20/10/25 那珂市本米崎 上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
布教 上宮寺前住職。
[ ]はhp制作者メモ。
■ご讃題
聞き取れなかった。
前念命終・後念即生のことばがあった?
[親鸞聖人は、
現世において信心を獲得すると
同時に正定聚の位に入る意とした]

■人を如来を探す旅 平野修著
についての話があった。
1943年石川県に生まれる。
大谷大学大学院博士課程修了。
九州大谷短期大学教授。
石川県松任市 真宗大谷派明証寺住職。
1995年亡くなる。
あかあかと 日はつれなくも 秋の空
松尾芭蕉
[長い夏の旅を歩き続けてきた。
赤く照りつける残暑の太陽は暑い。
しかし秋。
風はさわやかに吹いている]

■あかく燃えるものを求めて。

■我々は勝手に
自分で阿弥陀如来を
おもい描いている。

■念仏はどのような気持ちで行うか。

■百々海真どどみしんさんがいっていた。
90才のばあちゃんに言われた。
「燃えるような生き方をしたい。
どうしたらいいか」
前向きのことばに驚いた。
90才のばあちゃんは
あかあかともえるひと。

■念仏は死後。
生きている間は神様。
死んだら仏様。
寺はお葬式。
お祝いごとは神社。
このようなことを
ひとが勝手にきめた。

■いろいろな念仏。
■残念無念のお念仏。
聞かされる方は大変。
■慰めのお念仏。
寝たきりのおばあさん。
夜中に泣き出す。
家族の人は困りお坊さんに
なぐさめの念仏をお願いした。
■おかげさまの念仏。
校長先生だった人がいた。
現役のときは、
他力はきらいだった。
自ら実践することかよいと考えた。
定年後誰も寄ってこないことに気がついた。
皆が支えてくれていたことを知った。
皆のおかげだったと気がついた。
おかげさまの念仏。

■おすがりのお念仏。
その後奥さんが亡くなる。
三半規管を患う。
バランスがとれなくなる。
ふらつき・目が回る。
自転車に乗れない。
治療とてもよくならない。
人生の終わりを考えるようになる。
不安になった。
仏にすがった。
おすがりのお念仏。

■はからいのお念仏。
京都で学生生活。
バスで学校に通った。
烏丸通りは広い。
横断歩道はあるが遠回りになる。
横断歩道のないところを渡ろうとする。
まず一歩踏み出す。
大丈夫と思う。
しかし何の保証もない。
私の決めた大丈夫。
そのような中で私は生きている。

■念仏はいのち終え
お浄土にいけるという気持か。

■親鸞聖人・蓮如上人の
すすめてくださっているお念仏は。
どのような念仏か。

■自分で阿弥陀如来を探す。
阿弥陀如来がわたしを探してくれる。
自分は魔物だ。
自分の中に魔物がいる。
■念仏は
よいところにいけると思って
となえよ。

■おばあさんの一日。
朝・仏壇の前で正信偈・和讃・御文章を称える。
昼・仏壇の膳をさげる。
夜・仏壇の扉を閉める。
毎日欠かさずに実施している。
お坊さんにきいた。
「これだけやっていれば
お浄土にいけると思っているが
どうか」
お坊さん
「私は阿弥陀如来でないので
わからない」

■死んだら
なにもなくなるという人もいる。

■念仏が阿弥陀如来。

■阿弥陀如来が私を探してくれる。

■本当の姿をしらない。
インドで視力のない人何人かにたずねた。
「皆さんの近くに象がいます。
象はどのようなものでしょう。
触って確認してください」
象の鼻・おなか・みみ・足・しっぽなどを
さわった。
長いようだ・壁のようだ
触ったところにより
いろいろな話が出た。
■ひもを触ってもらった。
やわらか・
かたい
いろいろなはなしとなった。
象もひもも視力のない人には
全体が見えてないので
全体がわからなかった。

■自分の命。
「なぜ上宮寺にきましたか。
10個理由をいえますか」
生んでくれたひとがいた。
健康だった。
着てくる服があった。
・・・
いろいろな条件がある。

■先祖の名前。
親の名前4人
その前の親の名前いえますか。
いえない。
自分の命は連綿としたいのちです。
ご先祖がなければ自分はない。
食べもの・空気がなくては命はない。

■一如
[真実なるさとりの境地。
一・絶対不二のこと。
如・人間の思慮分別を超えた、
もののありのままのすがた]

■自然じねん
[親鸞聖人は、
「自ずから然らしむ」と読み、
人間のはからいを超えた
阿弥陀仏のはからいによる救いを
あらわす語とされた]

■大きな世界と生きている。
全員がしあわせてせでないと
阿弥陀如来も幸せでない。

■私は大きな世界に
つつまれていた。
自分のおろかさに
気付かされる。

■鈴木章子さんのはなし。
[鈴木章子さんは、
北海道真宗大谷派西念寺坊守。
42歳の時に乳癌が見つかる。
その後肺などに転移。
47歳でなくなる]
ガンが全身に転移したころのことば。
癌は私の見直し人生の
ヨーイドンの癌でした。
私、今、出発します。
[死にむかって進んでいるのではない
今をもらって生きている]


■自我がなくなる。

■背中をおがむ。
奥さんの背中を感謝しておがんでいますか。
夫婦でも異体同心にはなれない。。
自然の中に48願が入っている。

■南無阿弥陀仏の6字の中に
如来の大悲・大智が納まっている。
その証拠が我が身。

■既得往生そくとくおうじょう
[信心をいただくと同時に、
正定聚の位につき定まること]

■即得往生住不退転
[そのゆゑはいかんといふに、
宿善開発の行者一念弥陀に
帰命せんとおもふこころの
一念おこるきざみ、
仏の心光かの一念帰命の行者を
摂取したまふ。
その時節をさして至心・信楽・欲生の三信ともいひ、
またこのこころを願成就の文
(大経・下)には
「即得往生住不退転」と説けり。
あるいはこの位を、
すなはち真実信心の行人とも、
宿因深厚の行者とも、
平生業成の人ともいふべし。
されば弥陀に帰命すといふも、
信心獲得すといふも、
宿善にあらずといふことなし]
(御文章4帖1通)

■本願成就の文。
阿弥陀如来の
第十八願が成就していることを
釈尊が衆生に告げられる文。
[親鸞聖人は、
ここでの即得の語は、
即時に浄土への往生を得るのではなく、
阿弥陀如来より廻向された
信心の利益として
必ず往生が決定していることを
あらわす文であるとみられた。
これを不退転いい、正定聚に入るという]

■前念命終・後念即生。
ぜんねんみょうじゅう・ごねんそくしょう。
[善導大師の「礼讃」に出る語。
念仏行者は前念に命が終れば、
後念にただちに浄土に往生するという意。
親鸞聖人は、
現世において信心を獲得すると同時に
正定聚の位に入る意とした。
往年の場は地獄・餓鬼・畜生のこの娑婆。
親鸞聖人は、
現世において、
信心を獲得すると同時に、
正定聚の位に入るとされた]

■念仏者・希有最勝人としてこの世を生きる。
一念無疑の人は希有最勝人。
[■真宗念仏ききえつつ
一念無疑なるをこそ
希有最勝人とほめ
正念をうとはさだめたれ

(高僧和讃)
真実信心である本願他力の念仏を聞いて、
一念の疑いもない人を希有の人という。
最勝人であると善導大師はほめた。
本願を信じて疑わない他力の信心をえた人]

私の力で生きているのではない。
私は多くのいのちを食べ
多くの人に支えられている。
阿弥陀如来の大きな願いのなかにある私。
阿弥陀如来が私を必ず救ってくださる。

[■信心よろこぶそのひとを
如来とひとしとときたまふ
大信心は仏性なり
仏性すなはち如来なり

(浄土和讃)]

■恩徳讃
如来大悲の恩徳は、
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も、
骨を砕きても謝すべし


■あかあかと燃えて生きる人生としたい。

■百々海真さんが
「驚き・発見・出立」に書いている
「古禮迦羅陀」
「これからだ」とよむ。
これは暁烏敏先生のことば。
「これからだ」
「これからだ」が
一念発起平生業成の生活ではないか。
「これからだ」
救いはここに降るのである。
摂取の一面の意義は、
「これからだ」という勇気であります。
血にまみれた手負いの中から
「これからだ」と叫ぶのであります。
・・・・
(暁烏敏全集より)
「これからだ」は、
まさに「出立」、
始まりです。
・・・
人口減少時代に逃げ場所はありません。
商店も、企業も宗門寺も学校も、
行き詰まりの中で
「これからだ」
と喚びさまされていくかどうかです。
「もうこれまでだ」
とうなだれるのが私の毎日です。
だからこそ、
「これからだ」と聞こえる時、
「これからだ」の声が
うずくまる私を
押し出してくださるのでしょう。
どうしたらいいかではなく、
原点回帰。
・・・。

■御文章。
聖人一流の御勧化のおもむきは、
信心をもって本とせられ候ふ。
そのゆえは、
もろもろの雑行をなげすてて、
一心に弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として、
仏のかたり往生は治定せしめたまふ。
その位を一念発起入正定聚と釈し、
そのうえの称名念仏は、
如来わが往生を定めたまひし
御恩報尽の念仏とこころうべきなり。
あなしこ、
あなかしこ。

■掲示板のことば。
うれしさを
二倍に出来る
半分こ


「分けあえばあまる
取りあえば足りぬ」相田みつを
の言葉があるが「半分こ」と分けあう
ところにおたがいを思いやるこころ
がうまれ、うれしい気分になれる
そこに幸せかあるような気がする
前住職