22/10/5 ひたちなか市 正安寺 同朋の会 真宗大谷派。
同朋新聞10月号を参考に親鸞聖人にであうと今月の法話記事について
住職さまのお話をきく。
●●01

■親鸞聖人にであう。
9歳で出家した親鸞聖人は比叡山延暦寺で仏道修養の生活に入る。
論湿寒貧・厳しい修行三昧の日々だった。
論湿寒貧、論は厳しい修行・湿は蒸し暑さ・寒は冬の寒さ・貧は質素な生活。
忘己利他、私欲を離れて人の悦びに尽くすこと。
断惑証理。
惑は煩悩・苦しみの種の事・煩悩は自分を悩ませたり迷わせたりする心。
三毒の煩悩・貪瞋痴。
貪欲、あれもこれも欲しいが止まらない。
瞋恚しんい、気に入らないと腹が立つ。
愚痴、真理に暗い。
痴は私は知っている、わかっていると思い込んでいること、自分の都合でしか
物事を了解できない。私は大丈夫、きちんとわかっていると思っている。
それを仏教では無明という。
●●02

■今月の法話
私は正しい 争いの根は ここにある。私は自らの正しさ、価値観を握りしめ
生きている。それが本当に間違いのない、あてになるのかを確かめなければ、
それは独善になる。自らを教えに聞いていくことが大切。
私は、わがままで、身勝手で、自分を優先する。他人から指摘されてもなかな
かうなずけない。私は正しいと信じて疑わない。
親鸞聖人は一念多念文意に、自力というは、わがみをたのみ、わがこころを
たのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり、という。
親鸞聖人は「自力をはげむひと」を善人とし、悪人について歎異抄で煩悩具足
のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれ
みたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみた
てまつる悪人、もっとも往生の正因なり。と、他力・弥陀の本願をたのむ人を
悪人といっている。
自らの物差しを握りしめ、自らの考えを依り処にして生きている私の姿を、
届けられている教えによって、自身の生活の中で「思い当たる」という形で
自覚していく。自力をはげむ善人として生きている姿を知らされる。
それが教えに聞いていくということ・聴聞。
教えを通して、自分の愚かさ、浅ましさに気づかせてもらう。

■掲示板の言葉。
●●03

良い人とは 自分にとって都合の良い人 
悪い人とは 自分にとって都合の悪い人
(浄土真宗法語ツイッターより)