22/3/12 ひたちなか市 古墳と海洋民「水上交通による交流と古墳について」
公開講座 ひたちなか市の考古学
ひたちなか市埋蔵文化財調査センター講座室
西川修一先生 神奈川県立旭高等学校教諭。
講座内容は多岐にわたり理解できないところが多々あった。
以下は先生の言われた言葉をヒントにまとめたもの。
先生の言われていないことや間違いがあると思います。
■現場で発掘するばかりでなく多くの本を読むことも大切・本の紹介があった。
■相澤忠洋・岩宿の発見。
相澤さんは日本で最初に旧石器を発見した人。
日本人の祖先の生活を想い行商をしながらの旧石器発見だった。
この本を読んで考古学に入るひとが多い。悪魔のような本だ。
[本を読んだ。何度も「一家団らん」という言葉が出てくる。
小さいときに親が離婚。寺の小僧・草履屋の丁稚になる。小学校は夜学。
戦争で海軍。戦争後自転車で赤城山麓の遺物発掘・食べるために自転車で行商。
牧野富太郎・田中正造・根本正の生き方に似ている。気骨がある。
本に書いてあった「一家団らん」の例。
「家族そろっての正月の一家団らんは本当に楽しかった」
「そして一家団らんのころのことがいつまでも消えなかった」
「いくつもの遺物は、そのまま、黎明時代に生きた祖先の、一家団らんの姿
となって、私をとりかこんでいるようであった」
「私のそれは、祖先の一家団らんの場で使われたにちがいない石器を手にして、
その肌に隠された夫婦、親子などの人間関係への郷愁と思慕によるものだった」
■藤森栄一・石器土器の話。考古学と埋蔵文化財の保護。
古文書は時の為政者にとって都合の悪いことは残されない。
しかし、出土したものは本当のことを伝えている。
■新田次郎・霧の子孫たち。
藤森栄一が霧ヶ峰ビーナスライン建設に反対した実話を題材にした。
新田次郎は旧制諏訪中学で藤森栄一の1年後輩。
■藤森一・考古学・考古学者。死去の翌年に出された遺稿集。
ある大学の先生は、古人骨・古文書・民俗学資料などを収集する趣味があった。
そして盗んでまで収集するようになる。現在の情勢とどれだけ違うだろうか?
■藤森栄一・掘るだけなら掘らんでもいい話。
今日、ある場に残された一つの穴ぼこを掘る。堆積を観察し記録する。
その営みにまつわる様々な葛藤・矛盾・混乱を考える。
考え続ける先に何があるのかわからない。考え続けるしかない。
同じようなことを考えているのは一人ではない。ただ掘るだけではない。
壊れるから掘るだけではない。掘るだけなら掘らんでもいいのだ。
■大地に残された遺跡の過去・現在・未来。
過去⇒大切に守り継承・風雪に耐えてきた・地域に根付いた文化遺産。
現在⇒発見・調査・分析・評価・整備・活用。
未来⇒地域のシンボル・馴染み深い場所??
■弟橘媛おとたちばなひめは何故生贄なのか?
弟橘媛は日本武尊やまとたけるの妻。
日本武尊軍は東征の時、相模国の人々の反撃で火攻めに遇う。
草薙剣・火打石を使い難を逃れる。日本武尊軍はさらに東に侵攻する。
三浦半島から房総半島へ船で進むが、海が荒れ船は進めなくなる。
弟橘媛は海の神の怒りを鎮めるため生贄になり海中に沈む。
海は静まり船は進めた。弟橘媛辞世の句
「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
相模の野原で火に囲まれた時、火中に立ち私を気遣ってくれたあなた。
[この話は大和朝廷興隆期の勇者たちの伝説をまとめたもののひとつか?
神武東征。九州宮崎から奈良橿原にきて初代天皇を名乗る。
第12代景行天皇の子・日本武尊は熊襲征討・東国征討を行った。
天皇家はなぜ東の国を侵略するのか。弟橘媛はなぜ死んだのだろう。
この話は侵略者を美化するためのものか? 攻められる方はたまらない。
今の時代も変わらないか?]
弟橘媛伝承の作られた目的は? 弟橘媛は悲劇のヒロインなのか?
弟橘媛は誰の生贄なのか? 誰の視線・眼差しで地域の歴史をみているのか?
それは誰に都合のよい思考か?
■現代人も古代人もホモ・サピエンス。
人類は北京原人・ネアンデルタール人などがいた。
現在まで生き残った人類がホモ・サピエンスだ。
元をたどればアフリカのひとりの女性。
人類の中で小さくひ弱なホモ・サピエンスは集団で助け合うことで生き残れた。
仲良くしないと滅びる。
■私たちは科学技術と同じ速さでは進歩・進化していない。
大量の発掘情報を学術的に評価し見直ししているか?
知識がなく物事の道理を知らない。
■歴史の教科書の記載は変化している。
かつて山川日本史教科書教科書で見慣れた地図が現在は姿を消した。
奈良盆地が先進地域で弥生文化の中心地だったのか?
三輪山西麓の向遺跡の成立経緯は? 北部九州と近畿勢力の抗争があったのか?
ヤマト政権は地域内の論理で成立したのか?
地方への軍事行動はあったのか? 東征史観は正しいのか?
数々の見えない呪縛から自らを解放する必要がある。
私たちは誰の目線で歴史を見ているか?
■北海道・北東北・沖縄諸島を除いた日本列島で、3世紀中〜7 世紀初に
約5,200 基の前方後円(方)墳が造られた。
墳丘長さ200m以上の前方後円墳35基のうち32基は畿内地域に造られた。
100m以上の前方後円(方)墳302基のうち140基は畿内地域に造られた。
■東征史観通説。
西日本各地の首長層による首長同盟が急速に東日本各地へも広がる。
大王を中心に畿内の有力首長層は各地の反乱を制圧・強大化する。
中央集権化への歩みを始める。地方首長層は同盟から服属へと隷属する。
律令国家へと社会は変化・・・本当か??
■6 世紀後半・東国で前方後円墳が増加。その後大型の方・円墳が築造される。
中央集権化の歩みと不整合・律令国家の正統性を書いた日本書紀は正しいのか?
■七五三論争。
[日本国はいつ誕生したのか? 3世紀か? 5世紀か? 7世紀か?
3世紀⇒邪馬台国の女王卑弥呼が統治した。
5世紀⇒仁徳天皇ら巨大前方後円墳が築かれた。
7世紀⇒ 天皇制が確立した?飛鳥時代。藤原宮・大宝律令が整備された。
■3世紀・弥生後半期〜古墳前期。
水運のつながりが古墳時代へのうねりを作ったのか?
古墳が交通や物流と関係があった。
海洋民・海人・海民の固有の姿は不明。
■5世紀・古墳時代中期〜天武・持統朝。
海の交流より陸上の交流が盛んになったか? 中央集権化。
古墳が造られ、交通や物流の統制が政権のもとに集まる?
■海洋民とは?
海・川に関わる生活をする人の総称。多様な生活をしている。
海人・海士・白水郎・海部・海女・漂海民・水界民・海賊・蛍民・
漕ぎ手・水手・家船の水上生活者・漁撈民・船頭。
漁撈・海産・製塩・馬飼・陸運業・水上交通・海藻収穫加工。
港湾・津・水門・貝殻加工品製作工房。
海洋民系文化があり古墳時代の倭人文化に影響を与えた。
臨海性遺跡や港湾跡遺構の漁撈具などの出土遺物から海洋民を想定。
■古墳と海。弥生〜古墳時代。
海の古墳は海との関わりが考えられる墳墓。
横穴墓⇒丘陵の崖面に横穴を掘り込んだ墳墓。石室・石棺墓・土壌墓がある。
海近くの前方後円墳は海から見える交通の要衝に造られた。
各地域の中で最大級の大きさで一定の場所に偏って造られることが多い。
首長墓としての連続性は乏しい。
古墳時代の海岸線は現在より内陸にあり、港湾は潟湖の浜堤・砂丘内側・
河川を遡った場所が多い。
■ステレオタイプな海洋民の姿。
多様な生活をしている海洋民は偏った思い込みを持たれることがある。
海蝕洞窟は海蝕崖の亀裂や穴が海退・隆起で離水し洞穴になった。
岩陰は岩の後ろや下に隠れて見えない所。
縄文時代から海蝕洞窟に人の生活痕跡があり遺跡がある。
弥生時代から海産物の製作遺跡がある。古墳時代は墳墓に用いられた。
古墳時代後期の墳墓遺跡は他界観・来世観と関わる。
館山市大寺山洞穴では丸木舟を棺とした舟葬が確認された。
副葬品は武器・武具類が出土している。
海蝕洞穴の利用は紀伊半島南端〜三浦半島南半〜東北地方の太平洋沿岸に多い。
三浦半島の雨崎洞穴遺跡は、弥生時代後半期から貝輪製作が盛んだった。
古墳時代中葉から墓域としての利用が多い。
海蝕洞穴は落盤があり住居には適さない。
漂海民が何処からかやって来て住みついていたとの思い込みは捨て去るべき。
■横穴墓。
九州から列島各地の沿岸部に拡散した横穴墓。
遺体処理の習俗・観念は東南アジア・東シナ海沿岸・琉球・九州へ島を
経て伝わったか?? ユーラシア圏内の周縁に位置する日本文化の一側面。
■712年・古事記。720年日本書紀が書かれた。誰の立場で書かれているのか?
■土地の支配者は神と人との間に生まれた神の子。神は特定の山に降臨する。支配者の居住地はその山の麓にある。
何か問題が起きても支配者はいつも神の意見をきける。
だからこの地は病もなく繁栄する。(佐々木高弘・民話の地理学より)
■蛇に関係する神話が多い。
■蛇婿入り。
娘のもとに毎夜男が通ってくる。
不審に思った母親が男の着物の裾に糸を通した針を刺させる。
翌朝、糸をたどっていくと、洞穴の中に蛇がいる。
そこで、娘が蛇の子を宿したこと、その子のおろしかたを聞く。
■水乞い。
干ばつに悩む父親が、田に水を入れてくれた蛇に娘を嫁にやる約束をする。
娘が針千本と瓢箪を持って蛇について行く。
池に瓢箪と針を投げ入れ、蛇にそれを沈めれば嫁になるという。
蛇は沈めようとするが体に針が刺さり死ぬ。
■霊異記。
娘が山に入り山菜をとっていると、大蛇が蛙を飲んでいた。
娘は大蛇に「あなたの妻になるので蛙を放してください」と頼む。
大蛇は美しい娘を見て蛙を吐き出した。
娘は「7日後に迎えにきてください」といった。
7日後に大蛇がやってきて、家の壁を尾でたたいた。
娘は恐くなり生駒山寺の行基大徳に助けを求める。
行基大徳は戒律を守れという。
帰る途中、大きな蟹をもった老人に会う。娘は衣と裳を脱ぎ大きな蟹を買う。
行基大徳を招いて呪文を唱え願をかけてもらい大きな蟹を放った。
8日目の夜、大蛇が屋根の上から草を抜いて入ってくる。
大きな蟹が大蛇をずたずたに切っていた。
■蛇退治。ヤマタノオロチ伝説。
スサノオが歩いていると川に箸が流れてきた。川上に人がいると思い行く。
老夫婦と娘が泣いていた。スサノオはなぜ泣いているのかを聞いた。
老父は「8人の娘がいた。毎年巨大蛇が来て娘を1人ずつ食べる。今年もくる。
最後の娘が食べられてしまう。巨大蛇は胴体に8つの頭と8つの尾をもつ。
目は真っ赤。腹は血がにんじでいる。
話を聞いたスサノオは娘との結婚を条件に巨大蛇を退治することにした。
スサノオは、娘を守るため娘を櫛に変え自分の髪にさした。
老夫婦に家の周囲に垣根つくり8つの門を設けさせ、門ごとに酒を置いた。
やがて地響きをたて巨大蛇が現れた。酒を見つけた巨大蛇は8つの酒を飲んだ。
巨大蛇は酔って眠り込んだ。 スサノオは剣で巨大蛇を切り刻んだ。
巨大蛇の尾から太刀が出てきた。この太刀が草薙の剣といわれる。
巨大蛇を退治したスサノオは娘と結婚した。
蛇は水神・山神で雨・水の神とされた。稲作に水が必要で農耕と関係する。
川は稲作に必要な水を供給する。時には洪水となり農耕に害を与える。
しかし肥沃な土地を提供する。大蛇退治の話は洪水と治水に関係ありか?
娘は奇稲田姫くしいなだひめという。田の神か? 稲田神社もある。
■腕輪形石製品は貝製腕輪を起源とする碧玉や緑色凝灰岩などの腕輪。
貝製腕輪は世界各地にあり日本でも縄文時代からある。
弥生時代に南海産のイモガイが九州を介し広く流通した。
種子島の南種子町広田遺跡の墳墓は弥生時代後半期〜古墳時代に
交易に関わった人の遺跡、遺跡から大量の貝製品が発見されている。
貝製品は酸性土壌の遺跡では遺存しにくいので分布は不明。
古墳時代は腕輪形石製品が作られ広まった。
製作遺跡は山陰・北陸地方の限られた遺跡に集約される。
専業的な工人による生産が考えられる。
■威信財とは威信を示す貴重品。権力者の権威や権力を示す財物。
古代の銅鏡・宝剣・王冠など。
舶来ブランドのバック・財布、高級乗用車などに価値を認めることに似ている。
日々の生活に用いられる道具・素材などの必要材・食糧財とは異なる。
威信財交易の事例として、南太平洋社会でかつて行われていたクラ貿易がある。
■さいごに。
考古学をやさしく楽しく学ぶ。そして文化財保護の活動をする。
文化財保護の味方は私たちひとり一人。声に出して一人でも仲間を増やしたい。