22/8/10 ひたちなか市の生産遺跡。-瓦-
ひたちなか市生涯学習講座。
田中美零先生 埋蔵文化センタ
■瓦の起源。
アジア最古の瓦は紀元前11世紀に中国で作られた。陝西省岐山県の鳳雛遺跡
から大型の瓦が出土した。当時は屋根の周りを縁取るように葺いた。
瓦には落下防止の瓦釘や瓦環・粘土を貼り付けた突起があった。
■日本の瓦作りは596年に建立された飛鳥寺から始まる。
●●奈良県・飛鳥寺。平城京遷都で寺も移り元興寺となる。建築材は平城京に
運ばれた。大仏は飛鳥寺に残った。9/7/10撮影。

朝鮮半島から寺院建立のため寺工2名・鑪盤博士1名・瓦博士4名・
画工1名が日本にきた。その後瓦は宮殿・官衙・城郭・寺院で使用される。
一般住居は江戸時代から使用される。
■瓦の名称。
●丸瓦。土管を半裁し一方を細めにした形・無断の瓦。瓦の合わせ口に段差を
つけた有段もある。
●平瓦。長方形の板が緩やかにUの字に湾曲した形の瓦。
●軒丸瓦。丸瓦の先端に円形の瓦当がとうという文様が描かれたものを接合
した瓦。古代では蓮の花をかたどった蓮華文が多い。
●軒平瓦。平瓦の先端に粘土を貼り付け瓦当部分を作り、手描きや型で文様を
付けた瓦。
■軒丸瓦の種類。
素井蓮華文軒丸瓦・6世紀末頃・奈良県 飛鳥寺。
単弁蓮華文軒丸瓦・7世紀中頃・奈良県 山田寺。
複弁蓮華文軒丸瓦・7世紀中頃・筑西市 新治廃寺跡。
巴文軒丸瓦・12世紀以降・つくば市 日向廃寺跡。
●●つくば市北条 日向廃寺跡。宇治平等院鳳凰堂式阿弥陀堂跡10/12/25撮影。 

忍冬文軒平瓦・7世紀前半・奈良県 法隆寺若草伽藍。
重弧文軒平瓦・7世紀中頃・奈良県 山田寺跡。
偏行唐草文軒平瓦・7世紀後半・東京都 武蔵国分寺跡。
均整唐草文軒平瓦・8世紀以降・筑西市 新治廃寺跡。
■その他の瓦・道具瓦。
●鬼瓦。屋根棟の先に葺かれる雨除けや飾りの瓦。魔除けとして鬼の顔が多い。
●鴟尾しび。大棟の両端を飾る瓦。沓形の瓦が多い、金属や石のものもある。
●熨斗のし瓦。雨除けに棟の上に高く積み上げる瓦。主に平瓦を半裁して使用。
●面戸めんど。丸平瓦が棟と接触する部分の隙間を埋める瓦。
■本瓦葺き。丸瓦と平瓦を交互に積み葺く。
■桟瓦葺き。軽量で波型の瓦を積み葺く。
■瓦作りの技法。
●丸瓦・一本作り。1本の木型に粘土紐や粘土板を巻き付け、土管状の筒を作り
半裁する。
●平瓦・桶巻作り。桶状の型に粘土を巻き付け3〜4枚に分割する。
●平瓦・一枚作り。かまぼこ型の台に粘土を置き瓦一枚分の大きさに成形する。
7〜8世紀前半の地方寺院で桶巻作りが多い。741年に国分寺建立の詔が発布
され、全国に国分寺が建立されると、大量の瓦が必要となり、生産効率のよい
一枚作りが多くなる。
■瓦作りの痕跡。
●糸切り痕。粘土板を糸で切った時の線が同心円状に残る。円の広がり方で
切った方向がわかる。
●布目痕。桶や台に被せる布目痕跡が残る。
●叩き具の痕。格子叩き・目叩き。
■ひたちなか市の原の寺瓦窯跡・奥山瓦窯跡。
●ひたちなか市北部の足崎にある。東海村と境の新川水系に樹枝状に形成
された谷津の斜面に瓦窯跡がある。原の寺瓦窯跡と奥山瓦窯跡は直線距離で
約800mの位置にある。
■原の寺瓦窯跡。
1974年・勝田第三中学校の遺物に布目の痕跡の瓦があった。その後、
先生と生徒が多量の瓦が出土する場所を見つけた。
1976年・第1次調?・窯跡1基。
1979年・第2次調?・窯跡1基、工房跡2基・粘土堆積遺構。
1980年・第3次調?・工房跡3基・古墳時代の住居跡1基。
1995年・第4次調?・工房跡1基。
■窯の種類。
●地下式登窯。斜面に7〜10mのトンネルを掘り作られた窯。瓦を並べて焼く
ために段を作る。
●半地下式登窯。斜面を掘りスサ入りの粘土で天井を作った窯。天井の補強に
瓦が使われることもある。
●有牀式平窯。平坦または緩斜面を掘り作る窯。燃焼部に粘土や瓦を積み
畦を作り熱の巡りを良くする。
■奥山瓦窯跡群。
1988年・用水路工事で台地の縁辺部傾斜面を掘り下げたとき、瓦を含む層が
見つかり発掘調査された。
●確認遺構。窯跡1基・不明遺構 1基。
原の寺瓦窯跡から直線で約800mの場所、周辺から瓦片が多量に出土する。
原の寺瓦窯跡を含めた付近一帯は瓦の生産地だったか?
●特徴的な出土瓦・両面に糸切り痕がある平瓦。大きな粘土の塊から一枚一枚
糸で切り離すため、両面に痕跡がつく。しかし、凸面は叩き具で叩いたり、
表面をなでて調整するため、普通は糸切り痕が残らない。
■歴史考古学で取り扱う文字は、木簡 (木)・漆紙文書(紙)・金石文 (金属・石)・
墨書土器 (土器)・瓦がある。瓦に文字が書かれたものを文字瓦という。瓦に
書かれた文字は、木や紙に書かれた文字と違い長い時間を経ても腐敗せず残る。
文字の書かれた瓦は当時の窯業の生産体制や情勢を知る手がかりになる。
■瓦に書かれた文字の意味。
瓦作成の年号や作者。瓦工房の運営に関わる内容。工房名・供給場所・使用場
所。瓦製作を負担した土地や人の名前。仏教的な意味を含んだ文字。落書き・
習い書き。
■文字の記銘方法。
●ヘラ書き。先の尖った棒状の道具で文字を記す。
●押印おういん。文字を彫刻した印章を瓦に押捺する。押捺した文字が浮かび
上がる陽刻と溝状になる陰刻かある。四角形や丸形があり地域により表す意味
も異なる。
●指頭。指を使って直接瓦に文字を記す。
●模骨。粘土素材を巻き付ける桶に文字が彫刻され瓦に文字が付く。
●笵面はんづら。軒先瓦を作る笵(型)に文様を彫刻、同時に文字も彫刻し、
笵に粘土を詰めたときに文字が付く。
●叩き具。瓦を成形するときに、叩き具でたたき粘土内の空気を抜き締まりを
よくする。その叩き具に文字が彫刻されたもの。
●墨書。瓦を焼いた後に筆と墨を用いて瓦に文字を書く。
■特徴的な出土瓦。
●地名を表す文字瓦。瓦を発注した地名を書かいた。
●集団名・人名を表す文字瓦。税の代わりに瓦工人へ食糧を納めていた集団名・
人名を瓦に記名した?
●特殊な文様の押印。「*」のような形の丸い押印が使用され、丸瓦には凸面、
平瓦には凹面に押されることが多い。
■原の寺瓦窯跡1期・8世紀第1四半期前半。
素文??弁八葉蓮華文軒丸瓦・素文軒平瓦・格子叩き平瓦。

■原の寺瓦窯2期・18世紀第1四半期後半。
縄目叩き平瓦。
■原の寺瓦窯跡3期・8世紀第2四半期前半。
鋸菌文級単弁七葉蓮華文軒丸瓦・両面糸切り平瓦。
■原の寺瓦窯跡4期・8世紀第2四半期後半。
素文級重弁六葉蓮華文軒丸瓦・有段式丸瓦。
■原の寺瓦窯跡5期・8世紀第3四半期前半。
■供給遺跡・台渡里廃寺跡。水戸市渡里町。那珂川右岸の標高30mの台地上。
●●台渡里。台地に、土塁や空堀がある。古代末期から近世初期にかけ、豪族
の館や城が築かれた。台渡里廃寺跡もある。11/1/30撮影。

発掘調査で2か所の寺院跡を確認。観音堂山地区は白鳳時代に寺院が建立され、
その後火災により焼失し南方地区に再建された。長者山地区は常陸国那珂郡の
郡家の正倉院跡と考えられる。各地区からは多くの瓦が出土している。
■供給遺跡・田谷廃寺跡。水戸市田谷町。那珂川左岸の台地上を抜け沖積地の
背後にある台地上。発掘調査は未実施だが多くの瓦を確認。那珂川を挟んで
台渡里廃寺はほぼ正面にあり約3kmの距離。田谷廃寺跡か多くの文字瓦が確認
され長者山地区正倉院跡の別院かあったのか?
■ひたちなか市の原の寺瓦窯跡と奥山瓦窯跡は直線で約800mの位置にある。
8世紀前半から瓦を作った。台渡里廃寺・田谷廃寺に瓦を供給した生産地だった。
原の寺瓦窯跡で生産された瓦は消費遺跡が不明のものもある。
遺跡全体の発掘調査が未実施で、文字瓦や生産体制は不明なことが多い。
■以下はhp制作者のメモです。
●原の寺瓦窯跡・奥山瓦窯跡から台渡里廃寺跡・田谷廃寺跡まで約10km。
平瓦の重さは1枚4kgくらい? どうやって運んだのか?
当時は現在よりも湿地が多かったか? 那珂川を利用し船で運んだのか?
●●奈良県 元興寺本堂屋根の瓦。茶色の瓦は飛鳥〜奈良時代の古瓦。7/9/7撮影。

●●01雪の元興寺11/2/11撮影。


●●02雪の積もり方は、古い瓦と新しい瓦では違う。古い瓦に積もる雪は少し
少ない。11/2/11撮影。 

●●03左は新しい瓦、右は古い瓦。11/2/11撮影。

●1400年前の瓦が現役で頑張っている。雪の積もり方が違うのは瓦の製作方法
によるため。古い瓦と新しい瓦では瓦を焼く温度が違うようだ。古い瓦は新し
い瓦にくらべ焼く温度が低い。低い温度は茶色・高い温度800度くらいは灰色
になってくる。灰色の瓦は水をはねる。灰色は須恵器・茶色は縄文の器??