22/11/12 常陸大宮市の集中曝涼他。
[ ]はhp制作者のメモです。
■高部宿。
高部宿までいく周辺の景色は山に囲まれ樹木は紅葉がきれい。
その中にちょっと雰囲気の異なる街並みがあらわれる。
なぜ山の中に突然このような街並みが現れるのか。
●01川・水がきれい。
高部宿周辺は気候風土がコウソに適し和紙作りが盛んだった。
和紙は鬼怒川・利根川から江戸へ運ばれた。
高部宿は物資集積地とし幕末には水戸藩公許の紙問屋が3軒・商人が多くいた。
高部宿は和紙需要が低迷後も酒造・運輸・金融で独特の町並みを形成した。
●02街並み・洋風の家がある。
近年、地元住民を中心に「森と地域の調和を考える会」がつくられた。
活動のひとつに住民による貴重な文化財の掘り起こしが行われ
喜雨亭きうていと養浩園ようこうえんの整備も含まれた。
2019年・文化財庭園保存技術者協議会による「次代の文化を創造する新進芸術
家育成事業」の研修会場に養浩園が選定され、庭園技術者延べ200人余りによ
り堆積土砂の除去・植栽の伐採・剪定を実施し、養浩園は蘇った。
2022年・喜雨亭と養浩園が国登録文化財になった。
■03喜雨亭。
喜雨亭は木造3階建の楼閣。杜甫の詩・春夜喜雨・春夜雨を喜ぶから命名。
文人・墨客との交流や客人を接待する場だった。
室内には絵画・書・歌が襖や壁などに貼られている。
●04喜雨亭2階から養浩園を見る。
■養浩園。
浩は浩然之気からとった文字。
浩然之気は天地の間に満ちている大きくて強い気のこと。養浩園は回遊式庭園。
●07養浩園入口門から庭園を見る・奥行きを感じる。
池の水は山の谷水を酒蔵に引き込みその余り水を池に流した。
樹木はウメ・ヒノキ・コウヤマキ・ヒバ・ヤシオ・モミジがある。
●11養浩園から喜雨亭を見る。
■12吉田八幡神社と三浦杉。
807年創建と伝わる。参道の大きな2本の杉は樹齢800年以上・樹高59m。
伝説によると1155年・三浦大介義明は9尾の妖狐退治の勅命により相模の国から
4人の家来とやってきた・八幡宮に妖狐退治を祈願し那須野が原に向かった。
妖狐は強かった。そこで再度八幡宮に祈願・大神に策を授かり退治できた。
御礼に2本の杉を植えた。杉は鎌倉杉の男杉・女杉と呼ばれた。
1695年・光圀が美和巡村した時、杉の由来を知り三浦杉と呼ぶようにしたという。
●13
●14ナンテン。
■常陸大宮市歴史民俗資料館。
永田茂衛門展示コーナーがあり以下のような説明があった。
[那珂川と久慈川・ふたつの川に挟まれた常陸大宮市はメソポタミアだ]
川沿いの低地は、一見すると水が豊富で 農地に適しているように思える。
しかし、実際は川の水面よりも高い場所にあり川の水を引くことができない。
そのため、上流に堰を造り水を引き込み、台地に沿って長い用水路を引いて
水田を作れるようになった。
江戸時代の初め頃、この地域で大規模な灌漑工事が行われた。
事業を託されたのが永田茂衛門・勘衛門親子だった。
そして那珂川と久慈川に造った 3つの堰が、辰ノ口堰・岩崎堰・小場堰だ。
用水路は常陸太田市・那珂市・水戸市・ひたちなか市にまたがる。
現在も農地を潤している。
別な展示コーナーに重要文化財 人面付壺形土器 いずみちゃんがあった。
●人面付土器いずみちゃん・弥生時代・高さ77.7p。17/12/2撮影。
●17/12/2・3 泉坂下遺跡国史跡・出土遺物国重要文化財指定記念
シンボジウム なんたっぺ? 泉坂下で配布された小さな便箋。