22/11/26 那珂市 上宮寺親鸞聖人報恩講 真宗本願寺派。 
「煩悩を転ずるすくい~二河白道の物語り」御満座法要。
本多静芳師 東京・万行寺住職。
[ ]はhp制作者メモ。
●●01

■ご讃題。
罪障功徳の体となる こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし。高僧和讃。
[罪や障りが覚りのもととなる。その関係は氷と水と同じで、氷が多ければ多い
ほど、溶けたときの水は多くなる。同じように障りが多ければ、覚りの徳も多
くなる]
●●02

■他人ごととみるか我がこととみるかで受け止め方が変わる。 
娘が亡くなり、死後のことが他人ごとでなく我がこととして受け止めた人の話。
江戸時代のはなし。石見国高見村に医者石橋寿閑がいた。禅宗檀家だが仏法に
縁がなかった。50才で妻と娘の3人家族だった。
約130km離れた柳瀬村に医者錦織玄周がいた。熱心な浄土真宗門徒だった。錦
織は高見村へ往診することがあった。日帰りは困難で錦織は石橋宅に度々泊め
てもらった。
錦織は朝夕仏壇に手を合わせた。石橋宅は禅宗だが仏壇があると思い「仏壇は
どこ?」と尋ねた。「家に仏壇はない」「人生の依りどころを持たないのか?」
石橋は笑って「医師らしくない。浄土真宗の坊さんの死んで浄土に往く話を信
じているのか? 人は死んだら終わり。血液が循環するから手足が動き話しがで
きる。血液の循環が止まれば終わり。死ねば地獄や極楽へ往かない。地獄極楽
の話は爺さんや婆さんから坊さんが金を巻き上げるためのもの。私はそんなも
のを信じない」錦織は自分を絶対と思っている人には何を言ってもだめ、私も
仏縁がなければ石橋のようになっていたと思った。蓮如上人は、仏法を聞く機
縁の熟していない人や、真剣に法を聞く気のない者に話してもだめといってい
る。それから錦織は石橋宅に行かなかった。
3年後、錦織は高見村にきた。挨拶しないのも心苦しいので石橋宅を訪ねた。
石橋に会うと阿弥陀如来を安置した仏壇があった。「どうしたの?」と聞くと、
石橋は涙を浮かべ「ひとり娘の成長が楽しみだった。大切に育てた娘が病にな
り手を尽くしたがだめだった。半日も持たないというとき、娘は苦しみながら
「お父さん、私は死ぬの?」私は答えられなかった。娘は再び聞く「私は死んだ
らどこに行くの?」私は答えられない。死後の世界はない。地獄も極楽もない。
死んだらおしまい。普段は言っていたことを娘には言えなかった。私は意を決
っして「人は死んだら極楽浄土へ往くんだよ」と言った。娘はニコリと笑い「お
父さんもお母さんも極楽へ往くの?」「そう。みんな往く。先に往って待ってい
てね」「それなら安心。極楽にはどうすれば往けるの?」私は何も答えられない。
妻がお爺さんやお婆さんが話していたという「極楽浄土には阿弥陀如来がいる。
慈愛に満ちた心で私たちを救い取ってくれる。念仏を称えようね。なんまんだ
ぶ、なんまんだぶ。もう仏さまがお前を抱いてくれているよ」それを聞くと娘
は「そうなんだ。なんまんだぶ、なんまんだぶ。お父さんも、お母さんも後か
ら来てね。待ってるね」娘はそう言って亡くなった。
それから私と妻は泣き明かして暮らした。私はいつ命を終えるかもしれない、
私は娘と同じところへ行けるのか? 不安になり寺へ行き障子の外から隠れて
説法を聞くようになった。自分の姿が照らしだされた。私は地獄に生まれる身、
同時にその私を捨てない阿弥陀如来の慈悲が私に届いている。気が付けば、私
も仏縁をもつ身となった。禅宗の家だが今は阿弥陀如来をお迎えし朝晩と手を
合わせお礼を申し上げている」
●●03

■物語りとは、私を知らせ、気づかせ、育てる。河合隼雄先生の説。
説明は誰が聞いても、客観的・正しいがあたたかさがない・冷たい。物語りは
私に問いかけ、私とは何かを考えさせる。心の奥深くに届くものがある。正信
偈は物語になっている。
■二河白道は善導大師613〜681の作ったたとえ話。私はやがて終末を迎える、
限りある人生、死への道を歩いている。二河白道は浄土への往生を願う私が信
を得て浄土に至るはなし。煩悩のなかに清浄な往生を願う心が生まれるという。
■無人の原野を旅人が西に向かって1人歩いて行く。途中、 突然2つの河が現
れる。1つは火の河で南にあり、1つは水の河で北にある。河の幅はそれぞれ100
歩ほど。深くて底なく、果てしなく南北に続いている。水の河と火の河の間に幅
10数cmの1本の白い道がある。白い道の東の岸から西の岸までの長さは100歩
ほど。白い道には水と火が常に押し寄せている。水の河は波が常に道に打ち寄
せる、 火の河は炎が常に道を焼く。 水と火とが襲いかかり続ける。旅人が河岸
にいると盗賊や恐ろしい獣が近づいてくる。引き返しても死ぬ、 とどまっても
死ぬ、 進んでも死ぬ? どうせ死ぬなら前に進もう・道があるから渡れるかも。
その時、東の岸より「この道をたづねて行け」と声が、西の岸より「直ちに来
れ、我よく汝を護らん」と呼ぶ声。旅人は迷わずに白い道の上を西へ向かう。
少し歩くと東の岸から盗賊が「戻ってこい。 その道は危険だ」と叫ぶ。旅人は
迷わずに道を進み西の岸に着いた。善き友と会い喜びも尽きなかった。
■たとえの説明。「無人の原野」真の善知識に遇わない。「旅人が西に向かって1
人歩いて行く」私はやがて終末を迎える、限りある人生、死への道を歩いてい
る。「火の河」私の瞋恚しんに・いかり・愚痴おろかさの心。「水の河」私の貪
欲むさぼり・餓鬼の心。「深くて底なく」私の煩悩の底が限りなく深く暗いこと。
歎異抄の、さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし。人は限り
ない暗さと悪への可能性がある。「果てしなく南北に続いている」深さだけでな
く広がりをもった煩悩。「波が常に道に打ち寄せる」貪りの心が常におこり信心
を汚そうとする。「炎が常に道を焼く」怒りの心が信心の功徳を焼こうとする。
「東の岸」迷いの娑婆世界。「西の岸」極楽世界。「盗賊」本願他力の教えと異
なる道を歩む人。「恐ろしい獣」私の六根・六識・六塵・五陰・四大。「六根」
眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根。「六識」眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・
意識。「六塵」六境ともいう。色境・声境・香境・味境・触境・法境。「五陰」
色(物質)・受(感受)・想(知覚)・行(その他の心)・識(識別)。「四大」地・
水・火・風のことか? 「東の岸よりの声」釈尊の教え。「西の岸よりの声」浄
土の阿弥陀如来の本願のよびかけ。「白い道の上を西へ向かう」自力の行を捨て
浄土へ向かう。「旅人は迷わずに道を進み西の岸に着いた。善き友と会い喜びも
尽きなかった」念仏して阿弥陀如来の本願のはたらきに身をまかせ、この世の命
を終え浄土に往生し歓喜する。
●●04

■独来独去 無一隋者。無量寿経、善悪報応し禍福相承けて身自らこれに当たる、
誰も代わる者あることなし。一人の善悪の行為が、禍(わざわい) 福(福徳)とし
て報い応じる。すべて自己が背負うべきこと、誰ひとり代われない。
[■東井義雄師のことば。
独来独去 無一隋者。無量寿経より。
独り来たり、独りさり、一(いつ)の随う者なし、いざとなったら人間、独りだ。私は世界
に一人しかいない。無有代者(代わる者あることなし)・この大変さを代わってくれる者
がない。みんな人間は、自分の荷物はどんなに重くても辛くても、自分で背負って生
きるしかない。「代わる者あることなし」と、「代わる者なし」とは違うらしい。「代わる者
なし」は、たまたま、そのとき「代わる者がいなかった」という程度のこと、「代わる者あ
ることなし」は、いつまで待っていても、どこへ行って探しても「代わる者が金輪際い」
ということ。親でも子どもに代わって生きてやることはできない。仏さんでも代わって生
きてくださることができない。独りぼっちなんです]
●●05

■水は貪欲むさぼり・餓鬼。火は瞋恚しんに いかり・愚痴おろかさを表す。
[貪欲・瞋恚・愚痴を三毒、三種の煩悩という。私は三種の煩悩の中にある。
釈尊が教えてくれる白く細い道を歩く。阿弥陀如来の本願「必ず救うまかせよ
と南無阿弥陀仏の御名前となり絶えず私に呼びかけられている。私は称名念仏
を称えるだけ。阿弥陀如来が待っていてくれる彼岸に向かって歩く]
●●06

■たとえ話は私の姿を教える。
乗っていた船が難破した。私のまわりを見渡す。海に浮んでいるのは私と友人
だけ。つかまるものもなく自分で浮いているだけになってしまった。そのとき、
1枚の板切れが漂ってきた。板切れにつかまりるのは1人だけ。そのような状
況の時どのような行動をとれるだろうか。人は一皮むけば貪りの煩悩がでてく
るのではないだろうか。
●●07

■信楽峻磨師は若いころ地方の寺で法話をした。60代の男性がら「お礼をいい
たい、亡き母の地獄間違いなしの言葉がわかった」と言われた。
信心の人は物語りに目が覚める。自分に問い、自分に課題し深まる。今まで見
えていなかったものが分かる。
[信心の人は「わからない」という思いを常に持って生きる人かもしれない。
それは死後の世界というわからないものに近づくために、自身に与えた方法な
のか。
男性の母は念仏三昧の日暮をしていた。しかし煩悩の身・これでは地獄間違い
なし。しかし信心のある母を阿弥陀如来が救ってくれている。今は浄土に往生
している。煩悩の氷が多ければ多いだけ、解けた水も多くなる。
煩悩が起こっている私に阿弥陀如来のはたらく場がある。
「男性の母は罪や煩悩がそのまま覚りの種だと言い切れる世界が開けた人で、
豊かな人生を生きていたのではないか?」
[●渋柿の 渋がそのまま 甘味かな。
渋柿の皮をむいて軒先に吊りさげておけば、太陽の光に当たり、寒い風にさら
されているうちに甘柿に変わる。渋がなくなって甘くなるのではない。
今「渋柿」の私。念仏を称え続けれは、いつの日にか如来の本願力により
煩悩・渋が消え救われる]
●●08

■御文章。
末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして阿弥陀仏
をふかくたのみまいらせ、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏た
すけたまへと申さん衆生をば、たとへ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来
はすくいまえらすべし。これすなわち第18の念仏往生の誓願のこころなり。か
くのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、
称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
■上宮寺山門前掲示板の言葉。
南無阿弥陀仏の世界は お互いに ほめ合いの 世界であります 

どうしてケンカができましょうか 平和な世界です
すこしづつでも マネをしましょうね 合掌。

 谷口邦彦先生。