21/6/25 那珂市本米崎 
上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
鉾田市 称念寺住職 延方量昭師。

■ご讃題
三帰依文
人身受け難し、
いますでに受く。
仏法聞き難し、
いますでに聞く。
この身今生において度せずんば、
さらにいずれの生においてか
この身を度せん。
大衆もろともに、
至心に三宝に帰依し奉るべし。

自ら仏に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、
大道を体解して、
無上意を発こさん。
自ら法に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、
深く経蔵に入りて、
智慧海のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、
大衆を統理して一切無碍ならん。

無上甚深微妙の法は、
百千万劫にも遭遇うこと難し。
我いま見聞し受持することを得たり。
願わくは如来の真実義を
解したてまつらん。

■おくやみ
最近知ってる方の
葬儀がいくつかあった。
葬儀で少し考えさせられた。

■枕経。
親しくしている寺の
前住職が亡くなった。
住職は父の前住職を
コロナ禍で見舞うことが
できない日々が続いた。
前住職が亡くなりそう
とのことで住職は病院にいった。
住職は父に何とことばを
かけていいかわからなかった。
住職は父の耳元で 
正信偈和讃を称えた。
そして法話をおこなった。
最後の別れをした。
これが本当の枕経と思った。

■手伝い。
お世話なっている住職が亡くなった。 
葬儀の手伝いをした。
住職は初代だった。
副住職は2代目。
住職は門徒を多くした。
教誨師をしていた。
2年前に報恩講で
私の寺にきてくれた。
そのとき住職に
今回が最後といわれた。
実は亡くなった私の父に
頼まれていたことがある。
私が一人前となるまで指導して欲しい。
父が亡くなり23年間
私を導いて下さった。
本当にありがたかった。
時にはうるさい住職と
思ったときもあった。
それは私の父に
頼まれていたからだった。
私を息子のように見ていた
と坊守がいった。

6/11・13時から葬儀だった。
コロナ禍のなか、
焼香は時間をはずしておこなわれた。
朝から門徒の弔問があった。
副住職は一人一人に
ことばをかけていた。
3時間以上立っていた。
門徒と話をしていた。
葬儀で喪主の副住職より
挨拶・謝辞があった。
父の存在に気づき
押しつぶされる気持ちがあった。
弔問の方とことばをかわし
自分は父の足跡をたどれないと思った。
父の見ていたものを私もやっていきたい。
あとを継ぐのとはそういえことに思えた。
そう思ったら気持ちが楽になった。
門徒の皆様と挨拶をかわして
気づかされた。

■親鸞聖人は教行信証の最後に
安楽集より、
前に生まれん者は後を導き、
後に生まれん者は前を訪とぶらえ
とある。
中国の道綽の安楽集の言葉。
亡くなったひとが願っていたことを
ついでいくのが真実の葬儀。

■小さい娘。
昨日1才2か月の赤ちゃんの葬儀があった。 
6/20に赤ちゃんは亡くなった。
近くの門徒の家の赤ちゃん。
枕経にいった。
小さなふとんに寝ていた。
三帰依文を唱え剃刀をあてた。
赤ちゃんは心臓が悪かった。
納棺・小さな棺に花を入れた。
ふたをしめた。
両親は
パパとママのこどもとして
生まれてくれてありがとう
といった。
難病だった。
何度も手術が必要。
入退院を繰り返していた。
具合が悪くなり
病院に向か途中に
心臓が停止した。
成長が遅れていた。
両親は小さな娘に
笑ってもらうようにしていた。 
娘がいたから一生懸命できた。
自分たちが娘を支えていたが
実は支えられていたと気づいた。。
だから
ありがとうのことばがでた。

■真宗の葬儀。
■亡くなる
枕経
■頭北面西右脇臥ずほくめんさいうきょうが。
釈尊が入滅した時の姿。
人が亡くなった時、
亡くなった方を
北枕にし・顔を西に向け・
右脇を下にして寝かせる。

■おかみそり、
本尊の前で三帰依文を唱和し、
剃刀を頭にあてる。
■湯灌ゆかん
亡くなった方を入浴・洗い清めること。
真宗はけがれの考えがない。

■服をきる 
浄土真宗は、
阿弥陀如来の導きにより
人は亡くなれば浄土に帰るので
旅支度をしない。

■親鸞聖人は
弟子の明法房の往生を知ったとき、
明法房の往生のこと、
おどろき申すべきにはあらねども、
かえすがえす、
うれしくそうろう
といった。
往生は驚くことではない。
私たちは生きることがあたり前、
死ぬことは驚きと考える。
親鸞聖人は死ぬことは驚きではない、生まれた以上は必然のこと。
人として生まれ、
今命あることが不思議なこと、
驚くべきこと
という。
明法房が亡くなったことが
うれしいのではない。
浄土に生まれたことがうれしい。
人として生まれることは
有り難いこと。
浄土に生まれ仏になるとは
とても有り難いこと。

■納棺。
納棺は亡くなった人を
棺の中に納めること。
棺に納めるのが一番大事。 
命日・俗名・法名・根本法名南無阿弥陀仏
を書いた紙・棺書かんじょを棺に入れる。

■蓮如上人は
本尊は掛けやぶれ、
聖教はよみやぶれ
といった。 

■葬義をを門徒として
どのようにうけとめるか
それぞれが考えること必要。

■掲示板のことば。
大丈夫
心配するな
なんとんかなる
伝一休禅師


自分の思いとはちがって
世の中はなるようになって
います

そのことに気づくとは
自分のその思いが問題だと
気づくことです

なったところに己の生命
をかけて生きる。

心配することは
よけいものと
一休さんは
言ってます