22/11/29 ひたちなか市 「湊鉄道」から「ひたちなか海浜鉄道」へ。
市民講座「こらぼDEまなぼ 学びのとびら」
吉田千秋先生・ひたちなか海浜鉄道代表取締役。
■湊線の歴史を学んだ。吉田社長の熱い想いをひしひしと感じた。講演後個人
的に少し話をしたときに「年に1度乗っていただくと助かります」といってお
られた言葉が印象に残った。かつて大谷村長の強い一念で武平鉄道が作られて
以来多くの人に支えられ現在のひたちなか海浜鉄道になっている。
以下はhp制作者のメモです。
■1872年・日本初の鉄道・新橋〜横浜間が開通。
■1889年・湊町ができる。
■1897年・日本鉄道が水戸〜平間を開業。勝田村に駅はなく水戸駅の次は佐和
駅だった。勝田村長大谷新介は、村勢発展のため日本鉄道へ駅増設を請願した。
日本鉄道は、漁港・那珂川水運起点の湊町への鉄道を計画し、その起点を勝田
駅とするならば考えると回答。大谷村長は村民に相談・勝田村武田〜湊町〜平
磯町への鉄道を計画・武田の武と平磯の平より武平鉄道と名付けた。
■1903年・武平鉄道敷設許可を政府に請願した。
■1904年・武平鉄道の敷設仮免許を取得。大谷村長が資金集めをするが集まら
ず。会社創立の目途がたたず、再々期限延期。
■1907年・水運が廃れ地元に鉄道敷設の気運が高まる。終点を平磯町から湊町
に変更し許可を得る・武平鉄道は名称を湊鉄道と改める。
■1908年・資金難は続き支援者を求めて大谷村長の東奔西走が続く。
■1910年・勝田駅開業。暴風で湊町漁業大損害。度重なる工事延期。社長に名
古屋電燈社長の加藤茂三郎が就任。
■1913年・勝田〜湊間運行開始。湯治客呼び込み・海水浴場への送客を行うが
不況に悩む。大谷村長は私財を投じその払った努力は並外れたものであった。
●●勝田駅前に「紀功碑」がある。23/1/15撮影。

■1916〜1936年・谷村一太郎が湊鉄道株式会社の社長になる。富山県出身。
中越鉄道に勤務後、大株主藤本ブローカー銀行へ。派遣され社長就任。
■1917年・湊鉄道株式会社は初めて配当を行う。地域の観光開発と連携し、磯
ア、阿字ヶ浦へ路線を延伸、観光鉄道として経営基盤が築かれる。
■1922年・1割配当。
■1923年・汽船廃止。勝田駅連絡設備完成・貨車直通運転開始・鮮魚・大部分
を湊駅扱い・利益大幅増。
■1924年・湊〜磯崎間運行開始・平磯への潮湯治客を運ぶ・酒列磯前神社を含
む磯崎地区の観光開発も視野。
■1925年・読売新聞「湊線へ直通列車・読売那珂湊遊覧団体に」
■1926年・平磯入口夏季臨時駅設置・海水浴輸送。
■1928年・磯崎〜阿字ヶ浦間運行開始。阿字ヶ浦海水浴場への旅客収入の増収
を図る。平磯〜阿字ヶ浦まで別荘地、海水浴場開発・休憩所・食堂・淡水プー
ル・遊園地。関東有数のリゾート地化
■1929年・湊線が水戸駅へ直通運転・1日2往復。富士ノ上停留所設置。
■1931年・中根駅設置。湊鉄道発行パンフレット「7月中旬から8月末まで頻
繁に省線各方面から阿字ヶ浦直通列車が新設」「団体列車もたくさん乗り換えな
し」「省線二割引社線三割引の磯めぐり往復券」高崎からの直通列車。
■1933年・不況脱出・海水浴客増加。
■1934年・湊漁港のサンマ・イワシの豊漁・鮮魚輸送量増。
■1935年・不漁により経営に影響・常に地域経済と密接な関係。
■1936年・谷村一太郎は社長退任。
■1938年・港町は那珂湊町となる。
■1939年・阿字ヶ浦駅北側に陸軍飛行学校工事用資材積み下ろしのため平磯駅
ホーム増設。
■1940年・日立製作所水戸工場発足。金上駅から工場へ引き込み線・工事関係
者・通勤にも使用。
■1945年・日立製作所水戸工場へ爆撃。湊線の機関車1両、客貨車1両被弾。
終戦で那珂湊港へ線路を引き弾薬投棄。戦後の燃料不足。車より低燃費で輸送
力があり地元の輸送を支えた。
■1946年・那珂湊町に天然痘が発生・27日間交通遮断。旅客収入190万円・貨
物収入24万円。運輸収入下期105万円。
■1947年・旅客収入780万円・貨物収入118万円。那珂湊大火。弾薬投棄用線
路撤去。那珂湊のサンマ漁 25万5千貫。
■1948年・旅客収入1976万円・貨物収入528万円。
■1949年・旅客収入2307万円・貨物収入770万円。
■1950年・那珂湊のサンマ漁活況149万3千貫。甘藷の輸送も活況・平磯の潮
湯治繁盛、阿字ヶ浦の海水浴客繁盛・運輸収入上期1,476万円。
■1953年・貨物輸送のピーク。戦後から約10年間の短い好景気の後、貨物輸送
は1953年をピークに車貨物輸送のため減少する。
■1954年・那珂湊町は那珂湊市となる。
■1959年・湊線輸送減少。夏季輸送や沿線史跡への集客を図るが対策にならず。
■1960年・宇都宮からしおかぜ号。国鉄からの乗り入れ車両。
■1965年代・阿字ヶ浦近く米軍射爆場の返還・平磯の旅館の米軍関係者の利用
なくなる・米軍貨物輸送も終了。レジャー大衆化・海水浴活況・阿字ヶ浦海岸・
北関東一円から海水浴客。
■1969年・上野から急行あじがうら号、小山・真岡・水郡線から直通列車。
■1970年・平磯駅・磯崎駅・阿字ヶ浦駅で貨物輸送廃止。
■1973年・那珂湊駅構内に売店を開設。
■1974年・鉄道運賃を大幅値上げ。夏季休暇シーズンに上野駅〜阿字ヶ浦駅
への直通電車。
■1975年・自動券売機を那珂湊駅に設置。
■1977年・自動券売機を平磯駅・磯崎駅・阿字ヶ浦駅に設置。 平磯駅・磯崎駅
を無人化する。
■1979年・急行あじがうら運休。
■1984年・貨物取り扱いを全線で停止、旅客輸送人員減少。那珂湊市と勝田市
と合併しひたちなか市となる。
■1998年・常陸那珂港建設・阿字ヶ浦海水浴場の砂浜浸食・来訪者減。
■2007年・茨城交通経営危機・鉄道・バスの利用者減少。廃線申入れ・最盛期
1965年350万人・2007年70万人。ひたちなか市民が存続を希望。官民一体で
湊線の活性化に取り組むことに合意・存続決定・社長公募。
■2008年・茨城交通株式会社から分社化、ひたちなか市と茨城交通株式会社が
共同出資する第3セクターのひたちなか海浜鉄道として運行開始。公募により
吉田千秋が社長就任。利用者を増やすため、地元の人たちの理解と賛同を得な
がら、サービスの向上や通学定期の値引き、ダイヤ改正、タイアップなどの経
営努力を行う。
■2011年・東日本大震災・全力で復旧に取り組み全線で運行再開。
■2012年・輸送人員減少・震災前の水準回復を目指す。
■2013年・輸送人員が増加、震災前の水準を上回る。銚子電気鉄道と姉妹鉄道
を提携。湊線開業100周年。
■2014年・高田の鉄橋駅開業。
■2021年・海浜公園西口付近までの延伸許可が認可される。美乃浜学園駅開業。