23/3/11 ひたちなか市のけ考古学 サメ歯製垂飾について。
鈴木素行先生。
{ }はhp制作者のメモです。
●恐竜を掘る人になりたかった。
茨城県自然博物館にティラノサウルスの骨格レプリカがある。
近くにホホジロザメの模型がある。
サメ歯について北は北海道礼文島〜南は沖縄竹富島を調べた。
現在も調査中で今日は途中経過の話。
北海道は弥生時代がなく縄文時代の後は続縄文時代になる。
沖縄は縄文時代がなく縄文時代は貝塚時代前期になる。
サメ歯の垂飾は縄文時代・弥生時代前半で消滅する。
サメ歯の垂飾は何時もつけていたのではなく儀式の時に付けていたと思われる。
●なぜサメ歯を調べたか。
一時期、休みを利用して恐竜の化石をみに海外にいっていた。
色々見てるうちにティラノサウルスに関心をもった。
ティラノサウルスはアメリカ・カナダから産出される。
レンタカーを利用し色々とみた。
茨城県自然博物館に展示されているティラノサウルスの骨格はレプリカ。
アメリカなどに行かないと本物は見れない。
本物の骨格とレプリカの骨格では違いがある。
歯の色つや・美しさが違う。歯の色は最初は白。化石になる過程で変わる。
アメリカ・カナダからでるティラノサウルスの歯の化石は茶系統から黒。
歯は大きさが違う。歯が生えかわっている途中の為歯の大きさが違う。
ティラノサウルスは肉食の為、よく切れる歯がないと生きていけない。
一度に生えかわるのでなく順繰りに生えかわる。
ある事情で海外に行けなくなった。
ティラノサウルスに代わるものはないか。国内博物館を色々みた。
ムカシオオホホジロザメ、略してメガロドンに興味をもった。
[メガロドンは、ホホジロザメの4倍も大きい史上最大のサメといわれる。
約2300万年前〜360万年前にかけて生息していた絶滅種のサメ]
歯がかなりティラノサウルスに近い印象。
埼玉県自然の博物館に全長約12mのメガロドンの復元模型がある。
[埼玉県でメガロドンの歯の化石73点が産出。
73点のうち上顎歯が45点。下顎歯が22点。不明が6点。
歯の形態の異なりから歯列の復元も試みられている]
沖縄美ら海水族館にメガロドンのアゴ模型がある。
●サメの歯は内側に次の歯が出番を待っている。
外側の歯列を機能歯・内側の複数の歯列を予備歯と呼ぶ。
機能歯が脱落すると予備歯が機能歯に順次交代する。
サメ歯は後ろから前に置きあがってくる。
ある種類のサメは歯が7〜8日くらいで生えかわっている。
ホホジロザメ・イタチザメは2番目の歯まで歯根ができている。
シロワニ・アオザメは3番から4番まで歯根ができている。
[外側から見える面を唇側面・内側を舌側面と呼ぶ。
横断面がD字状のメガロドンの歯は、凸面が舌側面に相当する。
エナメル質で覆われた部分が歯冠・セメント質で覆われた部分が歯根・
その境界を歯類という。
歯冠の側縁が切縁で、メガロドンは切縁に鋸歯がある]
●常陸大宮市泉坂下遺跡の縄文時代住居跡からメガロドンの歯の化石が出土。
他の場所でメガロドンの歯の化石が出ているか知りたくなった。
東北・北海道でメガロドンがでていることが分かった。
サメの歯の化石を拾い加工していたらしいことが分ってきた。
サメの歯の化石を実際にみることにした。
●北海道・東北・茨城の遺跡をみる。。
●添山遺跡・北海道上磯町。長さ8cm・幅6cm・厚さ2cm。資料の所在不明。
●鰺ヶ沢・青森県西津軽郡鰺ヶ沢の近くから出土。
京都国立博物館に展示されている。
●風張遺跡・青森県八戸市。竪穴住居跡から出土。縄文時代後期後葉。
長さ13 cm・幅9cm・厚さ4cm・重さ325g。八戸市埋蔵文化財センターに保管。
●東裏遺跡・岩手県奥州市。現在資料の所在不明。縄文時代晩期。
19点のサメ歯化石が出土。メガロドン5点を含む。
風張遺跡に匹敵する大きさのサメ歯の化石ももある。
東裏遺跡をとりまく衣川下流域一帯の細粒砂岩層を産出層に推定。
●大野田遺跡・宮城県仙台市。仙台市教育委員会に保管。2点出土。
縄文時代後期前葉。長さ10cm・幅6 cm・厚さ3 cm。
長さ5 cm・幅4 cm・厚さ2 cm・重さ120g。
●小場遺跡・茨城県高萩市。住居跡から出土・縄文時代後期後葉〜?期。
長さ5 cm・幅3 cm・厚さ1 cm。高萩市教育委員会に保管。
●泉坂下遺跡・茨城県常陸大宮市。常陸大宮市教育委員会に保管。
縄文時代 晩期前葉〜中葉。長さ8 cm・幅8 cm・厚さ6 cm・重さ119g。
●次に沖縄に行く。
沖縄の本島に行った。沖縄本島に県の調査した竹富島の資料が集まっている。
那覇市の近くに遺跡や資料が固まっている。
沖縄美ら海水族館は那覇市から離れた場所[沖縄県国頭郡]にある]
●[沖縄県うるま市]仲原遺跡に住居が復元されている。
住居跡から出土、貝塚時代前期。長さ4cm・幅4 cm・厚さ1 cm・重さ15g。
●沖縄で縄文人がサメを獲った話は聞かない。
沖縄には鋭利なものを作る石がほとんどない。黒曜石もない。
サメの鱗は固くサメの歯は鱗が進化したといわれる。
鎧を着こんでいるようなサメの膚を突き通す鋭利なものがない。
サメは噛む力が強い。
ホホジロザメを捕えて腹を切り裂いて食べている物を調べる。
腹の中からウミガメの甲羅を噛み砕いたのがよく見られる。
ホホジロザメはウミガメを好物にしている。
そのサメを釣ることはできない。
沖縄で出土するサメの歯は全て化石を拾ったものと考える。
サメ歯 の化石を素材とした垂飾がある。
サメ歯の化石が島尻層群・琉球石灰岩から産出する。
沖縄本島のメガロドンは、この島尻層群が産出層とされる。
鳥尻層群の上位に知念層・仲尾次層・琉球石灰岩とある。
琉球石灰岩は165万年前〜12万年前の堆積層。
メガロドン・ホホジロザメは鋸歯がある。
化石をみると鋸歯かなり減ってしまっている。
堆積層が波触により崩落。母岩から洗い出されサメ歯が海岸で採集される。
うるま市の遺跡からサメ歯が多く出土する。
照間海岸・勝連半島・近在の島の海蝕崖が供給したか。
生体から脱落した歯が海岸に打ち上 げられたが。
島尻層群と琉球石灰岩は沖縄本島の南部に分布する。
勝連半島うるま市照間海岸はサメ歯化石が見つかる。
●北のサメ歯。
北海道では後期後葉〜晩期の墓に副葬品としてサメ歯が出土する。
多数のサメ歯が被葬者の頭部付近に出土する。
アイヌのサパンペのような冠に付属したか。
●[西島松5遺跡・恵庭市]サメ歯が320点出土。墓地に292 点。
[292点のうちホホジロザメが259点・アオザメが25点・イタチザメが3点・
不明が5点。 ホホジロザメが90%を占める]
墓ごとにサメ歯の大きさ・形は、同一個体のサメの歯列と考える。
ホホジ ロザメの胎児とみられる歯108本も出土している。
●ホホジロザメの鋸歯は摩滅がなく捕獲したサメの歯が利用された。
ホホジロザメの胎児の歯は出産までは少し時期のあるときの歯。
ホホジロザメの胎児ばホホジロサメを解体して取り出された。
ホホジロザメを捕獲しても、ホホジロザメの歯より大きい歯の化石が存在した。
メガロドンである。
●ホホジロザメの捕獲方法・あくまでも想像。
沖縄ではホホジロザメの捕獲は考えられなかった。北海道は何が違うのか。
北海道にはオットセイ・アシカ・トド・アザラシがいる。海岸近くにいる。
サメのエサになる。
北海道は黒曜石が豊富。黒曜石を使った離頭銛をつくった。
ホホジロザメの大きさは歯から推定すると3mくらい。
胎児を含んだサメの重さは2トンくらい。どうしたら捕獲できるか。
オットセイ・アシカ・トド・アザラシを狙ってきたホホジロザメ。
離頭銛や網を使いホホジロザメの動きを不自由にさせる。
満潮時に浮力を利用し岸に引き寄せる。
干潮になると海水が無くなりホホジロザメは死ぬ。
その場でホホジロザメを解体する。
以上はあくまで想像。
●泉坂下弥生時代の再葬墓遺跡から小さいメジロザメの歯を自分で掘った。
弥生時代遺跡でサメ歯は出土しているか気になり調べはじめる。。
●吉野ヶ里遺跡・[佐賀県神埼市と神埼郡吉野ヶ里町にまたがる。
吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき。
全長2.5kmの壕に囲まれた弥生時代の環壕集落跡]
サメ歯のヤジりが展示されていた。
北海道・続縄文時代。名寄・斜里町カモイベツで出ている。
東北地方・弥生時代。2つの墓の遺跡。
装飾品として玉と一緒に出ている。
●土井ヶ浜遺跡・[山口県下関市。弥生時代前期〜中期の墓地遺跡]
人骨にサメ歯を用いたヤジりが刺さっていた。
●高志神社遺跡・[佐賀県神埼市。弥生時代の村の遺跡もある神社]
甕棺の人骨にサメ歯を用いたヤジりが刺さっていた。
●山陰・九州に行った。鳥取・島根県・山口県・福岡県。
多くの遺跡でサメ歯は、多くて5点・少ないと1点だった。
飛び抜けて多い遺跡が2つあった。
●シコノ谷遺跡・島根県松江市。縄文時代前期〜晩期。
メシロザメ歯など156本が出土。機能歯がほとんど・歯根がある。
拾い集めたサメ歯か。
●白浜貝塚・長崎県五島市。五島列島福江島。弥生早期遺跡。
100点を超えるサメ歯が出ている。シロワニとアオザメの歯がほとんどを占める。
加工している歯もあり機能歯がほとんど。ヤジリに使われたか。
化石か歯か不明。
縄文時代の大量に出るサメ歯はなんだ。
戦で使われたサメ歯はなんだ。
●原の辻遺跡・長崎県壱岐島。弥生時代中期〜後期。大規模集落跡。
絶滅種2つのの化石が出ている。
●菜畑遺跡・佐賀県唐津市。縄文時代末期〜弥生時代の遺跡。
ホホジロザメの歯の化石?アオザメの歯が出ている。
●平城宮跡からサメと書いた木簡が出た。
奈良時代には愛知県から天皇に干したサメが送られている。
●北地古墳群・愛知県知多郡南知多町日間賀島。6世紀〜7世紀。
副葬品としてサメ漁の鉄製の釣針・石錘が出土。
大きな釣り針と釣り針から鉄の鎖がのびている。
●青谷上寺地遺跡・鳥取県鳥取市。弥生時代中期中葉。
サメとみられる絵が線刻されている銅剣が出土した。
●縄文時代サメ歯をわかっていたか。分かってないと絵は描けない。
サメ歯が生え代わることを知ったのはいつか。
サメ歯を北海道・東北・沖縄・山陰・九州と調べた。
まだ調べていないところがある。
ポイントとなる遺跡を選び調査していきたい。
長野県は海に面していないがサメ歯やサメ歯の模造品が出土している。