23/6/22 水戸・歴史に学ぶ会移動教室 南朝方の三城址を訪ねて。
■コース。一乗院⇒小田城跡⇒昼食⇒大宝城跡 ⇒関城跡⇒千妙寺⇒一乗院。
■小田城跡。所在地・つくば市小田。

小田城跡は中世に常陸国南部に勢力をもった小田氏の居城跡。
1183年・小田氏の祖八田知家は志田義広を討伐する軍に加わり、討伐後に
源頼朝に対面する。
1189年・八田知家は奥州藤原氏の征伐に東海道大将軍として参加する。
この頃八田知家は常陸国守護職任命された?
1193年・八田知家は多気義幹を失脚させ、下妻広幹を誅殺する・建久の変。
常陸国における地位を安定させた。
1232年・一族の宍戸家周が常陸国守護になる。
1252年・忍性が三村山極楽寺に入り10年間止住する。
1285年・一族の田中氏などが霜月騒動により没落する。
1315年・北条氏の進出により小田氏所領が縮少・小田氏は守護職を失う。
1333年・鎌倉幕府が滅亡する。7代小田治久は藤原藤房と上洛・勢力回復を
目指し後醍醐天皇の建武新政府に参加・南朝方についた。
1338年・南朝方重臣・北畠親房が小田城に入る。小田城は関東地方の南朝方の
拠点となる。親房は神皇正統記を小田城で書く。
1339年・北朝軍の攻撃を受ける。
1341年・治久は降伏・北朝方に従う。親房は関城へ移る。
1374年・8代孝朝は足利氏への忠誠から旧領の大半を回復する。
1387年・孝朝は鎌倉府に反抗した小山岩大丸を匿い討伐を受け、管領上杉朝宗
と難台山城で戦う。
1388年・孝朝は降参する。
1416年・10代持家は上杉禅秀の乱で鎌倉公方を攻撃する。
1441年・持家は結城合戦で幕府軍に参加する。
1495年・13代治孝が弟の顕家に殺される。小田氏の内紛が続く。
1531年・14代政治は江戸通泰に鹿ノ子原で勝利する。以後領土拡大の戦が続く。
1556年・15代氏治は山王堂合戦で後北条氏が後援する結城氏に大敗・土浦
へ敗走する。その後小田城を奪回する。
1562年・後北条氏の北関東進出が激しくなる。氏治は当初佐竹氏とともに上杉
氏を後に対抗するが、後北条氏と同盟を結んだ。氏治は後北条氏・結城氏・
小山氏・那須氏と和睦する。
1564年・氏治は上杉氏・佐竹氏などに攻められ小田城は落城・土浦へ敗走する。
1565年・氏治が小田城を奪回する。
1566年・氏治は上杉氏に小田城を開城。
1569年・佐竹氏が小田城を総攻撃。小田氏は片野城を攻め手這坂の戦いで佐竹
氏・真壁氏に敗れ敗走、 小田城を奪われる。
1570年・ 佐竹義重が小田城を太田資正に与え、以後、子の梶原政景が在城する。
1583年・氏治は佐竹氏に降伏し、後に藤沢城に入る。
1584年・小田城の梶原政景が北条氏に内通。佐竹氏が小田城を攻める。
1590 年・氏治は佐竹氏に叛して、小田城奪回を図り失敗。結城氏の食客となる。
1600年・佐竹氏一族の小場義成が小田城に入る。
1601年・氏治は結城氏の国替えで結城氏に従い越前へ移る。
1602年・佐竹氏の秋田移封により小田城は廃城となる。
その後小田城は一時幕府領となり陣屋が置かれたこともある。
2009〜2016年・小田城の発掘調査・本丸跡とその周辺の遺構復元がなされ・
案内所を併設した歴史ひろばとして整備される。
■大宝城跡。所在地・下妻市大字大宝。

大宝城は平安時代〜南北朝時代にあった。東・西・北を大宝沼に囲まれた台地
に築かれた。東西288m・南北576m。台地の北方を本丸・南方を大手・東を搦手
とした。
1341年・ 春日中将顕国が興良親王を奉じて小田城より大宝城に移ってきた。
大宝城は東国における南朝方の拠点となった。その後、北朝方に攻撃され苦戦。
1343年・食糧不足と城内不和のため落城した。城主下妻政泰は討死した。
現在城跡は大宝八幡宮がある。
八幡宮裏に1931年建立の贈正四位下妻政泰忠死之地の碑と、1943年建立の
下政泰公碑がある。
■関城跡。所在地・筑西市関舘。

関城は南北朝対立の時、南朝方の拠点となった。
現在土塁の一部・戦死した関城主関宗祐、子宗教の墓・関城攻撃で戦死した
結城直朝の墓がある。
城は東・西・南が大宝沼で、北に壕を掘った。
1341年・小田城から関城に北畠親房が移った。1343年城の陥落前まで留まって、
小田城で書い神皇正統記の見直し完成させた。
■千妙寺。所在地・筑西市黒子。

東睿山金剛壽院千妙寺。慈覚大師円仁開基。天台宗。
834年・淳和天皇の勅許により筑波山麓上野に創建・承和寺と称した。
939年・平将門の乱の時に堂宇は焼失。
1351年・亮守が黒子に崇光天皇の勅命により寺を再興。
亮守は千部の妙法蓮華経を小石に書き埋納・干妙寺と称した。
干妙寺は三昧流の灌頂道場として隆盛・室町時代〜戦国時代・未寺門徒寺院 700
以上あった。
古河公方足利氏・多賀谷氏・宇都宮氏の祈願寺。
1604年・徳川秀忠から寺領100石が安堵される。
1613年・山号の東山を後水尾天皇の勅号により授けられたという。
千妙寺には総本堂と客殿がある。総本堂に総本尊・秘仏の釈迦如来像・北畠
親房護持仏像という。客殿に本尊・阿弥陀如来像。
2015年・千妙寺内に展示室をつくり寺宝の一部が展示されている。