21/4/25 那珂市本米崎 
上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
松岡満優師。
浄土真宗本願寺派 富岡山蓮照寺住職。
群馬県富岡市。
[ ]はhp制作者のメモ。

■ご讃題。
ひそかにおもんみれば、
難思の弘誓は難度海を度する大船、
無碍の光明は
無明の闇を破する恵日なり。

[私なりに考えるに、
思いはかることのできない
阿弥陀如来の本願は、
渡ることができない
迷いの海を渡してくれる大船。
さまたげられない光明は、
煩悩の闇を破る智慧の輝きである]

■お寺は富岡製糸工場の近くにある。
先ほどまで晴れていた。
今突然に雨が降ってきた。
ちょっとさきのことも予測が難しい。

■梵天勧請。
[釈尊はさとりをひらいた。
しばらく喜びを感じていた。
さとりを他の人に教えるかまよった。
さとりの内容は難しかった。
凡夫には簡単には理解できない。
釈尊は凡夫に説き示すことに躊躇した。
そこに神・梵天が釈尊に説法を促す。
釈尊は凡夫に説法しようとする。
凡夫は煩悩をもっている。

■四顛倒してんどうの妄念。
凡夫は四顛倒の妄念をもっている。
[四顛倒とは四つの道理に背く見解。
凡夫は無常・苦・無我・不浄に生きているが、
常・楽・我・浄に生きていると
思い違いをしている]

■無常・真実は無常。
凡夫はいつまでも同じ状態ではいられない。
凡夫は大丈夫・変わらないと思う。
しかしそれは間違い。

■楽なはず。
真実は苦。
一切皆苦。
[長生きすれば身内などを失う苦しみがある。
人生は四苦八苦・一切皆苦という。
苦しみの原因は願望。
願望が大きいほど苦しみも大きくなる。
仏道は願望・煩悩を小さくしようとした]

■我・私の思いどうりになる。
しかし現実は無我。

■浄・この娑婆が浄と凡夫は考える。
しかしこの娑婆は穢土・穢れている。

■釈尊は四顛倒の妄念をもつ凡夫には
さとりの内容を伝えられないと考えた。

■三毒の煩悩。
貪欲・瞋恚しんに・愚痴を三毒の煩悩という。
[凡夫が穏やかでいられないのは
煩悩があるから。
年の暮れの除夜の鐘。
108の煩悩を消していく。
インドでは108には多いの意味がある。
人間の煩悩は限りない。
貪欲とは多くのものを欲しがる心。
瞋恚は怒り・腹立・憎しみ。
愚痴は正しいことを知らないこと]

■貪愛瞋憎之雲霧(正信偈)
[貪愛というむさぼり、瞋憎といういかりは、
雲や霧のように常に私を覆っている]

■常覆真実信心天(正信偈)
[私の貪愛や瞋憎により、
回向されている真実の信心を覆い隠し、
真実の信心を遠ざけている。
阿弥陀如来の大慈悲心の光は、
そのようなことでは覆い尽くせるものではない。
信心は私の判断で信じるか信じないか決まるものではない。
信心は阿弥陀如来から振り向けられた信心。
自力で引き起こす信心ではない。
阿弥陀如来からいただく他力の信心]

■親鸞聖人は煩悩具足の凡夫といった。
煩悩からできているのが私。
私は煩悩でできている。

■凡夫の欲。
■五欲。
睡眠欲・名誉欲・食欲・色欲・財欲。

■貪欲

■還来生死輪転家(正信偈) 
[迷いの状態が自分の帰るべき家と錯覚し、
すぐに迷いに立ち戻り転がり回る。
人は目先の出来事に気をとられ
真実を見失い迷っている。
しかも、迷っていることに気づかず生きている]

■決以疑情為所止(正信偈)
[疑情があるから
生死を離れられないことは間違いない。
阿弥陀如来は苦悩する人を
すべて救うと願っている。
阿弥陀如来の本願に任せよと教えている。
凡夫はその教えを疑う。
教えを素直に受け取れず、
自分の考えと、教えとの間に
疑うこころが生まれる。
信の反対語が疑]

■速入寂静無為楽(正信偈)
[速やかに寂静無為の楽に入ることは、
寂静は煩悩から離れ煩悩に
乱されなくなった静寂な境地。
無為は凡夫が為し得ることを
はるかに越えた世界。
寂静無為は涅槃。
人が悩み苦しむのは、自我、欲望が原因。
煩悩を離れた涅槃の境地は、
自我へのこだわりを離れた安楽。
苦の反対の楽は次の苦の原因。
安楽は苦と楽を越えた静けさ。
凡夫が思う苦も楽も一切皆苦。
その苦の解決は涅槃]

■必以信心為能入(正信偈)
[必ず信心をもって能入とすといえり。
本当の安楽の境地には
疑いのない信心によって、
必ず速やかに入ることができる]

■難思の弘誓は難度海を度する大船
阿弥陀如来が大きな船を
準備くださった。

■無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり
[何ものにもさまたげられないその光明は、
煩悩の闇を破ってくださる智慧の輝きである]

■無難な人生とは
三毒・五欲・老病死・
愛別離苦・怨憎会苦・五蘊盛苦。

■無難な人生とは。
難が無ければ無難な人生 
難が有れば苦難の人生。
無難な人生なんてありえない。
難があって有難い?

■親鸞聖人の名前は、
天親菩薩と曇鸞大師から一字を頂いている。

■曇鸞大師の話。 何といっても健康
曇鸞大師は長寿が大事と考えた。
仙人のもとへ弟子入りし長生不死の仙術を学んだ。
3年後には免許皆伝となる。
仙経の10巻をもらい帰路についた。
途中、洛陽で三蔵法師の活躍を知る。
曇鸞大師は三蔵法師に面会した。
曇鸞「仏教を志したが、途中で病を患った。
断念し、中国に伝わる仙経を手に入れた。
仏教に仙経をこえる教えがあるか?」
三蔵「どんな教えか?」
仙経を斜め読みし、大地にぺッとつばを吐いた。
三蔵「あなたは仏教をこれと比べているのか」
曇鸞「なぜそんなことをきく」
三蔵「100年や200年生きても必ず死ぬ」
曇鸞「仏教にはもっと不老長寿の教えがあるのか?」
三蔵は観無量寿経を曇鸞に渡した。
三蔵「限りない命を頂く教えが説かれている」
曇鸞は無量寿経を読む。
みるみる青ざめる。
曇鸞「こんな教えがあったのか」
観無量寿経には、
永遠の幸福にすると誓われた
阿弥陀如来の本願が説かれている。
曇鸞「今までむだな時間を使った」
曇鸞は仙経10巻を三蔵の前で焼き捨てた。
三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦(正信偈)]

■娘、唯ゆいちゃん。
唯は生後8カ月の時に危篤に陥った。
難病メチルマロン酸血症だった。
健康な人は食事をすると、
それを分解・吸収し排泄する。
唯は1日でタンパク質を
体重1キロに対して1グラムしか分解できない。
群馬県の病院では治療できず、
100km離れた栃木県の病院で治療してもらった。

■私が付き添っていたときに亡くなった。
長男が生まれたばかりで妻は間に合わなかった。
妻は私にいった。
「唯はお浄土に生まれましたね、
それで安心あんじん」
生れてから死ぬが
阿弥陀如来に救っていただき浄土にいく。
そのあとも救われつづける。
他力は阿弥陀如来の本眼力なり。
あなたを救う本願他力。
それが安心。
唯は阿弥陀如来に救っていただいた。

■ひそかにおもんみれば、
難思の弘誓は難度海を度する大船、
無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。
教行信証の総序に書いてある。

■唯が亡くなり病院から
自宅までの車のなか。
妻を慰めることばを探したが
慰めることばをかけられなかった。
妻に何を話すかまよっていた。
妻が「お念仏をいただいていてよかったね。
浄土真宗でよかったね」といった。
南無阿弥陀仏。
何があっても生きている。
安心あんじん。
阿弥陀如来の救い。
それを知るのが生きがい。
浄土がある。
闇が破られる。

■曽我量深先生は、
「宗教は情緒なり」といっている。

■浄土はないとこまる。
浄土は仏説阿弥陀経に書いてある。
西に浄土があると思うだけでよい。

■清沢満之
「私はなにものだ」といっている。

■難思の弘誓は難度海を度する大船

どんなときでも
阿弥陀如来の願がとどいている。
二種の回向、往相と還相。
往相と還相がひびきあう。
この世の命は終わっても、
浄土で永遠の命をいただいて生かさせていただく。

ひたすらに南無阿弥陀仏とともに
強く明るくいきる。
真実は南無阿弥陀仏。
聖道慈悲の心あり。
他力の中で生きていた。
しかし気づかなかった。
浄土はなくてはならないもの。
みなことごとく浄土にいたる。
今日も唯と2人でやってきました。

■御文章。
聖人一流の御勧化のおもむきは、
信心をもって本とせられ候ふ。
そのゆえは、
もろもろの雑行をなげすてて、
一心に弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として、
仏のかたり往生は治定せしめたまふ。
その位を一念発起入正定聚と釈し、
そのうえの称名念仏は、
如来わが往生を定めたまひし
御恩報尽の念仏とこころうべきなり。
あなしこ、
あなかしこ。

■掲示板のことば
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これからの私たちの使命です

気仙沼市立階上中学校
梶原裕太さんの卒業の答辞より