22/1/25 那珂市本米崎上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
大中明英師 栃木県 法得寺住職。
[ ]はhp制作者メモ。
■御讃題。、
無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇うこと難し。
我いま見聞し受持することを得たり。
願わくは如来の真実義を解したてまつらん。

■山折哲夫さんの記事が毎日新聞にあった。
日本人の死生観について語っていた。
日本人は生と死を点でなく線として考えている。
雨と雪という英語はある。
霙みぞれに対応した英語はない。

■お寺の掲示板のことばを書いた本。
難なきは 無難な人生 
難ありは 苦難の人生

■御先祖になるまでが人生。
孫かひ孫になるか。
死んだ人の名前はわかるが実際には会ったことがない人になるときが
ご先祖になること。

■松田優作さんのはなし。
松田さんはガンになった。夜寝れなくなった。
非常に苦しかった。
ある人に死には、
肉体的死と社会的・文化的死があることを聞いた。
肉体的死の後も、世の中の人が皆忘れる時までは
作品の中に生きている。
ファンがいる限りは死は迎えていない。
と思ったとき安心したという。

■分段生死と変易生死。。
二種生死として説かれる分段生死と変易生死がある。

[勝鬘経に「二種の死有り。何等をか二と為す。・・・
分段生死が肉体の大小や寿命の長短など一定の際限がある凡夫等の生死のことで、
三界内における果報の身とされるのに対して、
変易生死とは悲願の力によって肉体や寿命を際限なく自在に変化改易できる菩薩等の生死のことで、
三界外における果報の身とされる。・・・]

■釈尊がなくなるとき。
阿難は大泣きした。
その後釈尊の説いたはなしを皆ではなしあった。
それで安心した。
それが後に経典となった。
後に中国に伝わり日本に伝わった。

■肉体は死ぬ。
しかし南無阿弥陀仏、生き続ける。

■釈尊の4種の馬のはなし。
良い馬には4種類ある。
1頭目は鞭で尻を叩かれる前に鞭の影を感じ取り走る速度を上げる。
2頭目は鞭が毛に触れると走る速度を上げる。
3頭目は鞭で皮や肉を打たれると走る速度を上げる。
4頭目は鞭で強く打たれ痛みが骨まで響くと走る速度を上げる。

■仏教を学ぶひとで考える。
1頭目は遠くで病苦・老苦・死苦の人がいるのを聞いて仏教を学ぶひと。
2頭目は近くの人の病苦・老苦・死苦の人がいるのを聞いて仏教を学ぶひと。
3頭目は親・兄弟身近な人の病苦・老苦・死苦の人に接して仏教を学ぶひと。
4頭目は自分が重病になったり、老いや死に直面し恐怖心をもち仏教を学ぶひと。
■四苦八苦。
四苦は、生老病死。
八苦は、生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦。
生まれたことが、苦しみの始まり。
その終りが死。
その間に、病気や怪我で苦しむ。
人は1日1日と歳をとり老の苦しみに悩む。
愛別離苦は、愛しい人、愛する人と別れ別れになる苦しみ。
怨憎会苦は、憎い人や嫌いな人と会わなければならない苦しみ。
求不得苦は、欲しいものが得られないという苦しみ。
五陰盛苦は、私たちの身心にあらゆる苦しみを受けること。
常に付きまとう苦しみから解放される方法を明かすのが仏教。
■自身は一体何番目の馬になるか。
4頭の中に入りたい。
鞭で打たれようが、勝手にどこかへ走っていくのは駄馬。

■西行法師得度の縁。
西行法師は出家前、佐藤義清という御所を警護する武士だった。
毎日馬にのり御所に通っていた。
その道は山を見れは鳥辺野の火葬場が見えた。
いつも人を焼く煙が上がっていた。
義清は、
鳥辺野は 昨日もけむり 今日もまた
と詠んだ。しかし、上の句だけで下の句ができなかった。
ある日、下の句が浮かんだ。
眺めて通る 人はいつまで
昨日までは、今日も誰かが亡くなったのかだった。
しかし私もあの煙となる身であり、それは明日かもしれないと思えた。
真実の道を求めるため彼は出家を決めた。

■私自身いつ死ぬかはわからない。
限られた時間を生きている。時間はいのち。
ボーとしてはいられない。
私たちは直ぐに忘れる。
だから釈尊は何度も説いた。
それほど人は鈍感なのだ。
浄土の世界は四苦八苦の無い世界か。

■御文章
聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候う。
そのゆえは、もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として、仏のかたり往生は治定せしめたもう。
その位を一念発起入正定聚と釈し、そのうえの称名念仏は、
如来わが往生を定めたまひし御恩報尽の念仏とこころうべきなり。
あなかしこ、あなかしこ。

■上宮寺山門前掲示板の言葉。
必らず死ねる 必らず参れる 必らず仏になる
いそぐことはない 安心して苦を生きていく

ここに本当の人生があります
仏様といっしょの人生が。