23/11/26 那珂市本米崎 上宮寺報恩講御満座法要 本願寺派。
菅原昭正師・島根県大田市温泉津ゆのつ町西楽寺。
石見銀山・浅原才市の家がある。
●御讃題。  
たとえ私たちがその救いに背を向けようとも、
摂め取って捨てぬとどこまでも・どこまでもはたらき続ける仏がおられます。
その仏を阿弥陀如来と申し上げます。
親鸞聖人はおおせになりました。
十方微塵世界の念仏の衆生をみそなわし、
摂取して捨てざれば阿弥陀となずけたてまつると。
●先輩に言われた。秋の法話はあまり引っ張らないように。
春の法話は長引いてもよい。何故か。
秋はつるべ落とし。すぐに暗くなる。皆さま帰りが大変になる。
春は日が長い。昔から春の日と親戚の金持ちはくれそうでくれないという。
●報恩講の心持を梯實圓かけはしじつえん和尚は法話の中で、
親鸞聖人さま、ありがとうございました。
あなたのおかげで私もあなたと同じお念仏をいただいて、
同じ信心をいただいて、同じお浄土で今度は出遇わせていただきます、
とお礼を申しあげる法要が報恩講ですといっている。
●蓮如上人の御文章を拝聴するときの作法。
両手を膝に置いて頭を下げて拝聴する。
●法話の終わりに拍手をしない。
自分のはからい・自分の思いで評価する場合は拍手する。
自分のはからい・自分の思いでなく、、ああそうだったと、
ただ受け止めるだけのときは拍手をしない。
[法話は釈尊の真実の言葉・ただ受け止めるだけ]
お経はすべて如是我聞または我聞如是からはじまる。
私は釈尊のお話をこう聞かせていただいた。
●仏壇の仏さまは阿弥陀如来。
[阿弥陀三尊は真中を阿弥陀如来・左脇侍を観音菩薩・右脇侍を勢至菩薩]
●友人に阿弥陀如来をだしてくれといわれた。
親心をこの場所にだせるか。出せないがあるものはある。
親心は子への願いと思いのはたらき。
阿弥陀如来も私を思いとって下さるおはたらき。はたらきは見えない。
●本願寺24血莓蜴蛯ウまは、
春が来た春が来たといいますが春が見えますか。
でも見えない春を受け取って春が来たという。
それはフキノトウが顔を出したり、ツクシンボがでてきたり、
梅の花がほころんで来たり、顔を洗う水が温んできたとき
春が来たと春を受け取ることが出来る。
梅の花やフキノトウを通して春のはたらきを受け取る。
●風は見えないが木の葉や旗の動きを通して風のはたらきをしることができる。
南無阿弥陀仏の阿弥陀如来のおはたらきは声の仏となって私の中に届く。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と受け取らせていただくことができる。
自分で称えながら称えるままが仏さまでありましたといただく。
●ある小学生の詩。
ぼくのベロ動けと言った時そのベロ動かしたのはだれだ。
ベロを動かす前にベロを動かしているはたらきがあった。
わたしのベロを先に動かしたのはだれだ。
●同じように南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と念仏を称えながら
阿弥陀如来のはたらきを受け取らしていただく。
●約100年前アインシュタインさんが来日した。日本各地で講演をした。
移動の途中にアインシュタインさんが、
日本は仏さまの国、仏さまの話を聞きたいといった。
仏教をちゃんとおさえた・英語かドイツ語をはなせる人ということで、
 東本願寺の近角常観ちかずみじょうかん師が選ばれ1対1で対談した。
アインシュタインさんが聞いた。仏さまとはどういうかたですか。
近角常観師は昔々と姥捨て山の話をはじめた。
昔、日本は多くの地域で食べものが不足していた。
地域によっては食べる人数を減らす口減らしがおこなわれた。
ある地域では、男も女も60才になると山に捨てられる掟があった。
息子が親を背負い山深くに親を置いてこなければいけなかった。
掟を守らないと村八分にされた。
葬式と火事の時以外付き合いを絶たれる。
田んぼの水も分けてもらえず暮らせなくなる掟だった。
ある息子の母が60才になった。
息子は止む無く年老いた母を背負い山奥にいく。
背負われた母は手に触れる木の枝を折って地面に落す。
木の枝を折って地面に落とすことを繰り返す。息子はその様子を感じた。
母は家に帰ろうと目印に枝を折っているのかと思った。山奥の捨て場に着いた。
いよいよ母を置いて息子は帰ろうとした。その時母は息子に言った。
山奥まで来た。
お前が家に帰るとき迷わないように枝を折って地面に落としておいた。
それを頼りにいけば間違えずに帰れる。気を付けて帰れといった。
その言葉を聞いて息子は泣き崩れた。私は恐ろしいことを考えていた。
私は母を捨てよう、帰ってきてもらっては困ると考えていた。
母は見捨てられるのにも関わらず私のことを案じていてくれる。
母に両手をついて謝った。母を再び背負い山奥から家に帰った。
[奥山に 枝折る しおりは 誰がためぞ 親を捨てんと 急ぐ子のため]
●近角師はアインシュタインさんに、この母の姿が仏さまの姿ですと話された。
どんな状態にあろうとも自分の事は一切顧みないで、
ひたすらわが子のことをのみ考え心配している姿。
今まさに自分を捨て、殺そうとまでしているわが子を見捨てることが出来ず、
どうにかして救いたいとする姿。
これこそが真実の大慈悲の仏さまの心ですと話された。
アインシュタインさんは大変感動し、
私が10才若ければ仏さまを学び信仰を変えたかもしれないといった。
●[弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、
往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもいたつこころのおこるとき、
すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまうなり。歎異抄第1条]
●[親鸞聖人は摂取不捨とは、
逃げ惑う者を阿弥陀仏がどこまでも追いかけて救う意味だと言われている]
●御文章。
聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候う。
そのゆえは、もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまう。
その位を一念発起入正定聚と釈し、そのうえの称名念仏は、
如来わが往生を定めたまひし御恩報尽の念仏とこころうべきなり。あなかしこ、
あなかしこ。
●上宮寺山門前掲示板の言葉。
自分を正当化すれば謝ることができなくなる。

正当化の道は孤 独の道 愚に帰る道はみんなと共に歩む道。合掌。