21/12/17 水戸市 茨城県立歴史館 如信展。
■令和3年度企画展4。
親鸞を継ぐ -如信をめぐる遺宝 -
如信ゆかりのもの・大網道場・願入寺などに関係したものが展示された。

■以下はhp制作者の如信関連のメモ。
■如信関係者。
親鸞・1173〜1262。善鸞・1217〜1286・親鸞の子。
覚信尼・1224〜1283・親鸞の娘。如信・1235〜1300・善鸞の子・本願寺2世。
覚恵・1239〜1307・覚信尼の子。
覚如・1270〜1351・覚恵の子・本願寺教団の礎を築いた。
存覚・1290〜1373・覚如の子。蓮如・1415〜1499。
東本願寺14代塚如・1625〜1671。東本願寺15代常如・1641〜1694。
光圀・1628〜1701。

■如信関連寺
大子町・法龍寺。那珂市・阿弥陀寺・正覚寺。
東海村・願船寺。大洗町・願入寺。
常陸太田市・帰願寺・正念寺。水戸市・善重寺。
下妻市・光明寺。常陸大宮市・小瀬郷大根田。

■1201年、親鸞は法然の門下となる。弾圧により越後国に配流。
1214年頃、親鸞は常陸国で布教活動を行う。
親鸞は大山の地に念仏道場を開く。
親鸞は大山に約10年滞・二十四輩など数百人の弟子ができる。
親鸞は大山の道場を二十四輩の定信に預ける。
親鸞は稲田で教行信証を著わした。その後京都に行く。

■願入寺1世如信・1235〜1300。大網草庵。
1235年、如信は京都で生まれた。父は善鸞。
如信は幼少時から大人になるまで親鸞を離れず説法の場で教えを聞いた。
1253年頃、如信は父善鸞と共に陸奥国で布教活動を行う。
覚如が父覚恵と東国の親鸞遺跡を巡拝・道中で善鸞・如信と会う。
1256年、善鸞は親鸞に義絶される、如信は陸奥国に残り布教を続ける。
1280年、如信は覚信尼に大谷御影堂留守職を勧められるが、その職を覚恵に委ね陸奥国での布教を続ける。
如信は福島県古殿に大網草庵を建て布教・大網門徒集団となる。
奥州大網住として覚恵・覚如・乗善他門弟の名前がある。
1289年、乗善は金沢道場を建てる。如信が植えたカヤの木が今も法龍寺にある。
1294年、報恩講が始まる。
如信は毎年京都に行き報恩講17日間の念仏を修した。
親鸞の教えが如信を通して覚如に伝授された三代伝持がなされた。
如信は没後、覚如により本願寺第2世に位置づけられる。
1299年、如信は大網から金沢道場に移る。
1300年、如信は金沢道場で没する。
金沢は陸奥国白河郡依上保に属していた。八溝山は金が採れる。
平安時代は遣唐使派遣の財源となった。採金は修験者のもと山の民が担った。
山の民は聖徳太子を信仰した。太子堂があった。
山伏明法房が親鸞を害そうとし後に帰依した。真宗と修験者は近い関係だった。

■願入寺2世浄如・1265〜1340。大網草庵。
■願入寺3世空如・1267〜1349。大網願入寺。
■願入寺4世如善・1330〜1400。大網願入寺。
■願入寺5世如縁・1351〜1412。大網願入寺。
■願入寺6世純如・1364〜1430。大網願入寺。
3世空如のとき願入寺となる。如信は願入寺第1世に位置づけられる。
1312年、覚如が如信13回忌法要を修した。その時植えたイチョウの木が今も法龍寺にある。
1331年、覚如は金沢道場と大網道場で如信の33回忌の法要を修した。
親鸞直弟子の後裔24人が邪義を正すことを誓った。
如信が親鸞より聞き・覚如が如信より聞いた話を覚如の弟子乗専が口伝鈔にした。
1337年、覚如は改邪鈔で二十余輩と記述。
1344 年、覚如が口伝鈔を改訂。
1352年、覚如の伝記を弟子乗専が絵巻・最須敬重絵詞にした。
存覚は存覚袖日記で各地門徒が礼拝した名号本尊・祖師絵像などを記した。

■願入寺7世源如・1413〜1489。大網願入寺。
■願入寺8世代如慶・1447〜1500。大根田願入寺。
■願入寺9世如賢・1468〜1534。大根田願入寺。
文安年間 (1444〜1449) 8世如慶の時願入寺は戦乱のため小瀬郷大根田に移る。
1467年、蓮如が口伝鈔初めの一丁分を揮毫し底本とする。
1484年、8世如慶は聖玉房と共に上洛・聖玉房は山伏明法房の孫。
蓮如は3度東国に来訪・大根田願入寺に立ち寄った。
蓮如の子実悟は拾塵記で本願寺住持は1度は関東・奥州にいく習わしがあったと書いている。

■願入寺10世如了・1500〜1570。菅谷願入寺。
■願入寺11世如空・1522〜1594。菅谷願入寺。
■願入寺12世如正・1559〜1638。久米願入寺。
■願入寺13世如明・1591〜1671。久米願入寺。
1529年から部垂の乱。
10世如了の時に大根田願入寺は菅谷に移る・これが正覚寺につながる。
永禄年間(1558〜1570)、大山道場は額田小野崎従通の招きで額田に移転・
額田城守護寺阿弥陀寺になる。
1588年、帰願寺を佐竹義重が駒柵に建てる。
1593年、菅谷願入寺は12世如正の時、佐竹義宣の招きで久米に移る。
1602年、阿弥陀寺は佐竹氏秋田移封についていくが、その後額田にもどり再興。
江戸時代、金沢は水戸藩領になる。
善重寺は藩内真宗寺院の統制を行う触頭の役を務めていた・念了は願入寺の再興につとめた。

■願入寺14世如観・1621〜1666。久米願入寺。
■願入寺15世如高・1643〜1697。久米願入寺。
■願入寺16世如晴・1651〜1722・恵明院・如高の婿養子。
東本願寺14世琢如の子。室は如高の娘で光圀養女の鶴姫。
如玄・? 〜1708・如晴の子・幼名は良丸。1700年得度・1708年早世。
■願入寺17世如願・1692〜1756・如晴の子。室は守山藩主松平頼貞娘。
1663年、光圀は藩内の寺社改革を実施、寺社実態を記した開基帳を作る。
寺社を整理・破却・由緒ある寺は保護した。
1671年、光圀は衰微した久米願入寺を巡見、久米願入寺が如信血縁を相承した寺と知る。
光圀は願入寺再興のため東本願寺14世塚如の子恵明院を迎え、願入寺を大洗に移すことにした。
1674年、光圀は300石の朱印地を願入寺に寄進。
1674年、光圀は金沢に20石の寺領を寄進。寺を整備した。
1675年、光圀が願入寺15世如高に宛て朱印状。
光圀は大洗願入寺を建立・寄進。久米願入寺は輪番で寺務を執った。
久米願入寺はその後荒廃。
1677年、光圀は帰願寺を駒柵隣の現在地に移す。
1677年、東本願寺15代常如から願入寺恵明院に4幅の親鸞絵伝を贈る。
1698年、光圀は願入寺寺侍森安節に書状を送る。
光圀は、恵明院を僧正位に昇進させたかったが難しかった。
そこで恵明院の子良丸の僧正昇進を画策する。諸事のことを森安節に依頼。
1698年、光圀は願入寺での如信400年忌の時、
東本願寺のい慶に恵明院の子良丸を僧正位まで昇進させたい旨を告げた。
光圀は東本願寺16世一如に如信の木像を頼まれ、承知の旨を森安節に伝えている。
1698年、願入寺寺侍森安節が上洛、東本願寺16世一如から
良丸より先に恵明院を僧正昇進させたい意向を得た。
光圀は恵明院に如信の墓がある金沢へ一緒に行こうと誘っている。
旅先の光圀が鶴へ出した書状には、天下野から下宮に着き、
その後金沢に向かおうとしている。恵明院も同行していると書いている。
如信廟所への参詣が目的だった。光圀にとって如信の墓は特別だった。

■願入寺18世如詮・1721〜1760。
■願入寺19世如英・1745〜1790。室は藩主徳川宗翰娘の嶺姫。
■願入寺20世如海・1780〜1835・室は宍戸藩主松平頼救娘の政。
■願入寺21如実・1798〜1865・室は府中藩主松平頼説娘の加治。
1700年、光圀は願入寺に木造・如信上人坐像を寄進する。
像は黒衣、袈裟、帽子(襟巻) を身に纏い、両手を胸前に掲げ数珠を繰る。
1701年、光圀が亡くなる。
1711年、富山楽寺宗誓が浄土真宗旧蹟参拝記録・遺徳法輪集をつくる。
1716年、光圀の17回忌に、安積澹泊ら文人や願入寺ゆかりの人が撰述した歌集・
魚山遺響をつくる。題字巻と歌集巻に分かれる。
1803年、河内国専教寺了貞の撰述、浄土真宗の旧蹟・各地の名所風景を記した
二十四輩巡拝図絵がつくられる。
江戸末期、大洗願入寺焼失。

■願入寺22世如證・1825〜1900・大網勝芸。
■願入寺23世如兼・1864-1908・大網勝秀。
■願入寺24世如弘・1848〜1900大網演照。
■願入寺25世如照・1897?〜1966・大網演照の妻。
■願入寺26世如現・1893?〜1972大網現e。
1864年,阿弥陀寺は天狗党の兵火で焼失、一時下野に逃れる。
1865年、阿弥陀寺は現在地にもどる。
1876年、久米願入寺は寿命寺から崇信を迎え大洗願入寺の長女百合と婚姻。
1891年、久米願入寺崇信と百合は離婚。
1903年、久米願入寺は正念寺と寺号変更。
1962年、大洗願入寺再建。
1995年、法龍寺は如信上人御廟所として本堂が再建・整備された。

■展示されていたもの。
■親鸞聖人影像・室町時代・願入寺。数珠を繰る親鸞を描いている。
■如信上人影像・江戸時代・願入寺。黒衣の上に白袈裟・首に襟巻を巻く姿。
■高僧連坐影像・南北朝時代・善重寺。
法然・親鸞・如信?・善重寺開基善念・2代善秀・3代善應を描いている。
■親鸞聖人影像・室町時代〜江戸時代・正念寺。
■親鸞聖人影像・江戸時代・帰願寺。
■如信上人坐像・土の彫刻・江戸時代・法龍寺。腹前に掲げた両手に数珠を繰る。
■如信上人坐像・木造・1700年・願入寺。光圀が寄進した像。
■聖徳太子立像・木像・江戸時代・法龍寺。太子16歳・父用明天皇の病気回復を祈る姿。
■阿弥陀如来立像・木造・鎌倉時代・願入寺本尊。
■阿弥陀三尊像・木造・願入寺。
■最須敬重絵詞・写本・江戸時代。覚如の伝記を弟子乗専が絵巻にした。
■口伝鈔・本・江戸時代。如信が親鸞より聞き・覚如が如信より聞いた話を覚如の弟子乗専が記した。
■誓状・江戸時代・阿弥陀寺。草庵の9条規律を示した。
■親鸞門侶交名・室町時代・光明寺。奥州・常陸・下野・下総、東国親鸞門弟の名を記した。
■二十四輩牒・南北朝時代・願入寺。
■正覚寺略縁起・江戸時代・正覚寺。正覚寺の創建から江戸時代までを記す。
■親鸞聖人絵伝・掛軸4幅・1677年。東本願寺15代常如から願入寺恵明院に贈られた。
■浄土真宗旧跡鳥瞰図・江戸時代・願船寺。
陸奥国から相模国にかけて浄土真宗に関連した場所を描えている。
■念了一代記・善重寺。善重寺15代念了が東本願寺・光圀とのやりとり等を記した。
■二十四輩巡拝図絵・1803年。
河内国了貞の撰述、浄土真宗の旧蹟・各地の名所風景を記した。
■遺徳法輪集・1711年。宗誓の浄土真宗旧蹟の参拝記録。大網願入寺縁起が付随している。
■蓮如書状・室町時代・願入寺。大根田願入寺が銭2貫文を蓮如に送ったことへの礼状。
■徳川光圀朱印状・1675年・願入寺。
1674年、願入寺に寄進した300石の朱印地について、
1675年、光圀が願入寺15代如高に宛て書面で認可した朱印状。
■徳川光圀書状・1698年・願入寺。光圀から恵明院に宛てた書状。
■徳川光圀書状・1698年・願入寺。光圀が、願入寺の寺侍森安節に宛の書状。
■徳川光圀書状・1700年・願入寺。光圀が恵明院に宛てた書状。
■徳川光圀書状。・江戸時代。光圀が恵明院に宛てた書状。
■徳川光圀書状・江戸時代・願入寺。光圀が鶴に宛てた書状。
■魚山遺響・1716年・願入寺。安積澹泊ら文人や願入寺ゆかりの人々が撰述した歌集。
■那珂湊川口真景図・江戸時代。立原杏所が那珂川の河口を描いた真景図。
■楼閣山水人物文台・楼閣山水人物硯箱・木製・1691年・願入寺。
光圀が願入寺の恵明院に贈ったもの。
■鉄鉢・願入寺。 鉢は大谷廟堂護持の浄財集めに用いた。
■獅子牡丹彫木漆塗香合・屈輪文堆黒香合・木製・願入寺。
漆塗香合は親鸞が9歳で出家得度のとき慈鎮和尚より拝領・鎌倉彫。
黒香合は如信が愛用品。屈輪文を彫る。
■金銅装箱型笈・木製・室町時代。八溝山修験者に関係した笈。
■砂金・久慈川水系で採取。
■円鏡・柄鏡・青銅製。鏡は大根田願入寺推定跡地から発掘。

展示解説本・親鸞を継ぐ -如信をめぐる遺宝 ?を参考にしました。