00/9/3バルセロナ・パレンシア。
ルセロナ・パレンシアバルセロナ・パレンシア
パリで入国審査
フランス、パリのシャルル・ドゴール空港に
定刻 4:25に到着。
空港内は閑散としており人が少ない。
ほとんどいない。
外は暗い。
売店は、ほとんど閉じている。

成田からパリまで13時間30分ほどかかったことになる。
スペインに行くのに、入国審査はパリで行うとのこと。
添乗員さんからシェンゲン協定に入っている国間で
パスポートは不用となっていると説明があった。
パリからスペインへの扱いは、国内線扱いになる。
入国審査がパリであるから出国審査もパリになるらしい。
パリの空港では、
CAFE coupon star wing(AF273/277)利用者に
「TJ'sカフェ」にてスナックドリンクサービスの無料券を頂いたが、
飛行機内で機内食を2回も食べた後で、
おなかが一杯になっていたのでぶらぶらと時間をつぶした。
空港内は閑散としており人が少ない。
ほとんどいない。
外は暗い。
売店はほとんど閉じている。
時間が早く当たり前といえば当たり前の話しである。
空港建物のデザインは、さすがパリ、
センスの良さがある。
感心させられる。
07:30 AIR FRANCE AF1048便Air busA321 AirFranceで
スペインのバルセロナに向かう。
パリ―バルセロナ間は、窓際の席になる。
飛行の途中で食事が出る。
先の飛行機で3時頃食事をして8:30位に又食事となる。
しかし、ほとんど食べてしまった。
これでは帰るまでに太ってしまう。
旅行中の食事のセーブ、アルコールのカットが必要。
スペインに到着
飛行機は、Barcelonaバルセロナに09:10頃到着する。
バルセロナ Barcelonaは、
スペイン北東部のカタルニャ自治州の州都。
地中海岸の港市。
バルセロナの空港で、
荷物が出てくるまでの時間を利用して両替してみる。
スペインのお金ペセタptsに0.6をかけたものが日本のお金になるようだ。
両替 30,000円→50,340PESETA(pts) (Rate10,000円/16,780pts)
バスはグラナダのバス

■カタルニャ  Cataluna
スペイン北東端の地方。
北はピレネー山脈,東から南は地中海。
小麦,ブドウの栽培,牧畜が盛ん。
織物,製紙,皮革,機械などの工業も行われる。
州都は、バルセロナ。
フェニキア,ギリシア,カルタゴの植民を経て,ローマ領。
8―10世紀はカロリング朝フランク王国のスペイン辺境領。
1137年アラゴンと合体して,地中海商業により発展。
住民はカタルニャ語を用い,
独自の文化をもつ。

■着後:バルセロナ観光
港町バルセロナで、
建築家アントニオ・ガウディの最高傑作といわれる、
聖家族教会やグエル公園を観光する。
今回の旅行は最初から最後まで2階建てバスでの旅行。
50名ツアーともなると2階建てバス、
席をざっと数えたら70名くらいは乗れるようでした。
旅行中ずっとお世話になった運転手さんの名前は忘れてしまいました。
ゴメンナサイ。
日本人ガイド Kさんと、スペイン人ガイドMさんがバスに乗られる。
バルセロナの市内観光半日のお付き合いとなる。
バルセロナはカタルニャ Cataluna地方にあり、
1992年のオリンピック開催地。
■バルセロナ Barcelona
スペイン北東部のカタルニャ自治州の州都,
地中海岸の港市。
同国第1の商工業都市。
航空機,機械,化学などの工業が盛ん。
古代ギリシアの植民市。
カルタゴ,ローマの支配下では港として繁栄。
718年イスラム軍に占領された。
9世紀初めキリスト教徒が奪回,フランク王国の支配下に入った。
9世紀末その影響を排除して,
以後バルセロナ伯国として独立。
12世紀半ばアラゴンと連合王国を形成した。
1992年のオリンピック開催地。
約163万7000人(1995)。

■モンジュイックの丘
最初に、オリンピックの会場となったモンジュイックの丘にいく。
モンジュイックはバルセロナの西にある小高い丘にあり、
地中海とバルセロナの市街地が一望できた。
大変に美しいといった感じではなかったが、まあ良かった。
丘全体が公園になっているようだった。
公園になったのは、1929年の万国博覧会の会場になったときからだそうだ。

●バスの中よりミラ邸 Casa Mila  
世界遺産 ガウディ作を見る。
1階はミラー氏の屋敷。
2回以上をアパートとした建物で有名らしい。
街の中にある建物。
何故世界遺産か?
そのようなものには見えなかった。
エジプトのピラミッド,中国の万里の長城等と比べると???となる。
現在もミラ邸の中では人が生活しているらしい。

■グエル公園 parc Guell 世界遺産
グエル公園は、バルセロナの小高い丘にある。
建築家アントニオ・ガウディの最高傑作のひとつといわれる。
グエル氏が開発しようとした分譲住宅地が公園になった。
60戸の分譲計画だったが、完成したのは2戸だったとのこと。
1戸は売れて、世界遺産になった今でも人が住んでいる。
1戸は売れなくガウディ自身で購入した。
今でも家が残っている。
跡地をグエル公園として、
1922年からバルセロナ市が管理しているらしい。
観光の名所として活躍しているようだ。
モザイクの彫刻やベンチが色鮮やかである。
街の景色も良い。
公園より街のほうを見る。
海が見え、美しい。
公園は高台にある。





公園内のベンチ。タイルの装飾が美しい。

■ガウディ 1852-1926  Antonio Gaudiy Cornet
スペインの建築家。
バルセロナで活躍。
自由奔放のデザイン。
今日その独自性が再評価されている。
代表作にサグラダ・ファミリア教会(1882年―),
グエル公園(1900年―1914年),
カサ・ミラ(1906年―1910年)などがある。
ガウディという人は
子供の時の心を大人になっても持ちつづけた人に違いない。
うらやましい限りである。
公園としてはすばらしいと思うが
住んでみようとすると大変なような気がする。
丘の上にあるため住むには移動が大変。
面白い、自由奔放なデザインのため住むにはちょっと疲れそう。
何となく60戸の分譲計画だったものが、
完成したのは2戸だったことが理解できる。
路上で扇子300ptsを買う。
扇子はバルセロナでお土産品のようだ。
旅行中いろいろな所で売っていた。
売店で、本1350ptsを買う。
時間が無くゆっくりと品定めをする時間はない。
グエル公園が、何故世界遺産に指定されるのかちょっと理解できない。
個人的には、それだけのものには思えない。
サグラダ・ファミリア Sagrada Familia教会 (聖家族教会)

スペインの建築家ガウディがバルセロナに残した未完成の教会堂建築。
聖家族に捧げる贖罪教会として,
ネオ・ゴシック様式により1882年に着工される。
ガウディはその死去の1926年まで設計施工にあたったといわれる。
しかし、完成されたのは地下祭室と東側の〈キリスト降誕のファサード〉のみ。
彼の残した構想に従って建設が続行されている。
完成すると95m×45mのラテン十字プラン上に
高さ170mの塔を含む19塔が林立する大聖堂となる。
現在も建設中であり、とても大きい。
寄付で作っていくのだから大変だと思う。
しかし、最近では寄付が集まり建設が進んでいると説明があったようだ。
小さな資料館もあり
1882年着工後の教会建設の様子が説明されていた。
いつ完成するかは不明だが、
完成したら大変立派なものになるのだろう。
立派に教会を作るのは多くの時間とお金と労力を必要とするようだ。
売店にて、本750pts/Tシャツ2,500ptsを買う。

■カテドラル Catedral 大聖堂
後期ゴシック様式の建物。
1198年に建て始められ、150年かかって1448年に完成した。
しかし、正面玄関のファーザードは、
1913年、500年も経って完成したとの事。
1408年に描かれた設計図通り作られたためデザインの不統一は感じられない。
カテドラルは、幅40m、奥行き93m、尖塔(せんとう)の高さは70mといわれる。

大聖堂前の広場に大道芸人がいた。
騎士100ptsツタンカーメン50ptsをあげた。
写真のポーズをとってくれた。

大聖堂前広場でフォークダンスに興じる人。
若い人達の輪などほかにいくつかフォークダンスの輪があった。
広場では、若い人からお年寄りまでフォークダンスに興じる人が多い。

■午後: バルセロナからバレンシアへバス移動

現地のガイドさん不在となり、バス内で説明してくれる人がいなくなった。
スペインでは昼の休みは長くとるとのこと。
会社で仕事をしている人でも、
昼には自宅に帰り家族で食事をとる。
■昼食はオムレツ。
昼はレストランにて食事。
スペイン風オムレツを食べる。
水 250pts。 
食事後レストラン入り口でバスがくるのを待つ。

■サービスエリア AutogrillEspana SA
サービスエリア内の様子。

手前テーブルの上にはドレッシングとしてオリーブ油がのっている。
黄色い色と無色の色のものが対になっておいてあり
食べる人がミックスするらしい。
ツアー中どこでもこのスタイルだった。
高速道路途中のサービスエリアAutogrillEspana SAでの買い物飲み物。
紅茶135pts/水1.5l 195pts/地図 880pts。
スペインでは紅茶はあまり飲まないのかもしれない。
紅茶をお願いしたら、紅茶のパックとお湯がでてきた。
コーヒーのほうがおいしいのを飲めるかもしれない。
トルコやインドで飲んだチャイを飲みたい。
■外の景色 
緑豊かな世界が広がっているわけではない。
荒れた世界でもない。
バレンシアに近づくにつれてオレンジの木が多くなってきた。
緑色の低い木が一面に続いている。
オレンジの畑 
バルセロナからバレンシアへバス移動。
バスから見ていると、良くは分からないが、緑の実が付いているようだ。
土地は全体的にはやせていないような気がする。
赤い色をした土が多い。

■着後
簡単なバレンシア観光
■カテドラル  Catedral 大聖堂
西ゴート時代のキリスト教会、
回教寺院の跡に立つバレンシアのカテドラル。
ジャウメ1世がバレンシアの支配権を奪った
30年後の1262年に建築が開始された。
南玄関、パウラの門Portada de Paulaが当時のロマネスク様式。
14,15世紀にゴシック様式ですべての建物が完成した。
聖母広場に面した北玄関の、
使徒の門Portada de los Apostolesは当時のまま残っている。

西ゴート時代のキリスト教会、回教寺院の跡に立つ
バレンシアのカテドラル。
一部改修中だったが、
外壁は昔のものをそのまま使用するような形で
改修工事がなされていた。
過去の財産、建物を大事にしていることが良く分かる。
外壁を残すことにより街並みの景観を維持し続けていることが理解できる。
大変良いことであると思う。
残念ながら日本には無い。
大聖堂の中には牧師様のお話しを聞く信者の方が多くいた。

夕食;本場バレンシアのパエリア paella
本場バレンシアのパエリアをホテルのレストランで食べる。
パエリェラと呼ばれる両手に取っ手のついた鉄の浅鍋で炊くらしい。
スペインの米の産地バレンシア地方起源の料理。
肉や魚介類,野菜を入れて,
サフランで風味をつけた炊き込みごはん。
パエリェラと呼ばれる両手に取っ手のついた鉄の浅鍋で炊いく。
鍋からレストランの人が皿に取り分けてくれた。
取り分けるところを見せてくれるのだが、
50名の団体、取り分けるのも大変のようであった。
皿にのったpaellaは、結構ベタベタした感じだった。
パサパサしたピラフとかチャーハンとは違う。
失敗したチャーハンのようなもの。
疲れており少し残した。

■バレンシア Valencia
スペイン東部,地中海岸の地方。
豊かな農業地帯で,米,果実,タバコなどを産する。
高地では羊,山羊の放牧も営まれている。
漁業,製塩も盛ん。
金属・繊維・化学工業なども盛ん。
1238年イスラムの支配から解放された。

■バレンシア泊まり
ホテル:EXPO
部屋No.1809号 AV.PIO XII-4,46009,VALENCIA,SPAIN
とっても長い、疲れた一日だった。
冷房は停めても大丈夫。寝やすかった。