21/3/25 那珂市本米崎 上宮寺定例法座 
真宗本願寺派。
[ ]はhp制作者メモ。
■全員で正信偈を称える。
■合群信哉師 栃木県 清浄寺住職。

■ご讃題。
なによりの、
去年・今年、
老少男女おほくのひとびとの、
死にあひて候ふらんことこそ、
あはれに候へ。
ただし生死無常のことわり、
くはしく如来の説きおかせ
おはしまして候ふうへは、
おどろきおぼしめすべからず候ふ。

■ご讃題は親鸞聖人88才のお手紙。
1260年に書かれたこのお手紙は、
最後のお手紙と言われる。
何よりも去年から今年にかけ、
老いた人・若い人。
男性・女性を問わず、
多くの人々が亡くなった。
本当に悲しい。
しかし命あるものは必ず死ぬ
という無常の道理は、
既に釈尊がお説きになっている。
驚かれるようなことではない。

■親鸞聖人の生きた時代
天然痘・はしか・
インフルエンザのようなものがあった。

■フランスのカミュは
小説ペストを書いている。
アルジェリアの地方都市で
伝染病ぺストが発生した。
街は封鎖された。
街は緊張した雰囲気になる。
街はパニック状態になる。
ある人がいった。
「このいまいましい病気め。
かかっていないものまで心は感染している。
心がおかされてきている」
現在のコロナ禍の状況に似ている。

■去年4月くらい。
築地本願寺にいくのに地下鉄に乗った。
コロナ禍で車内は
5人しか乗っていない。
そこに初老の男性が
マスクなしで乗ってきた。
少し車内の雰囲気がかわる。
初老の男性が咳を少しした。
次の駅で5人の乗客はいなくなった。
別の車両に移ったようだ。
田舎町に住んでいる私と
初老の男性が車内に残った。
現在まで私の町のコロナ感染者数は
20人くらい。

■地震・台風・洪水などがあると
田畑が荒れる。
作物のできが悪くなる。
食べ物が不足してくる。
食事がとれないようになってくる。
体調を悪くする。
伝染病が発生する。
いわれのない非難を浴びる。
親鸞聖人の時代
ハンセン病は恐れられた。
いわれのない非難・差別を受けた。
非難・差別を受けるひとは
悪人といわれた。

■法顕ほっけん。
法顕は5世紀初めに仏典を求めて
インドに渡った中国の僧。
インドで仏教を学び、
海路でひとり帰国した。 
伝記法顕伝を書く。
当時インドは階級制度があった。
旃陀羅せんだらを悪人と言う。
街は城壁で囲まれていた。
旃陀羅は街内に住めない。
城の外で生活した。
街内に入った場合は
首から下げた拍子木のようなものを
たたいて歩かなければならなかった。
音を出すことで
街内に暮らす人との接触を避けた。
■旃陀羅はインドの
被差別民チャンダーラが漢音訳された。

■曇鸞大師の住んだ平遥は
城壁に囲まれた街だった。

■映画もののけ姫で
鉄をつくるタタラの場面がある。
場所は城壁の外。
皮膚病・伝染病にかかった人は
悪人といわれた。
ハンセン病と思われる
白い頭きんをかぶった人たちが
登場している。

■歎異抄第3条では
善人でさえ浄土に往生できる。
悪人はいうまでもない。
世間の人は、
悪人でさえ往生する。
善人はいうまでもないという。
これは本願他力の
救いのこころに反する。
自力による善により
往生しようとする人は、
本願のはたらきを信じる心が少ない。
煩悩をもった悪人は、
迷いの世界をのがれられない。
阿弥陀如来は、
それをあわれに思われ
本願をおこされた。
わたしどものような悪人を
救いとって仏にする。
阿弥陀仏の本願力におまかせする悪人。

■親鸞聖人は
29才で比叡山をおりる。
自力を捨て本願念仏に入る。
亡くなるまで
自力を捨てることに苦労された?
9才から29才までの修業。
学んだ一切を捨てることができたか?
教行信証は亡くなるまで
見直しされた。
いくつか未完成のようだ。
何故京都に戻ったか?
笠間付近には
教行信証を完成させるに
必要な書籍がなかった。

■佐貫の三部経。
越後から笠間への途中に
群馬県佐貫を通る。
佐貫は利根川があり水郷の地・湿地帯。
地震・洪水・飢饉による
被害が相次いでいた。
親鸞聖人は惨状をみかねて、
衆生利益のため
三部経を千回読誦することにした。
自力をやめたはずなのに。
名号を称えるほかに何の不足が。
4〜5日後
思い直して読むのをやめた。
50才のとき
親鸞聖人は病気になる。
病床で夢をみる
佐貫三部経の夢だった。
なんと自力のすてがたいことか。

■屠沽の下類者とは、
屠は生きものを殺す者、
沽は酒を商う者で
悪人としている。
世間の悪人と呼ばれていた。
商人は住所不定の為差別を受けた。
どこの誰だかわからない。
決まった場所で生活している人には
住居のわからない人は
不気味な存在に感じた
のかもしれない。

■お布施。
財施・金銭や衣服食料などの財を施すこと。
法施・法を伝えること。
無畏施・厄難を救う恐怖の念をなくすこと。
無財の七施。
眼施・やさしい眼差しで接する。
和顔悦色施・笑顔で接する。
言辞施・やさしい言葉で接する。
身施・身体を使った奉仕。
心施・心をくばる。
床座施・座席をゆずる。
房舎施・宿を提供する。

■中国での話。
むかし白楽天が禅僧にたずねた。
仏教の教えとは何か。
禅僧は4つの偈でこたえた。
諸悪莫作しょまくまくさ
衆善奉行しゅぜんぶぎょう
自浄其意じじょうごい
是諸仏教ぜしょぶっきょう」
悪いことはやらない、
善いことをしなさい。
白楽天は
そんなことは3才の子供でも知っている
といった。
禅僧は、
3才の子供でもこれを知るが、
80才の翁もこれを行なうことは難しい
といった。

■関東で念仏を説く。
漁民・狩猟民の住んだところに
念仏道場がいくつか残っている。
漁民・狩猟民は
生きものの命を奪う人。
悪い人として差別をうけていた。
親鸞聖人が
越後・関東でみた
漁民・狩猟民は
まじりけのない人だった。
魚民・狩猟民の生活は
食べていくのがやっと。
毎日暮らしていくのに精一杯の
人々の姿だった。
漁民・狩猟民は悪人でないと確信した。
その人こそ阿弥陀の本眼力に
救われる人と思えた。
念仏の教えを説くことが大切と考えた。
阿弥陀如来の本願力に救われる教えを
伝えようと強く思ったのではないか。

■善導大師は女性をみなかった。
禅宗の寺院の入口に
葷くん酒の山門に入るを許さずとある。
肉や生臭い野菜を食べたり
酒を飲んだりした者は、
修行の場に相応しくないので
立ち入りを禁じた。
親鸞聖人は結婚された。
肉や生臭い野菜を食べたとおもう。
[何が悪で何が善か?
歎異抄によると親鸞聖人は、
何が善であり何が悪であるのか、 
わたしは知らない。 
なぜなら、
如来が善と思いになるほどに
善を知り尽くしたのであれば、
善を知ったといえる。
また如来が悪とお思いになるほどに
悪を知り尽したのであれば、
悪を知ったといえるといっている]

■法然上人の興した
他力本願念仏の一宗は
朝廷に処罰された。
親鸞聖人は流罪になった。
非僧非俗の立場を考えた。
何故流罪になったのか。
親鸞聖人は目立ち過ぎた。

■非僧非俗 
歎異抄後序流罪記録によれば、
親鸞聖人は越後の国に流罪となる。
年齢は35才。
僧籍を取り上げられる。
俗名藤井善信を与えられた。
僧侶でもなく俗人でもない身となる。
禿の字を自分の姓とし、
朝廷に申し出て認められた。
流罪後は名前を愚禿親鸞と書いた。

■家宅無常の世間。
わたしどもは煩悩をそなえた凡夫。
この世は燃えさかる家のように
たちまちに移り変わる世界。
むなしくいつわりの世界。
真実といえるものは何ひとつない。
ただ念仏だけが真実である。
[私たちの生きているこの世は、
思いもよらぬ事が突如として起き、
長い間大事にしてきたものも
一瞬にして崩れ去ることもある。
常にそんな不安に
さらされているのが人生の実態]

■因幡の妙好人源左さんのはなし。
ある男
「源左さん、わたしは偽同行です。
寺に参れば阿弥陀さまの前へ出て、
念仏に喜ばせてもらっています。
しかし家に帰ると忘れてしまいます。
全くわたしは偽同行です」
源左さん
「偽になったらもう大丈夫です。
なかなか偽になれるものではありません」

■王舎城の阿闍世のはなしを
親鸞聖人は教行信証に引用されている。
親鸞聖人は阿闍世のすがたを
わたしたちの代表としてみられている。
私たちは阿闍世のこころをもっている。

■御文章。
聖人一流の御勧化のおもむきは、
信心をもって本とせられ候ふ。
そのゆえは、
もろもろの雑行をなげすてて、
一心に弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として、
仏のかたり往生は治定せしめたまふ。
その位を一念発起入正定聚と釈し、
そのうえの称名念仏は、
如来わが往生を定めたまひし
御恩報尽の念仏とこころうべきなり。
あなしこ、
あなかしこ。

■掲示板のことば
永遠に生きる 
かのように 
真理(自己)を探求し
明日死ぬかのように
今を生きる

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