23/2/18 ひたちなか市の考古学 ヒスイ製玉製品について。 
河村好光先生。
日本でヒスイが採れるのは糸魚川だけ。
韓国・中国では採れない・ミャンマーで採れる。
碧玉は考古学で呼んでいる呼び方・岩石の名前ではない。
[碧玉へきぎょく。酸化鉄などの不純物を含む石英。緑色のもの。
赤色は鉄石英と呼ぶ。緑色凝灰岩・ヒスイは碧玉ではない]
ヒスイに穴をあける技術は新石器時代からあった。
弓を使用したと推定。今日でもインドに弓で穴をあける人がいる。
ヒスイに穴をあける道具には細いキリのようにした石を使った。
メノウを使ったものがある。
メノウにスジをつけて割り出して作ったようだ。
ガラスで作ったビーズは年代は新しくなる。
ガラスビーズが出てきても石のビーズに代わることなく石のビーズは残る。

●日本諸島の地域と時代区分。
●ヒスイ産出地帯・新潟県糸魚川市〜富山県朝日町の東西30kmの範囲。
●装いの大陸化。
縄文時代・同じ玉材の組み合わせ・多様な石質。・
弥生時代・碧玉管玉とヒスイ勾玉の組み合せ。
違う石材・形による組み合わせ。限られた石質。
●弥生時代の開始。生業・生活・文化の大陸化がはじまる。
大陸の要素と縄文の要素が共存。
●弥生玉の穿孔技術。
●ヒスイ勾玉の成立。
●倭人とビーズ。ヒスイ勾玉と碧玉管玉。大陸文化に連なる固有の民を表現。
漢書・地理志。
浪海中に倭人あり。分かれて百余国、歳時を以て来り献見すという。
●弥生時代勾玉出土数量の概要。
●倭人の原形が形成。弥生時代中期前半。碧玉管玉・大陸文化に連なる民。
ヒスイ勾玉・韓半島民と違う固有の民。
●弥生玉つくりの定着。
●ヒスイ材の流通。北陸から北部九州へ。
●ヒスイと鉄の交換。
●東に向かう碧玉管玉。北陸の弥生玉つくりの展開。
本州島東部の弥生ビーズ。
●弥生再葬墓の碧玉管玉。
●弥生文化の多様性。広域性と地域性。

●●以下はhp制作者のメモです。
人は6万年前アフリカをでた。
モンゴロイド狩猟採集民がマンモスを追いアジア大陸から米大陸に進出。
かつては陸続きのベーリング海峡を歩いて北米・中米・南米へ移動。
中米で栄えたマヤの人は日本人と同じモンゴロイド。
マヤでは王が亡くなるとヒスイで仮面を作り遺体にかぶせ埋葬した。
ヒスイは永遠の命をもたらすと信じられていた。
ヒスイ仮面以外にも使用していたヒスイの装飾品も一緒に納棺した。
死後も安らかに過ごせると考えた。
中米ではヒスイが採れる場所がある。
時にはヒスイは金よりも価値が高かった。