21/7/5 ひたちなか市 正安寺 真宗大谷派。
水戸市浄安寺で実施された
第45回茨城二組同朋大会の講演録画をみる。
講師 梶原敬一師
講題 生きる意味を尋ねて。
新型コロナの流行。
死生観の違いが、コロナ対策の違いとなり
今なお混乱が続いている。
死は誰にも避けられない。
いかに死んでいくかは、いかに生きるかということ。
これを見失しなうと生きる意味も見失う。
浄土往生は人生を完成するためにある。

■以下はhp制作者のメモ。
■マザーテレサ。
死とは人生の続きであり、また、
人生を完成させるだけでなく、
体をお返しするに過ぎないのです。
しかし、心と魂はずっと永遠に生き続けます。
死なないのです。
■ルター。
死は人生の終末ではない。生涯の完成である。
■釈尊。
人は死ぬ。あたりまえだ。
■一遍。
一代聖教みな尽きて、南無阿弥陀仏に成り果てぬ
我が亡骸は野に捨て獣に施すべし。
■ガンジー
明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。

■真宗大谷派。
1973年・宗祖親鸞聖人御誕生800年・立教開宗750年の慶讃法要。
テーマ「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」
2011年・親鸞聖人750回御遠忌法要。
テーマ「今、いのちがあなたを生きている」
2023年・宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の慶讃。
テーマ「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」

■私の毎日はかけがえのないもの。
毎日を大切に生きているか??
「欲深き、人の心と降る雪は、積もるにつけて、道を忘るる」
私の思うままに欲を満たし生きる。
私の欲望は積もりに積もる。・・・人の道を忘れる。
娑婆は釈尊が衆生を導く場。私が生きている場。
梵語でサハー・忍土・苦しみを耐え忍ぶ場所の意味がある。
娑婆で生きるには苦しみを耐え忍ぶことが必要。
徳川家康の遺訓も同じ?
不自由を常と思えば不足なし。
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、
負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

■衣食住は私が生きるため必要。
衣食住だけか?
何か大切なもの・かけがえのないものは??

■釈尊は29才の時に出家した。
城の東門で老人・南門で病人・西門で死者をみる。
北門で出家者に会う。それが出家の動機。
釈尊の出家は老病死から逃げたのではない。
生きる意味を見出すためだった。

■健康が人生の第一目的、健康のために生きている。
病気になったら、寝たきりになったらおしまいか?

■鈴木大拙は、床の間は単なる美の鑑賞の場ではない。
神様、仏様を感じる場、敬虔な態度を要求する場という。
静かに座り、頭を下げ、手を合わせる場なのだ。

■私は今生きている。
悩み・苦しみはあるが、生きることを奪うものではない。
精いっぱい生きろ・・・という。

■南無阿弥陀仏。
阿弥陀如来の名みなを呼ぶことは、
阿弥陀如来の呼び声を聞くこと。
南無阿弥陀仏の響きの中、
人と生まれたことの意味を阿弥陀如来にたずねる。

■私は悩み・苦しみをもって生きている。
私を受けとめてくれるのが阿弥陀如来の摂取不捨のはたらき。
いつでも、どこでも南無阿弥陀仏。
私に阿弥陀如来の呼び声が届いている。
それは私の口が南無阿弥陀仏と称えること。
■人と生まれたとことは、
老病死するいのち・誰にも代われないいのちをもっていること。
南無阿弥陀仏と称える。
どれほど多くの縁があったことか。

■10人いれば10通りの考え方・生き方がある。
他者とすべてをわかりあうことはできない。
異なった考え方・生き方をしている者が一緒に生きる。
戦争・差別・いじめ・虐待。
人はいのちを奪い合ってきた歴史がある。今もある。
一緒に生きているが、一緒を拒む。
自分を蔑む必要のない居場所があれば、
他者とともに生きられる。
念仏のあるところは私には居心地がよい。

■念仏は、私が称えるものではない。
念仏は「わが名みなを称えよ」と阿弥陀如来の呼びかける声。
南無阿弥陀仏があると「私はここに居ていい」と安心できる。
■「一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、
念仏の衆生を摂取して捨てたまはず」
阿弥陀如来の救いの光明はどこまでも隔てなく私たちを照らす。
南無阿弥陀仏と念仏を称えた全てのものを
だれ一人こぼすことなく極楽浄土に導いてくれる。
阿弥陀如来のことを無量寿仏、無量光仏ともいう。
限りないいのちを無量寿、限りない光明を無量光という。
阿弥陀如来の光明に12の光明があり十二光仏いう。
無量光、無辺光、無碍光、無対光、炎王光、清浄光、
歓喜光、智慧光、不断光、難思光、無称光、超日月光。
正信偈には
普放無量無辺光 無碍無対光炎王
清浄歓喜智慧光 不断難思無称光 
超日月光照塵刹 一切群生蒙光照とある。

■ひびきあう念仏。
音楽をきく。
からだが沸き立つような感動を覚えることがある。
絵画・景色なども同じ。
*サンタナのブラック・マジック・ウーマン。
軽快なリズムに軽やかなサンタナのギター・感動した。
*新宿ヒットインで目の前で見た渡辺香津美のギター。
香津美のギターテクニックに圧倒された。
指の動きが見えなかった。速弾きの香津美。
*スペイン マドリッドでみたピカソのゲルニカ。
ゲルニカの前でしばし動けなくなった・感動した。
*エジプトの遺跡群。
ギザのピラミッドに入り「すごい」と感動。
数千年前の人のものを作る力を見て歴史感が変わった。
ナイル川沿いの遺跡群・オベリクス・神殿 すべてに感動した。
*イタリア ベネツェアの景観。
霧につつまれ船でベネツェアに向かう。
何も見えない。霧が途中で晴れてきた。
霧の中にベネツェアの建物が見えてきた。
美しかった。感動した。
*上宮寺で正信偈・和讃を称える。
響き合っている。
ひびきあう南無阿弥陀仏。
ひびきあう念仏がよい。

■親鸞聖人は比叡山で修行した。
念仏の修業もした。しかし悩みは解決しなかった。
比叡山を降り吉水で法然上人にあう。
そこには比叡山にない念仏があった。
念仏を称えるひとがちがっていた。
響き合う念仏があった。

■親鸞聖人は、法然上人と出会い
誰もが阿弥陀如来から念仏申す人になってほしいと
願われている存在なのだということの確信をえた。
念仏の道を後の人びとに伝えた。
親鸞聖人の教えによって南無阿弥陀仏と呼ぶ声が私に届き、
私が念仏申す身となることができた。
迷い悩み苦しみ、罪を重ねている私。
懺悔から・・・始まる。
親鸞聖人は、南無阿弥陀仏の意味を学問や教養として探るのではなく、
教えを聞き続ける姿勢の中に、
自身の思いを超えたことに出遇える時があるという。
南無阿弥陀仏と阿弥陀如来の呼び声を聞くことが大切。

■願作仏心は仏にならんと願う心。
曇鸞大師は、無上菩提心を願作仏心・度衆生心とした。
無上菩提心は願作仏心。願作仏心は度衆生心。
度衆生心は衆生を摂取して有仏の国土に生ぜしむる心。
安楽浄土に生ぜんと願うものは、かならず無上菩提心を発す。
親鸞聖人は本願力回向の菩提心を横超とした。
横超は願力回向の信楽、願作仏心。
願作仏心は横の大菩提心。
これを横超の金剛心と名づけた。この心は大悲心。

■歎異抄 第1条
阿弥陀仏の誓願の不可思議なはたらきに救ってもらう。
必ず浄土に往生するのと信じ念仏を称えようと思うとき、
阿弥陀仏如来は、
その光明の中に摂め取って決して捨てない。

■釈尊は竹林精舎にいた。
近くの集落で疫病がはやる。
村人は次々に亡くなる。
村人は神に疫病の退散を祈る。疫病はおさまらない。
村人の中に釈尊の教えを聞いている人がいた。
彼は村人に話した。
「釈尊が竹林精舎にいる。
釈尊は人々の幸せを自分のこと以上に願っいる。
釈尊に疫病から助けてもらおう。
皆が心を一つにして南無仏陀と心の底から願おう」
 村人は心を合わせ声を合わせて南無仏陀とひたすらに称えた。
すると竹林精舎の釈尊の心に村人の願いが響いた。
釈尊は直ちに弟子を連れ村へ行った。
村には南無仏陀、南無仏陀と称える人々がいた。
釈尊は、右の手のひらをやさしく向けて大丈夫という仕草をした。
村人は釈尊の母のような温かさに気持ちが和らいだ。
釈尊はいった。
「皆さん恐れることはありません。
心を穏やかにして日々の生活をすることです。
疫病を悪鬼と思って敵対すればまず自分の心がむしばまれます。
疫病に罹っても罹らなくても死を免れる人はいません。
ですから心静かに優しい心で生活しましょう」
村人たちは釈尊の言葉を胸に刻んで努力しました。
次第に恐怖心から抜け出すことができ、
やがて疫病はおさまりました。(同朋新聞2021/9月号より)

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