤と青なので注意。・・・・バルセロナのはなしか??
マドリッドなどでは黄色もあったような気もしたのですが・・・・・???
●日曜日
カトリックの関係で日曜日には働かず教会に行きます。
お店は休みとなります。
日曜日には街中の道路は大変空いています。
●スペインについて
面積は、日本の1.3倍です。
平均標高は650mです。
3つに分かれます。
中部は赤土です。
人口は4000万人です。
首都は、マドリッドで人口は290万人です。
最近では,都市への人口流動が激しくなってきています。
●バスク語。
バスク人は、独立しようとするうごきもあります。
711年。8-13世紀 コルドバに都を移しています。
1286年には、セビリアに都を移しています。
600のモスクがあります。
グラナダにあるアルハンブラは
イスラム教最後の砦となったところです。
現在は、基本的な考えとして、
スペインはカトリックの社会となっています。
●言葉
おはよう こんにちわ;オーラ
グラシアス;ありがとう
コンハボウル;お願いします。
数字の1; ウノ  
2; ドス  
3; トレス
●土地と天候
アンダルシアはオリーブ畑が続きます。
ラ・マンチャは、赤土が沢山占めています。
今は無残なひまわりが続いています。
6〜7月はひまわりが満開になります。
ここ数年、異常気象が続いています。
ヨーロッパでは、春先に雨が続きました。
添乗員さんは、ローデンブルグではマイナス15度を経験したことがあります。
エジプトでは40度を超えていたそうです。
オリーブオイルは、
お腹を壊すことがあるので注意が必要です。
●世界の3大名画とは
1.トレドにある 《オルガス伯爵の埋葬》 グレコの絵。
2.プラド美術館にある  《宮廷の侍女たち》 ベラスケスの絵
3.オランダ レンブラントの絵
フランスのルーブル美術館にあるモナリザは、
4番目にはいるそうです。
宮廷の侍女たち

●マドリッドのタクシー
マドリッドでは、流しのタクシーが多いです。
基本料金は190pts。
5pstづつカウントがあがっていきます。
カウントの上がりは早く、次ぎから次ぎへと上がっていきます。
しかし、結構な距離を乗っても1500pts。
日本円で900円くらいです。
日本だと3〜5,000円くらいかかると思います。
空車のタクシーが次ぎから次ぎへとやってきます。
マドリッドの移動にタクシーは便利です。
それに歩くよりも安全だそうです。
●スペインの感想
スペインの国というのは陽気でお祭りの好きな人ばかりと思っていました。
しかし、広い荒涼としていて、
やせた土地が少なくないようです。
(同行の方が言っておられました)
陽気でお祭りの好きな人が多いのは、
自然の厳しさに対する反動なのかもしれない・・・
などとと考えてしまいました。
本当・・・・???
●スペインの建築様式
ヨーロッパの建築様式を時代順に並べると、
ヨーロッパ技術史、精神史になるといわれます。
15世紀末までイスラム教徒がいたので、
イスラム教とキリスト教の混合した建築様式が見られます。


10〜12世紀ロマネスク美術 
ゴシック美術に先行する西欧のキリスト教美術
フランス,北イタリアに始まり,西欧各地に波及。
ローマ美術の伝統を継ぎながら,
ビザンティン美術の影響を受けて独自の様式を発展させた。
教会堂建築が中心。
一般に水平感を強調した窓の小さい重厚な建築。
当時の技術では、
建物を高くするには壁を積み上げるしかなかった。
壁か厚く、窓が小さい。
モサラベ様式
中世初期,イスラム統治下のスペインで行われたキリスト教美術。
モサラとはキリスト教徒でありながら文化的にイスラム化したスペイン人のこと。
イスラム美術と伝統的スペイン美術の融合したものであるが,
建築,写本絵画,金工品,象牙彫など
全体に東方的装飾性が濃い。

13〜14世紀 ゴシック美術
中世ヨーロッパでロマネスク美術に次いで興ったキリスト教美術様式

北仏を中心に英・独・イタリアをはじめ全ヨーロッパで15世紀過ぎまで栄えた。
仏・英では王権の確立と相まって宮廷を中心とする美術活動が活発化した。
ゴシック美術の中心となったのは建築で,
尖頭(せんとう)アーチ等の採用により仰高性が強調された。
天に上昇しようとする願いが高い柱で建物を支えることを考えた。
窓を大きく開けることが出来なかったのでステンド・グラスがはめられた。
窓の高大化に伴うステンド・グラスの隆盛と相まって宗教的精神性が表出された。
ムデハル様式
キリスト教徒の勢力下にいた回教徒のこと。
キリスト教建築とイスラム建築が融合したスペイン独自の様式
「残留者」、キリスト教徒に再征服された後のイベリア半島。
自分達の信仰・法習慣を維持しながら、
被支配者として残留を許可されたイスラム教徒の意味。
1085年のトレド陥落以後のレコンキスタ(国土回復戦争)の進展で、
ムデハルの数が増加。
スペインに同化し、
イスラムの優れた文化・学問・技術を中世スペイン、ヨーロッパ諸国に伝達した。
多くはコルドバ・セビリア・トレド等の大都市に住んだ。
建築・革細工・金属細工・彫刻・織物・文筆に従事した。
イスラム文化と中世スペイン・キリスト教文化の融合をなした。
当時作られた城は、優れたイスラムの技術を取り入れたムデハル形式と呼ばれる。
15世紀 ルネサンス Renaissance
イタリアをはじめとするヨーロッパに興った広範な文化革新をいう。
元来,〈再生〉を意味するフランス語。
宗教改革や地理上の発見,
近代科学の誕生といったエポックとともに,
人文主義,世俗主義,合理主義,個人主義などの指標を
積極的な意味で用いた。
イサベリーノ様式
ゴシック様式がムデハル化したもの。
プラテレスコ様式
トレド大聖堂 大礼拝堂(ガイドブックより)


壁面装飾を石に浮き彫りした装飾。
石造レリーフには、16世紀のスペインで流行した。
銀細工のように華麗で繊細な彫刻「プラテレスコ様式」が施されている。
プラテレスコとは元々金銀細工師 PLATEROから派生した言葉。
細工ものの様な緻密な浮彫による装飾が特徴。
16〜17世紀 バロック様式
一般には古典的な調和と均整を理想とする静的なルネサンス美術に対し,動的で劇的迫力にみちた様式を表す。
ルイ14世の時代に大宮殿の形式を備えた。
内部装飾は代表的バロック様式の壮麗なもので,特に〈鏡の間〉は有名。
大庭園のほか,グラン・トリアノン,プティ・トリアノン,などがある。
バロックおよびロココ美術の精華が集められている。
ベルサイユ宮殿内部

天井画や壁面を縁取る金メッキのスタッコ装飾や鏡の反射が,右側窓からの採光により豪華壮大な印象を与える。
《鏡の間》(ガイドブックより)

チュリゲラ様式
装飾過剰で自信にあふれたスペイン独特のバロック様式。
濃密な装飾に特徴がある。
チュリゲラ様式は17C末に建築家、彫刻家を輩出したチュリゲラ家が生み出したもの。
広くはバロック様式と呼ばれるもの。
ロココ美術 rococo
1730年―1770年ころのヨーロッパ,
特に南ドイツやルイ15世治下のフランスで流行した美術様式。
荘重で力感に富む前代のバロック様式に対し,
貴族階級の享楽的な生活態度を反映して軽快優美な装飾的傾向を示す。
18世紀  新古典主義 
美術において1760年
ころから19世紀初頭にかけての様式をさす。
建築同様古代への強い関心と,
ロココの装飾趣味への反動から,
古代彫刻の研究に基づいた厳しく明晰な様式が好まれた。
ポンペイ遺跡などの考古学的発見と啓蒙思想を背景として,
古典古代とりわけ古代ギリシアを規範とした作品が生み出された。
19世紀  アンピール様式
19世紀初頭のフランスで流行した室内装飾,工芸,服飾の様式。
ギリシア・ローマ時代に範を求める新古典主義。
ナポレオン帝政時代に最も盛んであったため
アンピールempire(帝国)の名で呼ばれる。
パリの凱旋門 古代ローマの凱旋門にならい,高さ50m,幅45m。


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■スペインの治安。
ツアー中、添乗員さん、現地ガイドさんから
何度となく「スペイン、特にマドリッドは治安が悪いので気をつけようにいわれた。
また、最近は地方のほうの治安も悪くなってきている」
と話しがありました。
バルセロナオリンピック以降悪くなり、
「強盗団」がいるとのことです。
マドリッドで歩いている人を見ると
バッグは体の前にして歩いている人がほとんどでした。
マドリッド市内を歩くときは、何も持たない。
金は2,000ptsを左のポケットに、
3,000ptsを右のポケットに入れて歩くのが良いと
現地ガイドさんはいっていました。
スペイ広場を団体で少しだけ見学するときなど、
バスの中に荷物を置き、
カメラだけを持ちスペイン広場を見学するようにいわれました。
・・・実際にマドリッドの市内にタクシーで行ってみると
全ての人が親切な人に見えたのですが・・・。
以下は添乗員さんから頂いた、
在スペイン日本国大使館からの盗難防止呼びかけのパンフレットの内容です。
■スペインご訪問の皆様へ
盗難防止へのご注意(旅券等貴重品について)
平成11年8月 在スペイン日本国大使館
●1 スペインの都市部では日本人旅行者の盗難被害が多発。
マドリッドでは、旅券盗難だけでも相当な数の被害が発生。
旅行中に旅券(航空券、クレジットカード等についても)を失うと、
それらの再発給手続のために数日を要する。
滞在中または出発に際しいろいろの不都合をきたす。
●2.
(1)マドリッドでの被害は、以下で多く発生。
スペイン広場、
コロン広場(地下バスターミナル)、
グランビア通り、
ブエルタ・デル,ソノレ、マジョール広場、
レティロ公園、
王宮、
美術館、
アトーチャ駅や地下鉄駅それらの周辺の路上、
ホテル、
土産物店等の観光客が立ち寄る場所近くの街頭
(2)犯行の形態
「強奪」と「ひったくり」がほとんど。
最近は暴力をふるっての強盗・強奪が特に増えている。
通常は4〜6人の若者の集団が路上でいきなり背後から襲いかかる。
羽交い締め・首を絞めるなどして所持品を奪い取る。
きわめて凶暴な手口。
もし襲われた場合、絶対に抵抗したり追いかけたりしない。
犯人たちは非常に暴力的であり、ナイフなどの刃物もかくし持っている。
バッグをたすき掛けにしたり、
コートやジャケットの内側に提げておくと、
無理に路上に引き倒されたる。
肩ひもや腰ひもをナイフで切られる時に大きな怪我をする。
(3)旅行者の被害の大半が貴重品を入れたバッグなどを盗られる。
バッグを奪われることにより、
旅券、航空券、カード類、現金などの旅行必需品を一度に失う。
外出するときは出来るだけバッグ、貴重品も持ち歩かない。
ひと目で旅行者とわかる服装や、
警戒心のない気をゆるめた態度での街歩きのときは狙われやすい。
なるべくさっさと歩く。
(4)外国人は旅券またはこれに代わるものの所持が義務づけられている。
日本人旅行者は旅券のコピーにより取りあえずの身分証明ができるとの当国警察の了解がある。
旅券オリジナルの携帯が特に必要でないときは
これを宿泊先に保管する。
コピー(できればカラー)を持って外出する。
犯人らの狙いは第一に旅券です。 
日本旅券は高額で闇取引きされている。
(5)強盗達は、人通りが少ない場所で早朝・深夜に出没するぱかりでなく、
昼間の繁華街の人混みの中でも大胆に犯行に及ぶ。
ホテルの出入りの際も要注意。
一人または少人数で街に出るときは特に警戒を怠らない。
怪我をしないよう、身体の安全を第一と考えることが大切。
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イベリア半島の歩み
ヒスパニア
前153年 ヌマティアの戦い ローマ軍がケルト人の都市を攻撃
100-0年、  ローマ共和国
0-400年、 ローマ帝国
415-711年、西ゴート王国
756-1031年、後ウマイヤ朝(西カリフ国) (首都コルトバ)
アストゥリアス王国
キリスト教徒の国土回復運動(〜1492)
1000-1100年、 後ウマイヤ朝 
1035-1479年、アラゴン王国
1056-1147年、ムラービト朝 レオン王国 カスティリャ王国 ナヴァラ王国
 
1100-1200年、 ムラービト朝 
1130-1269年、ムワッヒド朝 レオン王国 カスティリャ王国 ナヴァラ王国 
1143-1910年、ポルトガル王国
1200-1300
1230-1492年、ナスル朝 (首都グラナダ)
1130-1269年、ムワッヒド朝 レオン・カスティリャ王国 ヴァラ王国 ポルトガル アラゴン
1300-1400 年、
1333年、アルハンブラ宮殿建設 カスティリャ王国 アラゴン王国 ポルトガル王国  ナスル朝
1400-1500年、 大航海時代へ
1143-1931年、ポルトガル王国
1479-1931年、スペイン王国
1571年、レパント海戦
1588年、スペイン無敵艦隊、イギリスに敗れ制海権失う
カスティリャ王国 アラゴン王国 ポルトガル王国  ナスル朝
1600-1900年、
1900-2000年、 ポルトガル共和国 スペイン
1931年、 スペイン革命
1939-75年、 フランコ独裁
参考文献;◆マイペディア99(C)株式会社日立デジタル平凡社 ◆スペイン 昭文社  
◆http://www.jtb.co.jp/med/index.html  ◆Hitachi Digital Heibonsha世界大百科事典参照