20/12/24 城里町
茨城県埋蔵文化財センター
「いせきぴあ茨城」
■縄文時代
15000〜2300年前。
15000年前
氷河期が終わった
温暖化により
海水面が上昇。
森は豊かになった。
縄文土器がつくられた。
木の実・動物・魚介を
煮炊きして食べた。
食べ物が安定。
人は集まって暮らした。
■東田中遺跡。
石岡市。
25mの台地。
縄文時代中期4500年前。
斜面貝層(貝塚)・
遺物包含層を確認。
出土品。
石製耳飾り・石製垂飾り・
骨角器・貝刃・貝輪。
貝類
ハマグリ・カキ・ウミニナ。
■霞ヶ浦周辺は
入江状の海になっていた。
縄文海進による。
1海岸線 赤丸は東田中遺跡。
■貝塚。
貝を捨てた場所。
カルシウムが多い。
骨が残っている。
魚骨・獣骨もある。
遺骸の埋葬もある。
信仰的な場という
考えもある。
■遺物包含層。
土器・石器が
多く含まれる堆積層。
■築地遺跡。
常総市。
20mの台地。
縄文時代
3500〜2800年前。
出土品。
竪穴住居跡・多くの遺物・
注口土器・貝・
鹿角製の垂飾品・
漆塗の櫛。
■耳飾り。
3500年前から大型化。
耳たぶに穴をあけて装着。
土偶にもみられる。
■2土偶。
人形の形。
土の焼き物。
安産・豊かな実り
をこめて作られた。
マツリの道具。
マツリが終わった後
わざと壊されたとの
考えもある。
■3玉類。
かたい石でつくられているものもある?
ヒスイもあるような
どこから運ばれた石?
かたい石をどのように
加工したのか?
出土品をみていると
多くの疑問がでてくる。
縄文時代は
遠くの地と連絡があり
石を加工する技術も
高かった。
と思われる。
だれか
解明してほしい。
1万数千年の営みは
謎が多すぎる
■4縄文カレンダー。
縄文時代の
食料の季節変化を
円であらわした。
■春・秋。
採集。木の実・山菜・貝。
■夏。
魚をとる。
■冬。
狩猟。