23/4/20 ひたちなか市 水戸つばさの搭。
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水戸つばさの搭は終戦30年後に戦跡を後世に伝え、殉国英霊の偉業を顕彰し、
祖国永遠の平和を祈念して建立された。
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●●04由来記。

1938年・ここ前渡の地に1,200haの水戸飛行場を設定。
1939年・水戸陸軍飛行学校が開校。通信・戦技・武装・高射・化学戦・自動車・
特操・佐尉官の教育と研究を実施。
東部に陸軍航空審査部水戸試験場ができた。
1940年・水戸南飛行場に陸軍航空通信学校が開校。
水戸陸軍飛行学校の通信教育と研究が移管された。
1943年8月・明野陸軍飛行学校水戸分校開校。水戸陸軍飛行学校は仙台に移駐。
1944年6月・明野陸軍飛行学校水戸分校は常陸教導飛行師団に改編。
空中戦士養成・研究・本土防空作戦任務を附与された。
この地で職に殉ずる者・1945年2月の艦載機群邀撃等により身命を捧げた者
の数180余柱。
南飛行場で電鍵を片手に華と散った者数知れず。
1944年11月以降特別攻撃隊一宇隊・殉義隊・第24振武隊・第53振武隊・第
68振武隊・平井隊・誠35飛行隊の勇士70余人は相ついで進発、レイテ沖・
台湾・沖縄海域で敵艦船を求めて突入し国難に殉じた。
1945年4月・師団主力は群馬県新田飛行場に移動し終戦に至った。
終戦30周年を期し、関係者ならびに有志相計りこの戦跡を後世に伝え、
殉国英霊の偉業を顕彰し、祖国永遠の平和を祈念して、この塔を建立する。
1975年5月3日 水戸飛行場記念会。

●●05 迎撃機のプロペラ。

1945年2月26日の艦載機大空襲の際に、当飛行場から迎撃に飛び立ち、激闘の
すえ壮烈な自爆を遂げた戦友の最期を偲ぶプロペラである。
1976年8月11日、日立港沖合の海底から引揚げられた。
●●06 戦闘機の発動機。

発動機は大洗沖で操業中の漁船の網に掛かりひき揚げられた。
二式複座戦闘機・キ−45屠龍のもの。
●●07 校門。

1940年・水戸市住吉町に開校された陸軍航空通信学校の校門。
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