23/9/25 那珂市本米崎 上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
平野俊興師・市川市中原寺前住職。 
[ ]はhp制作者メモ。
■御讃題。
ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、
無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。
しかればすなわち浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。
浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。
これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萌を救済し、
世雄の悲、まさしく逆謗闡提を恵まんと欲す。
ゆえに知んぬ、円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智、
難信金剛の信楽は疑を除き証を獲しむる真理なりと。
[教行信証総序。親鸞聖人が教行信証を書き始めるにあたっての文章。
浄土真宗の教え・救いの根本は阿弥陀如来の本願と無量の光明。
阿弥陀如来の本願は救われ難い私を必ず救うという。
私の煩悩の闇を破るはたらきをしてくれる。阿弥陀如来に感謝する]
●自見の覚語をもつて他力の宗旨を乱ることなかれ。歎異抄序にあることば。
私はこうだと思いがちだが気をつけたほうがよい。
多くの人の教えを聞いて自分の心の中に残ったものがよい。
心が広がる・柔らかくなる。
仏法は私たちの知識で積み上げたものではない。
本当のことに出会わせてもらうとものの考え方・受け止め方が柔らかくなる。
しかし自分のものがなくてもよいというわけではない。
親鸞聖人は金剛心が必要という。釈尊の言葉は真実・間違いがない。
自分の都合により解釈してはいけない。
金剛心は釈尊の言葉から得られる。
柔らかい心と金剛心、ふたつをもつことが大切。
「私は」でなく「私に」と考える。一人では生きられない。
多くの人にお世話になり生かされている。
●横田慎太郎さんのはなし。
[1995年・東京都で生まれ。3歳の時に鹿児島県に移る。父は元プロ野球選手。
自分もプロ野球選手になりたいと思う。夢の実現に小さな目標を毎日立てて実
行した。鹿児島実業に進学。
2013年・阪神タイガースにドラフト2位で指名され入団。「努力は裏切らなかっ
た」という。
2016年・開幕の中日戦に2番中堅で先発・1軍初出場。
2017年・脳腫瘍が判明。医師に「1回野球のことは忘れてください」と言われ
「頭が真っ白になった」。多くの人に励まされ「もう一度野球をしたい、そう思
えたのはファンのみなさんや周りの支えがあったおかげ」という。
2018年・育成契約。後遺症で球が二重に見えプレイに影響した。
2019年・引退を決断。球団は引退試合を用意してくれた。
引退試合の2軍戦で中堅から本塁へ走者を刺したプレイは奇跡のバックホーム
といわれドラマ化された。「必死で野球と向き合い続けたからこそ、野球人生の
最後を最高の形で終われた。」「練習でもああいうボールは投げたことはない。
本当に神様がいてくれた。諦めずにやってきてよかった。」といった。
2021年・脊髄に腫瘍が転移が見つかる。自分の経験を通して悩み苦しんでいる
人たちの力になりたいという新たな目標を立てて治療に臨んだ。
2022年・脳腫瘍が再々発。講演活動を続ける。.
2023年・亡くなる。28才。
多くの人に困難に立ち向かうことを伝えた。
当たり前だと思っていたことが決して当たり前でなかった。
神様は乗り越えられない試練は与えない。
今悩み苦しんでいる方、自分に負けないで。自分を信じ目標を持ち目標から逃
げず少しずつ前に進んでください。幸せな日が来ると思います]
仏教に止観ということばがある。
止観とは諸々のおもいをやめて心をひとつの方向に集中する姿勢により
新たな方向が見えてくること。
自らの人生に遭遇した出来事は素直に受け入れた時に必ず新しい方向がみえだ
される。
過去をひきずることなく生きるとはこの身が絶えず新陳代謝しているように
新たな世界が生み出されていることに目覚めること。
仏教の教えは最終地点を教えるものではなく無限の限りないいのちを得る教え。
横田さんの病は誰にもかわってもらえない。
横田さんは病を受け入れ諦めない心を多くの人に伝えようとした。
●以下省略・途中退席。
●上宮寺山門前掲示板の言葉。
私の目は何でも見えていると思ってはいけない
私の目には見えないものがたくさんあると気づいた時
はじめて 見えてくるものがある。 

そして手の合わさる 謙虚なこころが生まれる
平和な時がおとずれる。合掌。