23/8/25 那珂市本米崎 上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
鷲元明俊師 上宮寺前住職。
篠笛奏者 齋藤信介氏・ひたちなか市・の演奏あり。
[ ]はhp制作者メモ。
■御讃題。
弥陀初会の 聖衆は 算数のおよぶ ことぞなき
浄土をねがわん ひとはみな 広大会を 帰命せよ。
[浄土和讃。阿弥陀如来が成仏し最初に説法した。
その時浄土の会座に集まった菩薩の聖者方は数えきれないほど多かった。
浄土往生を願う人は阿弥陀如来をたよれ。
広大会は無量の聖衆を集めた広大な法会の主である阿弥陀如来]
●以前、枕石寺駐車場で開かれていた市にいった。
市の会場に篠笛奏者・齋藤さんによる篠笛の柔らかい音色が響き渡っていた。
曲はアメイジング・グレイスだった。
法座の時皆さんに聴いてほしいと思った。
今日は法話と篠笛演奏での定例法座となった。
●広大会は阿弥陀如来の別名。上宮寺本堂の扁額にある。
●さだまさしさんのいのちの理由を篠笛演奏・前住職歌・その後全員で歌う。
人間がこの世に生まれてきた理由は?
2011年・法然上人800回大遠忌テーマ曲。
浄土宗本山の依頼で作られた。
詞の内容は私が生まれてきた理由は
父・母・兄弟・友達・愛しいあなたに出会ため・
幸せになるために誰もが生まれてきた・・・。
●先月の上宮寺山門前掲示板の言葉。
死ぬことは誰かの心の中で生き続けること ―樹木希林ー
どんなあなたが生き続けるのでしょうか それが問題です。
●星野富弘さんは1946年・群馬県勢多郡東村に生まれた。
1970年・群馬大学卒業。中学校の教諭になる。
クラブ活動の指導中首を損傷、首から下が動かなくなる。
1972年 ・病院入院中、口に筆をくわえて文や絵を描き始める。
1974年・病室でキリスト教の洗礼を受ける。
富弘さんの入院は9年間続いた。
母が入院中世話をしてくれた。
●富弘さんの言葉。
いのちが一番大切だと思っていたころ生きるのが苦しかった。
いのちより大切なものがあると知った日生きているのが嬉しかった。
[世の中は価値がある・ないというモノサシで動いている。
元気で働ければ価値があり、病気・障害・年をとると価値がないとする。
いのちを大切にするより世の中のモノサシの方を大切にする。
そのモノサシに振り回され人は苦しみ悩む。
富弘さんはいのちより大切なものがあるという。
思い通りにならない身体。
生き生きと自分らしく生きるものを見つけたのだ。
いのちが大切であればこそ、
真に生き生きとさせるものとの出遇いが大事]
●富弘さんが入院する前の母は、昼は畑仕事・夜は内職をしていた。
あまり魅力のない母だった。入院して愛に満ちた母に気づいた。
人として大切なことに気づくことができた。
命より大切なものは私を包んでいる温かいはたらきか。
●富弘さんは、神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら
母の肩を たたかせてもらおうという。
■曽我量深師の言葉。
無量無数の祖先が 私の身の中に 心の中に生きている。
そして、どうか助かってくれ そして、私を助けてくれ、とみんな願っている。
[私は多くの人のおかげで今生かされている。私の父と母がいて今私がいる。
父と母にもそれぞれれに父と母がいる。その先のご先祖さま。
どこまでも遡るのか。宇宙の起源までか。
不可思議なことだ。今生きていること・生かされていることは不可思議だ。
私はご先祖さまからの贈り物、賜り物で出来ている。
私が今在るのは無量無数のご先祖さまが懸命に生きていのちを繋いできたから。
「生きていても仕方ない」と愚痴るのは
私がご先祖さまの人生が無駄だったといっているようなもの。
「生まれて来て良かった。ご先祖さまありがとうございます」
と言えばご先祖さまは喜ぶ。
私が助かりご先祖さまも助かる]
?
[親鸞聖人は高僧和讃でいう。
本願力にあいぬれば むなしくすぐる人ぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水 へだてなし。
人生を虚しいと感じたまま終わる人があって欲しくない。
すべての人が生まれてよかったと思える人生を歩んで欲しい。
これが阿弥陀如来の願い]
●篠笛演奏アメイジング・グレイス。
●篠笛演奏 時には昔の話を。
●仏教は、都合よく生きられたら幸せだという夢から覚める教えです。
ということばがある。
[仏は、法に目覚めた人。法とは諸行無常。綺麗な花も必ず散る。
どんなものも無常である。私たちは幸せの夢を見ている。
思うように・都合良く生きる夢を見ている。
人生は都合ではない。
思うようになりたいという形で生きている。
生活が思うようになっているから幸せだと思うが少しのつまずきで無くなる。
都合が悪くなっても、これが生きることと考える。
人に生まれて良かったというものを見つけなければならない]
●弥陀をたのむ。
阿弥陀如来に生も死も本当にこころからまかぜらる身となること。
御祈祷をして祟りや怒りにおびえているのは悲しみの極み。
宗教は自分の都合によいようにしてもらうためのものではない。
本当の自分をしらせる。あなたはこのみちしかない。大きな運に恵まれている。
その恵みを感じながら生きて下さいというのを祖先は願っている。
私たちのいのちが帰るふるさとは浄土。
私たちは浄土に包まれながら1日1日を生きている。
阿弥陀如来と共に生きていく。
●篠笛演奏・全員で故郷を歌う。
●受け止める大地のありて 椿落つ。
[椿の花は私のいのち・大地は浄土に思える。
しっかりと受け止めてくれる浄土があって私は安心して生きていける]
●法座で何かに気づくことかあればよい。
何のために私は生れてきたのだろ。
●いきいきと生きる姿を子や孫にみせることは大きな伝道。
[富弘さんはいのちより大切なものがあるという。思い通りにならない身体。
生き生きと自分らしく生きるものを見つけたのだ。
いのちが大切であればこそ、
真に生き生きとさせるものとの出遇いが大事なのだ]
■上宮寺山門前掲示板の言葉。
なくして ありがた味を知る。
手に入れて ありがた味を忘れる。
ありがたみを知り 幸せを感じ
あたりまえの出きごとが 貴重であると 手が合わさる。