21/2/21 那珂市中央公民館
根本正顕彰会公開講座。 
横地富子先生。
演題 国会の中の根本正part2
根本正と気象災害
■明治時代の気象災害の歴史。
■明治三大水害。
1896年9月・台風。
1907年8月・台風性豪雨。
1910年8月・梅雨前線と2つの台風。

■久慈川・那珂川の水害。
1890年8月の洪水。
1902年9月の洪水。
1902年8月の2つの台風。
1910年3月の暴風雪。
1910年8月の2つの台風。
大正2・3・6・9・10・11年。
昭和3・4・5・7・9・10・13年
他頻繁に洪水が発生している。・

■自然災害伝承碑事例の例。
自然災害の伝承碑がある。
■碑名 可恐おそるべし
災害名 洪水1890年8月7日
所在地 大子町袋田
内容 
久慈川は未曽有の大洪水、
水位は平時と比べて約6.6m増水。
田畑約3.7haが流された。
溺死者4名、流失家屋13棟、
浸水家屋250戸余、
町家の大半が浸水。

■碑名 築堤記念碑 
災害名:洪水 
1938年9月1日、1941年7月22日
所在地 常陸大宮市野口
内容
豪雨で、天明年間以来の大洪水が発生。
水位は8m、
耕地は20haが流され、
家屋は約30棟が浸水し、
被災者は約200名。

■碑名 久慈川改修記念碑
災害名 洪水1786年ほか
所在地 常陸太田市上河合町
内容
明治以降昭和20年代まで
34回の大洪水・風水害あり。
河川は幾度も氾濫、
山崩れを誘発・堤防を決壊、
人命を奪った。
碑には1786年以降の洪水被害の歴史と、
河川改修整備の経過が記されている。

■碑名 洪水記念
災害名 洪水(1938年6月ほか)
所在地 水戸市上河内町(素鵞神社)
内容
1938年、那珂川の氾濫
3ヶ月の間に3回洪水が発生、
県下では崖や道路の崩落、
橋や家屋の流失、
耕地の埋没などの大被害が発生し、
この村も大きな被害を被った。
特に9月1日の氾濫では
上流側の栃木県の降水量が多かった
濁流となり、
流域各地は泥海となった。

■その他の災害。
明治24年10月・濃尾震災・愛知県・岐阜県。
明治26年・風蝗災・佐賀県。
明治27年・庄内震災。
明治29年・陸羽震災・秋田。
明治30年7〜10月・新潟水害。
明治31年・山梨県・関東・北海道に台風被害。
明治35年・北日本の大冷害。
明治凶作群。明治38・39・大正2年。
九州・中国・中部地方・東京台風被害。

■維新後の災害による
地租免除・救済に関する法律。
■明治6年・地租改正法・
年貢物納から地価の3%の金納に改正。
原則とした豊作凶作にかかわらず
地租の増減はない。
地租の減免は天災により
土地が耕作不適地になった場合は
復旧までは免税か無税となるとした。
■明治13年・備荒貯蓄法。
被災農民救済に備え、
事前に基金として
積み立てて準備しておき
被災者の救済と税の減免・延納
総合的な共済制度。

■根本正の国会の中での
水害・災害に関する活躍。
■明治36年5月18日
災害地租免除に関する法律案委員会。
委員長 根本正
本会議 明治36年5月28日。第一議会。
{議会での議員のやり取り省略]

■根本正の高層気象台設置への活躍。
■明治43年第26回帝国議会に
高層気象観測に関する質問主意書提出。
明治44年〜大正3年の
第27回・第28回・第30回・第31回の
帝国議会に高層気象観測に関する
建議案を提出。
高層気象台は大正9年に設置された。

■■以下はhp制作者メモ■■
■明治時代も現在も災害は多い。
明治36年の委員会・議会での
議事録から
被災民側にたつ衆議院・
再生難にたつ政府側の貴族院
やりとりがわかる。
■災害を人のちからで抑え込もうと
するのは難しいようだ。
自然と共存する姿勢が必要な気がする。
■根本正は
災害防止のために高層気象観測の必要と考え
高層気象台の設置に邁進した。
■根本正の活動は
海外を経験した感覚が源か。
■利根川の治水工事の促進に活躍している。
一方で地元那珂川・久慈川への治水工事は
それほどでもなさそうだ。
これは地元を考えるよりも
日本の国を考えて活動したからか。
利根川は日本の3つの暴れ川の長男。
利根川の治水には関心があったようだ。
渡良瀬川の流れこむ利根川。
田中正造と根本正との接点も見えるようだ。

■帝国議会開設後の最初の災害減免法。
■明治24 年・濃尾震災に伴う
震災地方租税特別処分法。
その後、災害減免法は地租に特化する。
地租の減免を巡る帝国議会での論争の結果、
■明治34 年・水害地の地租免除の法。
■明治36 年。水害以外の災害による地租延納の法。
地租免除法と延納法は並立状態となる。
■大正3 年・
災害地の地租免除の法が一本化される。

■根本正略歴。
明治31年 1898年・47歳・選挙初当選。
1898年・日本禁酒同盟結成。
1899年・国民教育授業料全廃建議案。
1899年・小学校国庫補助法案提出。
1899年・インド・ビルマの商工業視察。
1899年・未成年者喫煙禁止法案提出。
1900年・美術奨励建議。
1900年・国字国語国文改良建議。
1901年・未成年者飲酒禁止法初提案。
1901年・史談会国庫補助建議。
1901年・国民教育及び鉄道客車質問書。
1902年・普通教育教科書中憲政要旨編入建議。
1901年・輸入原料砂糖戻税法案。
1901年・工業試験所に板硝子製造工場設置建議案。
1901年・未測の海岸及び水路の測量完成建議案。
1901年・貧民救助建議案。
1903年・教育及び行政質問書。
明治36年1903年・災害地地租免除法律案。
明治36年1903年・大日本帝国
水難救済会国庫補助建議。
明治36年1903年・国定関税建議。
1904年・国定教科書質問書。
1906年・公立幼稚園の保母に恩給法律案。
1906年・私設鉄道法中改正案。
1907年・商科大学設立建議。
1907年・小学校教員待遇質問書。
1907年・小学校教員退隠料及び
遺族扶助料法改正案。
1908年・三女直子死去。
1909年・教育基金予算案代表質問。
1909年・南米航路賛成演説。
1909年・ローマ字普及建護。
1909年・市町村立小学校教育費国庫
補助法中改正法律案委員長。
1909年・小学校教科書用図書建議。
1909年・衆議院議員選挙法中改立法律案提出。
1909年・町村制中改正法律案共同提案。
1909年・長男美倫死去。
1910年・帝国学制案提出。
1910年・水郡鉄道建設の建議案提出。
1911年・小学校教員優待質問書。
1911年・在外国売淫婦取締法制定請願。
1911年・次男正次死去。
1914年・敷設延期質問書。
1914年・衆議院食堂で酒類販売止める。
1919年・水郡線建設始まる
1921年・中国・満州・朝鮮を旅行。
1922年・未成年者飲酒禁止法成立・施行。
1922年・政友合脱退。 
1924年・総選落選・政界引退。
1927年・水郡線、常陸大子まで開通。
1933年・82歳・死去。

■田中正造と根本正01
明治32年1899 第 13議会の時、
根本君と席を隣にした。
気味が悪い。
後ち、
根本君が信者(キリスト教徒)
というを聞きてより、
神様の側らにいる心地して、
終に煙草をやめました。
(田中正造回顧談)

■田中正造と根本正02
明治 34年 (1901)、
田中正造は明治天皇に
鉱毒被害を直訴する。
即時に拘束される。
警察に連行され尋問を受ける。
根本正は真っ先に駆けつけ慰問した。

■ふたりの生き方はすごい。
気骨を感じる。
いまこのような政治家を知らない。
ふたりは
私を捨て、
国のために・正義のために生きた。