22/9/25 上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
平野俊興師 千葉県市原市 中原寺前住職。
[ ]はhp制作者メモ。
●●01
■ご讃題。
[聞きとれなかった・元照律師・教行信証・行巻から以下のご讃題だった??]
いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に
誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除
き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なりと。
[阿弥陀如来は名号をもって衆生を摂め取る。名号を耳に聞き、口に称えると、
限りない尊い功徳が心に入り、長く成仏の因となる。はかり知れない長い間に
つくり続けてきた重い罪が除かれる。この上ない仏のさとりを得ることができ
る。まことに名号はわずかな功徳でなく、多くの功徳をそなえている]
■元照1048〜1116年。北宋代の人。南山律を再興し南山律宗の16祖。若い頃
は浄土教を否定、30代に重病になり死後の不安を感じ浄土教に帰依した。
■阿弥陀如来は名号をもって働いて下さる。{阿弥陀如来の本願はかならず救う
まかせよと南無阿弥陀仏のみ名となりたえず私によびかける。このよび声を聞
きひらき阿弥陀如来の救いにまかすとき永遠に消えない灯火が私の心に灯る}
■御堂はありがたい。御堂にいると南無阿弥陀仏が称えられ私の心の中に功徳
が入ってくる。名号を称えると功徳・仏のさとりを得ることが出来る。
■自分にとってハットするような言葉ひとつに出遭って欲しい。
■法話で何度も同じことを聞かせていただく。
■念仏弾圧・九州はかくれ念仏・東北は隠し念仏があった。[如来の救いにまか
すとき永遠に消えない灯火が私の心にともる]灯火が灯ると宗門改めをしても
灯火は消えない。
●●02
■eテレこころの時代で歎異抄をシリーズでやっていた。明治期大逆事件で絶命
した高木顕明師の生き方も紹介されていた。
[高木顕明・1864年〜1914年。真宗大谷派僧侶。愛知県生まれ。和歌山県新宮
市浄泉寺住職。非戦論者・公娼制度に反対。1910年・幸徳秋水の談話会を浄泉
寺で開催・大逆事件の関与で逮捕・死刑判決。僧籍削除処分・一家は寺から追
い出される。1914年・服役中に自殺。1996年・僧籍復帰される]
■如来の真実。[阿弥陀如来の本願はかならず救うまかせよと南無阿弥陀仏の
み名となりたえずよびかけられている]差別がない。皆が平等。
■利他の心。自分が穏やかになると他人も穏やかになる。
■正信偈龍樹章「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号
応報大悲弘誓恩」[弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即のとき必定に入る。
ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり]
■他人をおもう利他の心[自利利他。自利は自らを利する意・修道により善い効
果の利得を自分に受け取る、利他は他を利するの意、自己のためでなく諸々の
有情の救済につくす]
[念仏申すところに阿弥陀如来はいる。わが名をよべ・南無阿弥陀仏。無限の
聖徳がある。念仏すると阿弥陀如来の心が私の心にみたされる。阿弥陀如来は
親さま。私たちは常識で生きている。不可思議は常識ではない]
■歎異抄1条。弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるな
りと信じて念仏申さんとおもいたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の
利益にあづけしめたもうなり。弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれ
ず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生を
たすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあ
らず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願を
さまたぐるほどの悪なきゆえにと。
●●03
■稲盛和夫さんが亡くなった。稲盛さんは毎日なんまん、なんまん、ありがとうと
称えていたという。稲盛さんは鹿児島生まれ。江戸時代薩摩藩が浄土真宗
を禁じ弾圧した。仏壇や仏像を山奥に隠して信仰を守り続けた。稲盛さんが幼
いとき父と山奥にいった。坊さんと親戚の人たちが念仏を称えていた。
稲盛さんは後ろで手を合わせて拝んだ。坊さんが父親に「この子は大丈夫。
もう来なくてよい」といった。稲盛さんに「坊や、今後はずっと、なんまん、
なんまん、ありがとうといいなさい。毎日仏さんに感謝の念を捧げるんだ」と
いった。「南無阿弥陀仏」を鹿児島では「なんまん」という。稲盛さんは
「なんまん、なんまん、ありがとう」といい続けたそうです。
●●04
■群青という歌がある。真宗とは直接関係はないが真宗の讃仏歌と
一緒に歌われている。
作詞は福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生・
作曲は音楽教師小田先生。
作詩した生徒は3月震災当時1年生で106名いた。震災で2名亡くなり、
原発事故で住めなくなった生徒もいた。4月からよその中学校を
間借りし再開された。2年生に進級した生徒は67人だった。
他所に引っ越した生徒がいた。
67名の生徒は心を痛め音楽の授業で歌が歌えなくなった。
小田先生は大きな日本地図に小高中を離れた生徒の写真を貼り付けた。
離れて行った友達への想いを語る場となった。生徒と小田先生は友達への想い
の言葉を詩とした。生徒が3年生に進級、群青の歌詞ができた。
詩に小田先生が作曲して、 平成24年度卒業式に歌った。
群青は校歌に言葉があること・文化祭を群青祭ということなどから名づけられた。
■群青。
ああ あの町で生まれて 君と出会い たくさんの思い抱いて
一緒に時間を過ごしたね 今旅立つ日 見える景色は違っても 遠い場所で
君も同じ空 きっと見上げてるはず・・・略
あれから2年の日が 僕らの中を過ぎて 3月の風に吹かれ
君を今でも思う 響け この歌声 響け 遠くまでも あの空の彼方へも
大切な すべてに届け 涙のあとにも 見上げた夜空に 希望が光ってるよ
僕らを待つ 群青の町で きっとまた会おう あの町で会おう
僕らの約束は 消えはしない 群青の絆 また会おう 群青の町で...。
■弥陀の名号となえつつ
親鸞聖人御和讚 作曲: 平田聖子
弥陀の名号 となえつつ 信心まことにうるひとは
憶念の心 つねにして 仏恩報ずる おもいあり
■恩徳讚
親鸞聖人御和讃 作曲: 清水 脩
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし
●●05
■御文章。
聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候ふ。
そのゆえは、もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として、仏のかたり往生は治定せしめたまふ。
その位を一念発起入正定聚と釈し、そのうえの称名念仏は、
如来わが往生を定めたまひし御恩報尽の念仏とこころうべきなり。
あなしこ、あなかしこ。
■上宮寺山門前掲示板の言葉。
「明日」は「明るい日」 ?東井義雄ー
なにげない言葉ですが未来に希望を持つ 今を生きるためには
明るい「明日」がなければ 生きられない
今生を生きるには確かなお浄土が必要です 暗い世にはお念佛です
いま一度自分の人生をお考えになったらいかがでしょう ー前住ー
[上宮寺だよりより。ほのぼのカレンダー1月は「明日は明るい日」、この言葉に
ついて作者の東井義雄先生が書いている。
下関市の出会ったこともない小学生の女の子から手紙がきた。
女の子「もうすぐ卒業、名残りおしくなり、ごみを見ると拾いたくなり、ゆが
んでいるもは整頓したくなる。しかし、卒業の向こうに中学生としての誕生が
待っているので、うかうかしてられない」
東井先生「私も人生の卒業を目の前にしている、あれも、これもしておかなけ
ればと、忙しい毎日を過ごしている。しかし、私にも永遠への誕生が待ってい
るので、心を新たに頑張らなければならない」と返事した。
女の子「人生の卒業の向こうに、何もないと思っていた。永遠の誕生があった、
よいことを教えてもらった。それで「明日」という字は「明るい日」と書くんですね」
東井先生は女の子から素晴らしいことを教えてもらった。「今日」がある以上、
必ず「明日」がある。「今日」がどんなにつらい日であっても、必ず「明日」が
ある。「今日」がどんなに悲しい日であっても、必ず「明日」がある。「今日」
があり「明日」があることはあたりまえと思って生きてきた。必ず「明日」が
あり、それを「明るい日」として与えられる、素晴らしいことだと、目覚めさ
せてもらった。素晴らしいことを女の子から教わった。私の教えてもらった
「忘れられないことば」が誰かの役に立てば幸せだ。