21/6/5 ひたちなか市 正安寺法話 真宗大谷派。
正信偈・同朋新聞6月号参考。
正信偈について
住職さまのお話をきく。

得至蓮華蔵世界 
即証真如法性身
遊煩悩林現神通 
入生死園示応化。
■蓮華蔵世界に至ることを得れば、
すなわち真如法性の身を証せしむ。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、
生死の園に入りて応化を示す。

■以下はhp制作者のメモ。
■得至蓮華蔵世界。
蓮華蔵世界に至ることを得ればとは、
阿弥陀如来の浄土に往生すればということ。
浄土は完全な目覚めの世界。
蓮の華は仏の完全な目覚めを象徴する。

■即証真如法性身。
真実そのものを体現した仏に成ることがかなう。
すなわちとはただちにということ。
真如法性の身を証せしむとは、
真如も法性も最高の真実を表すから、
限りない光そのものである阿弥陀如来と同じように、
真実そのものを体現した仏に成るということ。

■遊煩悩林現神通。
煩悩の林に遊びて神通を現じ。
煩悩は凡夫の身体を煩わせ心を悩ませる。
神通は仏や菩薩が凡夫を救うためのすぐれた力。
浄土に往生した凡夫は、浄土からでて
密林のような煩悩の世界に出入りする。

■入生死園示応化。
生死の園に入りて応化を示す。
生死は道理から外れて迷いつづける状態。
応化は仏や菩薩が凡夫の救うため、
各人に適したはたらきかけをすること。
迷いに満ちた園林に入り込み凡夫を応化する。 
与えられている信心を凡夫が素直に受け取れば、
凡夫の生活は阿弥陀如来の願い通りに浄化される。

■蓮如上人の正信偈大意。
遊煩悩林現神通 入生死園示応化は、
これは還相回向のこころなり、
弥陀の浄土にいたりなば、
娑婆世界にもまたたちかえり、
神通自在をもってこころにまかせて、
衆生をも利益せしむべしといえる心なり。

煩悩の林と生死の園の句は、
衆生が苦悩を耐え忍んで生きるこの娑婆世界を表している。
神通と応化は、
仏が衆生を救済するために用いる超自然的な能力。
このように浄土から娑婆に還って
思うがごとく衆生を利益することも、
阿弥陀如来の本願の力によって可能になる。

■五種の功徳の門。
浄土に往生した念仏者は
完全に目覚めた仏と成って娑婆に還る。
そして一切衆生を救う働きを担っていく。
浄土を阿弥陀如来の邸宅に譬えて入る・出るという。
念仏者は外から順に4つの門を通り邸宅に入る。
そして阿弥陀如来の前で覚りを開く。
5番目の門から外に出て
如来の大慈悲による救済の働きに加わる。
念仏者が通りぬける5つの門は、
五種の功徳の門という。
入るときの2つの門は、
帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数の句に該当。
阿弥陀仏如来から贈られた
功徳の宝・念仏の声を聞き、
一心に南無阿弥陀仏と称えるとき
正定聚の仲間に入る・大会衆の数に入る。
入るときの次の2つの門は、
得至蓮華蔵世界 即証真如法性身の句に該当。
阿弥陀如来の家で阿弥陀如来と同じ
完全な覚りを開くとは、
道はそこで終わりではない。
目覚めたものは第5の門を通り
外の迷いの世界に出て、
一切苦悩の衆生のために自由自在に活動する。

■高原の陸地に蓮華を生ぜず。
維摩経に高原の陸地に蓮華を生ぜず。
卑湿の淤泥に蓮華を生ずという。  
白い蓮華は尊ばれる。

■掲示板のことば。
苦を
まぬがれるには
その苦を
生かしていく
道を
学ぶことです