22/3/13 水戸 歴史に学ぶ会新春講演会。
那珂市 後台ふれあいセンター。
仲田昭一先生。
『大日本史』にみる鎌倉殿の御家人。
武蔵武士の鑑 畠山重忠。
鎌倉殿の13人 (源頼家以後の合議制)。

■『大日本史』にもとづき畠山重忠について以下のような話があった。
卷之一百九十六 列傳第一百二十三 
將軍家臣六 畠山重忠
■鎌倉殿の13人。
大江広元 (政所別当)・中原親能 (京都守護)・
二階堂行政 (政所執事)・三善康信 (問注所執事)・
梶原景時(待所別当・大庭景親の従者)・足立遠元 (公文所寄人)・
安達盛長 (三河守護)・八田知家 (常陸守護)・
三浦義澄 (相模守護)・比企能員 (信濃・上野守護)・
北条時政 (伊豆・駿河守護)・北条義時(寝所警護衆)・
和田義盛(侍所別当)。
他の主な御家人 畠山重忠・土肥実平・千葉常胤・佐竹秀義・上総広常ら。
■人物関係略図
桓武平氏・・・秩父氏重綱−重弘−畠山重能−重忠(夫人は北条時政の娘)
■埼玉県深谷市の畠山重忠公史跡公園に愛馬を背負う重忠の像がある。

■畠山重忠略年表。
大日本史・列伝196巻 列伝123 将軍家臣伝六 畠山重忠。
1164年・武蔵国男衾郡畠山館 (深谷市)に生まれる。
1180年・源頼朝は以仁王の令旨を受けて伊豆で挙兵する。
頼朝は石橋山合戦に破れ安房へ逃げる。
重忠は平氏方として鎌倉由比ヶ浜で三浦義澄と合戦・郎従 50余人死ぬが奮戦、
川越重頼・江戸重長らと三浦氏居城の衣笠城を攻め落とす。
三浦義明は自刃する。
重忠は長井の渡しか石浜で頼朝と参会する・頼朝軍に下る。
頼朝は重忠の堂々な姿勢に感嘆・「常に我が先駆となせ」という。
頼朝軍は平氏討伐に鎌倉へ出発・重忠は先陣を務める。
源義経が奥州より頼朝の元へ参ずる。
1181年・平清盛死去。
1183年・平家都落ち。・重忠に子息小次郎 (保重) 誕生。

1184年・宇治川の戦いで、木曽義仲を討つため冬の宇治川を徒歩で渡り、
敵のいる対岸へ味方の大串重親を投げ上げ・丹党以下500騎で川を渡る。
木曽義仲は近江国栗津で討ち死にする。
重忠は一の谷の合戦に参戦・
鴨越の逆落としで愛馬三日月を背負って崖を降りる。
1185年・屋島の戦い。
重忠は義経より「扇の的を射よ」と命ぜられるが固辞、那須与一を推す。
平氏か壇ノ浦で滅亡する。
義経は京都を追われる。
1186年・静御前が鶴岡八幡宮で舞を舞う・重忠は銅拍子で伴奏する。
1187年・伊勢国沼田御厨の代官が不正を行う・地頭の重忠が訴えられる。
重忠は囚人として千葉胤正に預けられ・所領4か所は没収される。
重忠は千葉胤正の仲介により許され、武蔵国に帰る。
梶原景時が重忠に謀反の意ありと頼朝に讒言する。
下河辺行平は重忠を伴い鎌倉へ戻る。
重忠は「二心無し」の起請文を書くように言われるが拒否する。
1189年・義経は奥州衣川館で自害する。
奥州合戦開始。重忠は先陣を務める。
重忠は阿津賀志山 (伊達郡国見町) の戦いで敵城郭の堀を埋め・進軍を助ける。
重忠は梶原景時に代わり由利雄平の尋問を行い、その身を預かる。
重忠は勲功賞で陸奥国葛岡郡 (大崎市) を与えられる。
1190年・頼朝は上洛のため鎌倉を出発・重忠は上洛の先陣を務める。
重忠の近臣・本田近常・榛沢成清・岡部忠澄・猪俣範綱ら随従。

1191年・重忠は頼朝の命により多好方に神楽を習う。
1192年・重忠は永福寺建立の木材を運び怪力を示す。
頼朝は征夷大将軍に任ぜられる。
重忠は永福寺庭池の大石を一人で運び据える。
1194年・鶴岡八幡宮で神楽あり・重忠は神楽で付歌を歌う。
1195年。頼朝は東大寺供養のため上洛・重忠は先陣を務める。
1199年・頼朝死去 (53才)・重忠は嫡子頼家を託される。
頼家は17歳で将軍の跡を継ぐ。将軍の親政を排し13人による合議制とする。
重忠は梶原景時の糾弾連書状に署名・翌年梶原一族討たれる。
1202年・源頼家は征夷大将軍になる。
1203年・頼家は病気のため、子の一幡と弟の実朝に権利を分与する。
頼家の母方の比企能員ら一族が討たれる・重忠は比企氏討伐軍に連なる。
実朝が征夷大将軍となる。
1204年・頼家は伊豆修善寺で謀殺される (23才)。
重忠の子重保が京都守護の平賀朝雅 (北条時政の後妻牧の方の娘婿)と口論・ 和解するも朝雅に余怨あり。
1205年・牧の方「畠山重忠に謀反の心あり」と讒言。
重保は北条時政・義時・三浦義村に由比ガ浜で討たれる・
かつて重忠が三浦義澄を討滅した所。
重忠は武蔵国菅谷館を134名で鎌倉へ向かう。
重忠は二俣川(横浜市)で北条義時・時房の大軍に襲われる。
重忠以下 134名討ち死にする (42才)。
義時らは鎌倉に帰り重忠の無実を知りその死を悲しむ。

■大日本史について。
『大日本史』は[ ]のように漢文で書かれている。
[畠山重忠,幼名氏王丸,武藏人。其先出自平高望子良文。良文居武藏村岡,生忠ョ。忠ョ稱村岡二郎,生將常。・・・]
全226冊・全402巻・編纂期間 250年間。
●本紀。1巻〜73巻の73巻。
神武天皇〜後小松天皇。歴代天皇ごとの事績を記述 。尊王論の表れ。
●列伝。74巻〜243巻の170巻。<人物伝>
后妃伝・皇子伝・皇女伝・群臣伝・将軍伝・将軍家族伝・将軍家臣伝・
文学伝・歌人伝・孝子義烈伝・烈女・隠逸方技伝・諸蕃伝 (諸外国)・
叛臣伝、
逆臣伝 (蘇我馬子)。
●志。244 巻〜369巻の126巻。 <テーマ・分野別>
神祇志・氏族志・職官志・国郡志・食貨志・礼楽志・兵志・刑法志・
陰陽志・仏事志。

●表。370 巻〜397巻の28巻。<分野別一覧表>
臣連二造表・公卿表・国郡司表・蔵人検非違使表・将軍僚属表。
●目録。3巻・修史例 1巻・引用書目 1巻。
<目録・引用書目など>
●全体で402巻。多くの尽力・資金・期間を要してつくられた。

■以下はhp制作者のメモ・講座の話ではない。
親鸞聖人の二十四輩のひとり性証は畠山重忠の子・重秀という。
常陸太田市・青蓮寺と福島県棚倉町・蓮生寺の開基は性証という。