22/5/12 常陸太田市郷土資料館 発掘された常陸太田の歴史。
常陸太田市郷土資料館梅津会館 企画展示室。
●01郷土資料館梅津会館。

■太田城跡発掘調査。
調査期間・2020年4月〜11月。種別・集落跡?城館跡。
主な遺構、竪穴建物跡15軒・堀跡5条・溝跡3条・土坑4基。

■太田城跡に堀跡を5条確認。
一つの曲輪でなく、大小の堀で区分けされた曲輪だった。
■第2号堀跡。調査区を南北に結ぶクランク状の堀。
全長約150m・幅8〜9m・深さ約3.57m。薬研堀の形状。
出土遺物から16世紀後半頃形成。佐竹氏勢力拡大の時期。
第1号堀跡は第2号堀跡に接続している。
●02確認された堀跡・映像より。薬研堀の形状。
葉煙草専売所が設置されたところ。

●03確認された堀跡・映像より。薬研堀の形状。
葉煙草専売所が設置されたところ。

■太田城跡は鯨ヶ丘にある。太田小学校を中心に城跡がある。
馬場遺跡・鯨ヶ丘遺跡もある。
源頼朝の佐竹氏攻撃・南北朝騒乱で、佐竹氏は金砂山城で戦った。
太田城は領内統治の政庁的なものだった。城は鯨ヶ丘全域に総構。
太田小学校敷地を本郭とし土塁・堀で囲んだ連郭式城郭。
遺構は小学校脇の土塁・斜面、太田病院付近の切岸、帰願寺の土塁。
遺構は戦国末期から江戸時代のもの。それ以前の遺構は地下にある。
城郭全貌が把握できていない。
●帰願寺山門・9/11/16撮影。

■太田城跡の古代
■今回の調査では、6世紀中葉から 9 世紀に至るまでの竪穴建物 されている。
■2019年調査。
古墳時代後期頃の竪穴建物跡が多い、
■2020年調査。
古墳時代・奈良・平安時代、大きな集落があったと推定。
壺、坏などの生活用の土器が多い。10世紀の遺構は確認されない。
古墳時代に比べ7〜12世紀は 遺構数は少ない。
■太田城の歴史。
1109年・藤原通延が太田大夫と称し太田城を築城した。
1131年・佐竹3代隆義が太田城を奪い入城。佐竹氏の本拠とする。
1591年・佐竹20代義宣が水戸城に本拠を移す。
太田城は義宣の父義重の居城となる。北城とも呼ばれた。
1602年・佐竹氏が秋田へ国替。太田城は水戸徳川家のものとなる。
1707年・屋敷構とし太田御殿と呼ばれた。
1804年・火災により屋敷が焼失。
1842年・太田御殿を再建。
明治初期・廃城となる。廃城後、土塁は撤去され堀は埋められた。
廃城後は宅地造成のため城域が払い下げられる。
1898年・調査地は葉煙草専売所が設置される。現在は平地となっている。
●04葉煙草専売所が設置されたところ。

2019年・本郭北側の外郭を調査・堀跡を確認。
2020年・大規模な掘跡を確認。
展示は、2020年発掘調査の出土した遺物の一部を展示。
確認された堀跡を映像で紹介。
05展示室入口にあった妙見山のリチウムペグマタイト。

06展示室入口にあった妙見山のリチウムペグマタイト。

●妙見山のリチウムペグマタイト露頭・15/5/8撮影。