23/10/4 水戸市 百樹園。
01百樹園入口。

02中央に通路。通路の両側に1区画25坪で60区画に区分されている。

03ヒガンバナ。

04百樹園記の碑。

05クチナシ。

06ヤブラン。

07ヤマブキ。

08タラヨウ。

09ヒメザクロ。

●4代目木村伝兵衛信惇(百樹翁)は水戸市で醤油醸造業を生業としていた。
かつて光圀が植えた樹木見本林百色山の衰退を残念に思っていた。
1928年・光圀生誕300年祭だった。
百樹翁は記念に私有地 0.7ha に樹木見本林百色山の再現を考えた。
●水戸高野原茂六に樹木見本林の設計を依頼した。
牧野富太郎の指導をうけた。
長方形で中央に通路。
通路の両側に1区画25坪で「いの一」から「との十」まで60区画に区分。
1933年・樹木見本林は完成した。百樹園と呼ばれた。
●1933年作成の百樹園植物目録に書かれている。
裸子植物3科61種・被子植物61科324種・856株が植えられた。
スギ科・モクレン科・カエデ科など科の配列は自然分類書の順序になっている。
樹名板には牧野富太郎・野原茂六検定の学名・和名・科名が記された。
●小美玉市出身の植物学者鶴町猷つるまちはかるの記録。
整然と区割りされた植物園の周囲には温室あり、花壇あり、築山あり、
池あり、広大な美しい林もある。
1983年・百樹園を水戸市が購入。
1986年・水戸市の都市公園として開設される。
面積0.8ha。数量3400本。種類180種。

●百樹園記。意訳。
水戸城の南、酒門に小高い丘があり稲荷山と呼ばれる。
1852年・2代目木村伝兵衛が杉など3万本を植えた。
その後杉は育ち杉林となり霧を発生させ雲になるほどになった・・・
1928年・光圀の生誕300周年に4代目木村伝兵衛は、杉林の側に植林を計画・・・
樹木を集め移植し百樹園と名付けた。
かつて光圀は那珂川の河岸の一区に様々な樹木を移植した。
学問と実益のために活用した。領民はそこを百色山と呼んだ。
しかし時が過ぎ世の中が変わり百色山は衰退した。
4代目木村伝兵が百樹園をつくったことは、光圀の意志を受け継いでいる・・・。
1933年 菊池謙二郎 文章を作り、 文と題を書く
●百色山。
百色山はひたちなか市三反田上瀬地区にある。
1660年頃・光圀により100種類の樹木が植樹された。百色山と呼ばれた。
植樹した種類は木材や燃材・生活に役立つ樹木だった。
木材や燃材のヒノキ・スギ。薬用のキハダ、カリン、クロモジ、ホオノキ、
ナンテン。薬用・食用のビワ、ウメ、カキ、サンショウ。染料のハンノキ、
ヌルデ。蝋のハゼノキ。洗剤のムクロジ。塗物のウルシ。和紙のコウゾ。
その後百色山は衰退する。
現在百色山は緑地休養広場面積500m2と樹林帯区域面積6800m2がある。