23/10/25 那珂市本米崎 上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
山本昭淳師・東京都港区・長玄寺。
●御讃題。
本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし。
以下はhp制作者メモです。
●和讃。本願力に出会った私は、空しく迷いの世界にとどまらない。
功徳をそなえた名号は宝海のように満ちわたる。
濁った煩悩の水でも何の分け隔てもない。
本願力を信ずる私は、南無阿弥陀仏の名号で功徳に恵まれる。
阿弥陀如来は私に煩悩があっても私を浄土に往生させてくれる。
●天気に良い・悪いはない。私の都合で決めているだけ。
外を歩くには晴れればよい。その時の晴れは私には良い天気になる。
もし雨が降れば私には悪い天気になる。
作物を作っている人には、晴ればかりでは困る。
時々は雨に降ってもらわないといけない。
恵みの雨ともいう。その時の雨は良い天気となる。
結局、天気の良い・悪いは私の都合で決めていることになる。
私のおかれた立場で物事の良い・悪いの判断が変わる。
●阿弥陀如来の本願は必ず救うまかせよと南無阿弥陀仏の名号となり
絶えず私に呼びかけられている。
法蔵菩薩は如来になるために48願をたてた。
そして5劫という大変に長い時間を修行し48願を成し遂げ阿弥陀如来になった。
第18の念仏往生の誓願がある。
それは私の都合でしか生きられない煩悩のなくならない私を浄土に往生させる
ためだった。
私は法蔵菩薩のご苦労を想い、
阿弥陀如来の呼び声を聞いて、阿弥陀如来の救いに身をまかす。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と称名念仏する。なんと有難いことか。
阿弥陀如来の本願はいつでも・どこでも私にとどいている。
●正信偈。帰命無量寿如来 南無不可思議光。
帰命と南無は依り処として敬い信じて受け入れ随うこと。
無量寿如来に帰命する。不可思議光に南無する。
無量寿如来・不可思議光は阿阿弥陀如来のこと。
無量寿は量がなく・数量と関係ない寿命。阿弥陀如来の慈悲。
不可思議光の光は、阿弥陀如来の何ものをも照らし出す智慧。
●阿弥陀如来のはたらきは12種類の光。
正信偈。普放無量無辺光 無碍無対光炎王 清浄歓喜智慧光 
不断難思無称光 超日月光照塵刹 一切群生蒙光照。
1無量光。光明無量の願による。
和讃「智慧の光明はかりなし・有量の諸相ことごとく・
光暁かわらぬものはなし・真実明に帰命せよ」
2無辺光。阿弥陀如来の智慧の光明、この先は行き届かないという際はない。
和讃「解脱の光輪きわもなし・光触かぶるものはみな・
有無をはなるとのべたもう・平等覚に帰命せよ」
3無碍光。何ものにもさえぎられない阿弥陀如来の智慧の光明。
和讃「光雲無碍如虚空・一切の有碍にさわりなし・
光沢かぶらぬものぞなき・難思議を帰命せよ」
4無対光。対比するものがない光。阿弥陀如来は智慧の徳をそなえている。
和讃「清浄光明ならびなし・遇斯光のゆえなれば・
一切の業繋ものぞこりぬ・畢竟依を帰命せよ」
5光炎王・焔王光。炎は凡夫の愚かさから起こる迷いを焼き尽くすこと。
阿弥陀如来の智慧の光明は、無知の暗闇を照らし、暗闇をなくす。
和讃「仏光照曜最第一・光炎王仏となづけたり・
三塗の黒闇ひらくなり・大応供を帰命せよ」
6清浄光。凡夫の心清らかになるようにはたらきかける智慧の光。
和讃「道光明朗超絶せり・清浄光仏ともうすなり・
ひとたび光照かぶるもの・業垢をのぞき解脱をう」
7歓喜光。阿弥陀如来の智慧の光は、怒りや憎しみの凡夫の心を和らげ・
凡夫の心は喜びに変わる。
和讃「慈光はるかにかぶらしめ・ひかりのいたるところには・
法喜をうとぞのべたまう・大安慰を帰命せよ」
8智慧光。凡夫は真実に暗く、愚かで無知。そのため悩むことが多い。
しかも自分が無知であることを知らない。阿弥陀如来の智慧の輝きは、
凡夫に無知を知らせ、無知の闇を破ってくれる。
和讃「無明の闇を破するゆえ・智慧光仏となづけたり・
一切諸仏三乗衆・ともに嘆誉したまえり」
9不断光。凡夫を照らし続ける阿弥陀如来の智慧の光明。
和讃「光明てらしてたえざれば・不断光仏となづけたり・
聞光力のゆえなれば・心不断にて往生す」
10難思光。凡夫の思いでは量り知ることのできない阿弥陀如来の智慧の光明。
和讃「仏光測量なきゆえに・難思光仏となづけたり・
諸仏は往生嘆じつつ・弥陀の功徳を称せしむ」
11無称光。説明できない阿弥陀如来の智慧の輝き。
和讃「神光の離相をとかざれば・無称光仏となづけたり・
因光成仏のひかりをば・諸仏の嘆ずるところなり」
12超日月光。阿弥陀如来の智慧の光明は日月の光を超えた光。
太陽の光は昼間輝き、夜照らさない。月の光は夜照らし昼輝かない。
どちらの光も、光の届かない影を作る。
阿弥陀如来の光明は、届かないところがない。
和讃「光明月日に勝過して・超日月光となづけたり・
釈迦嘆じてなおつきず・無等等を帰命せよ」
●一切群生蒙光照。
一切の群生、光照を蒙る。
阿弥陀如来の智慧はすべての世界を照らし、凡夫の迷妄を打ち破り、
凡夫を輝かせる徳がある。
●正信偈。弥陀仏本願念仏 邪見?慢悪衆生 
信楽受持甚以難 難中之難無過斯。
弥陀仏の本願念仏は、邪見?慢の悪衆生、信楽受持すること、
はなはだもって難し。難の中の難、これに過ぎたるはなし)。
●阿弥陀如来の本願は私を救うため、いつでもどこども
私に南無阿弥陀仏という名号を届けてくれている。
私には真実に背いた考え・思い上がった心がある。
私には阿弥陀如来の本願をいつでもどこでも受け取ることは難しい。
煩悩がいつもある私にはいつも本願を受け取るのは大変に難しい。
●おかげさまと私が。
私が今生きているのは多くの人のおかげ。
父母がいて、多くの祖先がいて今私が生かされている。
おかげさまで生かされている。
集合写真があったら最初に何を見るか。
まず私がどのように写っているかをさがす。
私は自分中心に・自分の都合で・自分のモノサシで考える。
その時私が私がとなり、おかげさまは無くなる。
ここに阿弥陀如来の光のはたらきがあると、今までみえてなかったものが
見えてくる。
●往生するのは命が終わった時。
往生定まるのは今。この命いつ終わるかわからない。
紙の裏と表のようなもの。今表で生かされているが何時裏になるかわからない。
●本願力を信ずる者は、南無阿弥陀仏の広大な功徳を恵まれる。
煩悩を抱えながらも、浄土にいける。
本願力を信ずる人生は浄土への歩みとなる。
●むなしく過ぎる人生とは。蓮如上人御文章。
「人間はただ電光朝露の夢幻のあひだのたのしみぞかし」と、
「まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身にはひとつもあひそふことあるべからず」
●御文章。
聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候ふ。そのゆえは、
もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力とし
て、仏のかたより往生は治定せしめたまふ。その位を一念発起入正定聚と釈し、
そのうえの称名念仏は、如来わが往生を定めたまひし御恩報尽の念仏とこころ
うべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
 ●上宮寺山門前掲示板の言葉。
 頭が下がります。 
人の世に生まれてきたことを喜べる人には頭がさがります。
ーそんな人が昨日この世を去っていかれたー 宗正元1989年8月28日。
   本当にそんな人がいますか?自分はどうかと問われているみたいです。
      遇うべきものに遇わねばと思います。