23/10/28 ひたちなか市 国営ひたち海浜公園。
公園がつくられる前の歴史を知るガイドツアー。
鴨志田篤二先生。
ガイドツアー開始までコスモスなどをみる。
●コスモス。

●コスモス。

●コスモス。

●コスモス。

●コスモス。

●コスモス。



●コスモス

●コスモス

●パンパス・グラス。

●メタセコイヤ。

●10時30分よりツアー開始。砂地にある着弾監視所に向かい歩く。
青空だったが天候が急変。
雷雲が近づきグラスハウスに避難する。先生の話を聞く。
雷雨が強くなる。12時30分になっても雨降り。ツアーは終わりとなった。
以下は先生の話。
●旧水戸射爆撃場とはどのようなところか。
1938年・水戸陸軍飛行学校として1150haの飛行場が開設した。
飛行場のほか射爆撃場が付設され訓練が行われた。
1945年・敗戦後、水戸陸軍飛行学校は米空軍の対地射爆撃場となる。
1973年・日本に対地射爆撃場が返還される。
その間45年間一般の出入りが禁止され、自然の秩序が保たれていた。
そのため植物 570種・鳥類 約130種・昆虫類 570種の動植物が確認された。

●海上に再臨した国造りの神々。
●大洗磯前神社の磯に、神が降臨したとある。
856年・伝承では東日本で天然痘・地震の災厄が続いていた
或る日・鹿島郡の老人が海で天に届くばかりに輝く光を見た。
翌日・老人 は海で30cmほどの不思議な2つの石を見つける。
翌日・海で2つ の石の左右に20個余りの小石が向かい合う形で鎮座していた。
【鎮座】神霊がそこにしずまりいること。
石は僧侶の形をし目と耳がながった。
ある里人に神が降り「我は大奈母知、少比古奈命である。
昔、国造りを終えて東の海に去っていた。
今、人々を救済するために帰ってきた」と託宣を下された。
【託宣】神が人にのり移ったり夢に現れたりして意思を告げること。
この神が降臨されたのは磯前と平磯の境にある清浄石という。
阿字石・護摩壇石とも呼ばれる。
3.6m余りの方形磯石・上部平面の中央部は円座用の形。
1696年・光圀が清浄石と呼ぶことにした。
酒列磯前神社・東海村豊受皇大神宮・村松大神宮・虚空蔵堂・静神社の神仏は
護摩壇磯に漂着したと伝わる。
●酒列磯前神社。
大奈母知と少比古奈命が再臨し、国難を救うと宣言した。
常陸国司は先の託宣を朝廷に奏上。
857年・大洗磯前神社と酒列磯前神社は官社に列した。
大奈母知命は天と地が分かれた天地開闢・日本国土が誕生した国生み・
天津神の大業・少彦名命と共に国造りを行い日本の礎を築いた。
医薬の治療も広め百薬の長・酒の神として尊崇される。

大奈母知(大奈母知命・大奈母知大国主命・大己貴命・大名持命)
少比古奈命(少彦名命)
●砂丘に秘められた伝説?千々乱風。
ひたち海浜公園が広がる海岸地帯は、かつては砂丘と松林の白砂青松地だった。
この地域には大風で村々が砂に埋まった千々乱風伝説がある。
元和年間(1615〜1624)に70日間北東の大風が吹き荒れた。
青塚村・二亦村・大塚村は砂のため廃村になった。
1987〜1998年・発掘調査が行われた。
中世〜近世・大規模な揚げ浜式製塩の塩づくりの遺構・遺物が見つかった。
塩づくりの跡が海岸線に沿って東海村まで広がっていることが認められた。
濃い塩水を煮つめて塩をつくる釜屋、
釜屋内に濃い塩水を貯める釜屋内水槽などが確認された。
●ヤンサマチ
ヤンサマチは神社の神輿の浜降りと村松大神宮下〜酒列磯前神社下までの競馬。
1929年を最後に中断している。
●浜降り神事。
静神社を出発し参加する村の若者が神輿を担ぐ。
旗・鉾・サカキ・馬などの行列をつくる。
順次続いて酒列磯前神社下の海岸へ集まり、神事を行う。
●競馬
競馬は6頭の馬が村松大神宮下から酒列磯前神社下まで波打ち際約9kmを
駆け競う。
五穀豊穣・大漁・子孫長久を占った。
●南口ゲート近く。