22/2/27 ひたちなか市 古墳時代の交流「ガラス小玉から見た交流」
第14回公開講座 ひたちなか市の考古学。
斎藤あや先生 大田区立郷土博物館。
以下のような話だったように思う。[ ]はhp制作者のメモ。

■古墳時代に海流を利用した交流が行われていた。
[日本の海流は4つある。
太平洋側。黒潮(日本海流)日本の南から流れてきて房総半島近くまでくる暖流。
親潮(千島海流)日本の北から流れてきて三陸海岸あたりまでくる寒流。
日本海側。暖流は対馬海流・寒流はリマン海流]
■国内の古代ガラス玉の出土数は60万個以上。
■Bead Trade。
[トレードビーズは地域社会の物々交換に使用されたビーズのこと。
貿易の初期形態のひとつ。ビーズ貿易は人類の言語を発達させた]

■インド・パシフィックビーズ。
[インド・パシフィックビーズはインド〜東南アジアで作られたガラス玉。
引き伸ばし法で作られた直径6mm以下のガラス玉。
弥生時代・古墳時代に海流を利用した交易で日本に入った]
■古代ガラス玉の調査方法。
ルーペ・顕微鏡で肉眼により調査する。
CR法。ガラス内部の孔形状・気泡配列をX線透過で調査する。
蛍光X線分析法。蛍光X線分析装置で成分を定量分析して調査する。
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■ガラスの材質。
ガラスの主成分はシリカ(珪酸・SiO2)。シリカの原料は石英の砂・珪砂。
[ガラスの強度を高めるため・色をつけるために、
ナトロン・植物・カリ硝石・鉛・コバルト・銅を混ぜ高温でガラスにする]
■弥生時代・古墳時代のガラス玉の作り方。
ガラス玉の作り方は2つある。
未加工ガラス素材を加工する方法・鋳型を使い再加工する方法。
■未加工ガラス素材を加工する方法。
日本は奈良時代まで未加工のガラス素材からガラスを作れなかった。
未加工のガラス素材を加工する方法はいくつか方法がある。
引き伸ばし法の加工が多い・加熱したガラスを引き伸ばしガラス管をつくる。
それを分割し再度加熱し丸みを帯びたガラス小玉をつくる。
引き伸ばし法によるガラス小玉は輸入した。
[引き伸ばし法以外にラダ技法・巻き付け法・連珠法・包み巻き法がある]

■鋳型を使い再加工する方法。
片面に多数の穴がある板状土製品が古墳時代・奈良時代の遺跡から出土する。
板状土製品はガラス小玉をつくる鋳型だ。
鋳型の型穴に細かくしたガラス片を充填する。
鋳型ごと加熱・ガラス破砕片を熔着させる。
鋳型で作られたガラス小玉は、内面に細かい気泡が散在し半透明が多い。
破片が溶け切らず突起状のものがある。大きさは直径4〜5mmが多い。
2mmの小型品・8mm以上の大型品もある。
鋳型によるガラス小玉作りの原料は輸入ガラス小玉の破損したもの。
■日本へのガラス小玉の技術伝播。
海ルートと陸ルートがある。
海ルート・メソポタミア⇒エジプト⇒ローマ⇒インド⇒東南アジア⇒日本。
陸ルート・メソポタミア⇒中国⇒朝鮮⇒日本。
■紀元前3世紀。
日本初のガラス小玉が北部九州で見つかった。
■2世紀・弥生時代後期前半。
近畿と関東のガラス小玉の種類は共通。

■弥生時代後期後半。
近畿と関東のガラス小玉の地域差がでる。
地中海地域で作られたナトロンガラスのガラス小玉が日本に入る。
■4世紀・古墳時代前期前半。
畿内に淡青色カリガラスが再登場・大部分を占める。
畿内周辺に分布し地方へ拡散。
王権の規制か関東は弥生時代の紺色大型カリガラスと淡青色カリガラスが拮抗。

■4世紀・古墳時代前期後半。
古墳数の増加。
畿内に淡青色不透明ソーダガラスが出現・淡青色透明カリガラスに置きかわる。畿内を中心に分布・拡散。
関東に淡青色不透明ソーダガラスが入るがカリガラスと置きかわわらず。
北部九州の鋳型と朝鮮半島の鋳型は共通。工人の移動・移住があったか。
関東で鋳型と鋳型玉が複数出土・生産から消費が行われていた。
関東の鋳型は北部九州と違う。朝鮮半島か北部九州から情報を得て独自に作ったのか。
■古墳時代中期前半。
鋳型玉が畿内周辺に普及する。
■5世紀・古墳時代中期後半。
前方後円墳体制が定着。
王権統制で古墳数は前期後半より少ないが、大きな前方後円墳が築造される。
王権と地方の交流が盛んでガラス小玉の種類が共通する。
ガラス小玉の数は前期より少ないが、1基あたりの点数が多い例がある。
紺色透明の植物灰ガラスが登場。
鋳型玉は地方でも緩やかに増加する。
西アジア〜中央アジア産の植物灰ガラスのガラス小玉が陸路で大量に入る。

■6世紀・古墳時代後期前半。
ガラス小玉は植物タイプのソーダガラス・高アルミナタイプソーダガラス。
ガラス小玉の鋳型玉の割合が多くなる。組成に地域差はなく全国的に共通する。
■6世紀末〜7世紀古墳時代終末期。
ガラス小玉の最盛期。ガラス小玉副葬古墳数が増加。
鋳型は各地域で作られ流通した。
鋳型玉の比率や玉類の組成に地域差が出る。 畿内周辺を介さない交流へ。
鋳型で作ったガラス小玉が増える。鋳型玉出土の割合に地域差がでる。
北部九州・畿内の鋳型玉出土比率10〜20%。
東日本で鋳型で作られたガラス小玉の割合は約80%。
■7〜8世紀・飛鳥・奈良時代。
日本でもガラスの原料を作り始める。鉛ガラスが普及。
変則引き伸ばし法のソーダガラス。巻き付け法の鉛ガラスの鋳型玉も登場。
材料の鉛は朝鮮半島百済から輸入。
鋳型は畿内周辺から中部・東海・関東へ広がる。
奈良県飛鳥池連跡から7世紀後半の鋳型が出土。
律令国家の官営工房の整備。

■おわりに
日本のガラス小玉は海外交流・交易のあかし。
中距離〜近距離の交流は海路や陸路で運ばれている。
ひたちなか市へは内陸 (那珂川) や外海両方からの接近が可能。
ガラス小玉は点数が多く種類も変化するため交流・流通の検討によい。
古墳時代後期前半は王権によりガラス入手が制限されたと推定。
古墳時代後期後半?終末期は王権の規制が緩み自由流通がふえたと推定。
王権の規制の緩みは地域差を生んだ。