22/4/27 筑西市 生誕150年記念 板谷波山の陶芸
〜麗しき作品と生涯〜
入場券。

板谷波山記念館。
江戸時代に建てられたという生家と
東京都田端から移築された波山の工房・窯などがある。
なお、生まれた家はもっと大きかったようで
現存の建てものはその一部のようだ。
兄弟9人・使用人のかたも住んでいたらしい。
商売をする建物もああったと思われる。

板谷波山像。

しもだて美術館・アルテリオ3階。
多くの陶芸作品の展示があった。

■板谷波山の生涯。
1872年・真壁郡下館町(現筑西市)に生まれる。
1885年・下館尋常小学校卒業。
1887年・上京・成城学校入学。
1888年・陸軍士官学校受験・体格検査で不合格になる。
本郷の画塾に通う。
1889年・東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科に入学。
岡倉天心・高村光雲らの指導を受ける。
1894年・東京美術学校彫刻科を卒業。
開成予備校で彫刻・攻玉社中学校で図画を教える。
1895年・まると結婚。新居は本郷森川町。
1896年・石川県工業学校彫刻科教諭となる。
1898年・彫刻科廃止により陶磁科を担当。
1903年・工業学校を辞職し上京。
東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科嘱託。
東京都田端に家と工房をつくる。
1904年・波山と号す。三方焚口の倒焔式丸窯を築き始める。
佐賀県有田出身の深海三次郎がロクロを担当。
1906年・初窯を焚く。
1910年・深海三次郎がやめる。石川県出身の現田市松がロクロを担当。
1911年・全国窯業品共進会に皇后行啓。夫妻で御前制作。
1914年・葆光彩磁の技法が向上。
1917年・大正天皇、貞明皇后、島津邸へ行幸啓、御前制作。
1933年・下館の高齢者に鳩杖を制作し贈る、1952年まで続く。
1938年・下館の日中戦争戦没者遺族に聖観音坐像や香炉を贈る・1956年まで続く。
1945年・空襲で家・工房を消失・下館の生家へ疎開。
1946年・つくば市の陶芸家の作業場を借り制作を続ける。
1950年・田端に工房を再建。
1958年・妻まる死去(89才)。
1963年・ロクロの現田市松死去(78才)。
波山死去(92才)。
田端大龍寺に埋葬。
下館妙西寺に分骨埋葬。
11/5/5に撮った妙西寺の板谷波山・板谷玉蘭の墓。

■聖観音坐像。
11/5/5に撮った聖観音坐像。

展示室に聖観音坐像が数十体展示されていた。
企画展のために各家庭からかりて展示しているとのこと。
普段は仏壇にあるのかもしれない。
所有者が大切に取り扱っているのかどの聖観音坐像もきれいに感じた。
聖観音坐像に向かい思わず合掌した。
波山は聖観音坐像を桐箱に収め銘を記し贈った。
贈るときに「金に困ったら売ってもよい」といったらしい。
■鳩杖を贈る。
展示室に鳩杖が数十本展示されていた。
企画展のために各家庭からかりて展示しているとのこと。
波山は下館町の80歳以上の高齢者に自作の鳩杖を贈った。
鳩の部分には合金の鋳物と白磁の2種類がある。
最初は合金の鋳物だった。戦争で合金が不足・白磁の鳩になった。
杖は堅い木を使っている。
杖の長さは使う人の身体に合わせたものだった。
■まる夫人について。 
1870年に河沼郡坂下村(現会津坂下町)に生まれる。
東京の共立女子職業学校に入学、裁縫、日本画を学ぶ。
瓜生岩子に私淑。
1893年、会津若松に戻る。
会津女子職業学校の創立者のひとりとなる
会津女子職業学校の主任教師として裁縫、手芸を教える。
会津女子職業学校は、県立会津高等女学校の前身で、
今は福島県立葵高等学校となる。
1895年、瓜生岩子の媒酌で、板谷波山と結婚。
号は玉蘭。  
■瓜生岩子について 
1829年に今の福島県喜多方市に生まれる。
明治時代初めに社会慈善家として活躍。
女性で初めての藍綬褒章を受賞。