22/8/25 那珂市本米崎 上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
■全員で正信偈を称える。
■桑原昭信師 広島県呉市 浄円寺。
[ ]はhp制作者メモ。
●●01
■ご讃題。
本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし。
[阿弥陀如来の本願は必ず救うまかせよと絶えず私に呼びかける。
救いのはたらきのなかで生きている人で、この世を空しく過ごす人はいない。
それは阿弥陀如来の功徳がその人に海のように満ち溢れるようになるから。
汚れた水のような煩悩も、そのはたらきを遮ることはない]
■広島ではお盆に盆燈篭を持って墓参りをする。盆灯籠はスーパー・コンビニ
でも買える。盆灯籠はお墓の周りに立てる。初盆は白い盆燈籠をを飾る。
初盆以外は赤・青・黄などの色紙を貼った盆灯籠を墓の周りに立てる。
●●02
■九州小倉ではお盆に真宗門徒の家を僧侶が廻りお参りする。
長い間お盆に手伝っている。真宗門徒の家で重誓偈・讃仏偈・はなしをする。
指名をしてくれるおばあさんがいる。
おばあさんの家には最後に行く。重誓偈・讃仏偈・はなしが終わった後に
おばあさんのはなしを聞く。ある年のはなし。
息子の家に仏壇を買うようにいっているが息子は買わない。
おばあさんの家に仏壇があるので自分の家に仏壇はいらないという。
息子はおばあさんの家に来ても仏壇の部屋に入らない。
おばあさんはあるとき息子に言った。
今度家に来たら玄関の花を見て欲しい。次に仏壇に飾った花を見て欲しい。
私は年をとったので奇麗に花を飾ったつもりでも上手くいかないかもしれない。
花を見て体調をみて欲しい。その後息子は仏壇に向かうようになってきた。
一緒に仏壇に向かい手を合わせ、我が拠りどころをいただいている。
●●03
■ある学校で一家団欒の絵をかく宿題があった。ある生徒は家族が横一列にならび
阿弥陀如来に向かい手を合わせている絵をかいた。
[弥陀如来の本願は かならず救うまかせよと 南無阿弥陀仏のみ名となり
たえず私によびかけます
このよび声を聞きひらき 如来の救いにまかすとき 永遠に消えない灯火が
私の心にともります
如来の大悲に生かされて 御恩報謝のよろこびに 南無阿弥陀仏を称えつつ
真実の道を歩みます]
●●04
■御文章。
聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候。
そのゆえは、もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたもう。
その位を一念発起入正定聚と釈し、そのうえの称名念仏は、
如来わが往生を定めたまいし御恩報尽の念仏とこころうべきなり。
あなかしこ、あなかしこ。
■上宮寺山門前掲示板の言葉。
「おかげさま」と 言える人生に 孤独はない
現代はこの言葉が死語になっています
みんなで復活させましょう 合掌。
●●05
■以下はhp制作者のメモです。
小倉のおばあさんが息子と阿弥陀如来に向かい心の拠りどころをえる。
ある学校の生徒の家族が阿弥陀如来に向かい心の拠りどころをえる。
生徒は一家団らんということばから阿弥陀如来の前に向かう家族を思った。
弥陀如来の本願は、かならず救うまかせよと南無阿弥陀仏のみ名となり
たえず私によびかけられている。それはひとりひとりが阿弥陀如来と
向き合う姿である。
因速寺住職武田光定師は「阿弥陀如来を前にして釈尊・親鸞聖人・同朋の方・私は
横にならぶ。阿弥陀如来から同じ信心を賜る。こちらは信ずる必要がない。
だから私の信心も親鸞聖人の信心も同じとなる。私の前に道はない。横と後ろ
に道がある」といってたと思う。
■一家団らんに阿弥陀如来の前にならぶという表現は違和感がある。
■相澤忠洋さんの著書「岩宿の発見」に書かれた「一家団らん」の言葉を思う。
相澤さんは日本で最初に旧石器を発見した人。日本人の祖先の生活を想い行商
をしながらの旧石器発見だった。本には何度も「一家団らん」という言葉が
出てくる。小さいときに親が離婚。寺の小僧・草履屋の丁稚になる。小学校は
夜学。戦争で海軍。戦争後自転車で赤城山麓の遺物発掘・食べるため自転車で
行商。本に書いてある「一家団らん」の例。
「家族そろっての正月の一家団らんは本当に楽しかった」
「私のそれは、祖先の一家団らんの場で使われたにちがいない石器を手にして、
その肌に隠された夫婦、親子などの人間関係への郷愁と思慕によるものだった」
■相澤さんの「一家団らん」は家族が向かい合って話をし食事をする場面
だったように思う。そこには温かい愛情があったはず。