20/10/5 ひたちなか市 正安寺法話 
真宗大谷派。
正信偈・同朋新聞10月号参考。
■一切善悪凡夫人 
聞信如来弘誓願 
仏言広大勝解者 
是人名分陀利華

■以下hp制作者メモ。
■一切善悪の凡夫人、
如来の弘誓願を聞信すれば、
仏、広大勝解の者と言えり。
この人を分陀利華と名づく。

■善人であれ悪人であれ、
凡夫のだれもが、
阿弥陀仏の広大な誓願を
聞いて信ずるならば、
普遍的で勝れた智慧を頂いた
と釈尊はいう。
そのような人たちを
正覚の白い蓮華とよぶ。

■一切善悪凡夫人。
凡夫人は凡夫のこと。
凡夫は聖者でない普通の人。
私は聖者でなく凡夫。

■聞信如来弘誓願。
善人・悪人一切の凡夫人に対し、
阿弥陀如来の誓願は、はたらき続けている。
弘い誓願という。

阿弥陀如来の弘い誓願を聞信する。

阿弥陀仏は凡夫を救いたいと願い誓っている。
それを誓願という。

誓願は48願ある。
第18願・念仏往生の願が願の中心。

私は真実を知らない。
日々迷い・悩む。
不平や不満をもって過ごす。

阿弥陀仏は私を念仏で助けたいと願う。
阿弥陀仏が私に代わって用意してくれた念仏。
念仏は名号・南無阿弥陀仏のこと。
私に差し向けられている南無阿弥陀仏。
阿弥陀仏は南無阿弥陀仏を
私が素直に受けとることを願っている。

私は阿弥陀仏の願いがはたらく中に生きている。

阿弥陀仏の願いを気づく場所がお寺。
お寺で聴聞・聞法する。

阿弥陀仏の願いは、
釈尊の話したことを記す経典により
私に説かれる。

阿弥陀仏の願われたことを
気づかずに過ごしてきたことに
気づかせてもらう。

阿弥陀仏の願いを
互いに受け止め合い・確かめ合う場が聞法の場。

聞信は聞法して信ずること。
信ずるとは疑わないこと。

疑いの心は、
自分の思い・考えをもとに起こる。
信ずるとは、自分の思いを離れること。

■仏言広大勝解者。
釈尊は阿弥陀仏の弘い誓願を聞信する人を
広大勝解の者という。

■是人名分陀利華。
広大勝解の者を分陀利華という。
分陀利華は白蓮華のこと。
インドで白蓮華をプンダリーカという。
白蓮華は泥沼に花を開く。
白蓮華は気高く尊い華。

私は煩悩から抜け出せない日々を過ごす。
阿弥陀仏は私を救いたいと願っている。
阿弥陀仏から私に差し向けている願いがある。
私は阿弥陀仏の弘い誓願を聞信し
名号を称える。
私は泥のなかに咲く白蓮華になれる。
何ともありがたい。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏。


■掲示板のことば。
「自分とは」
口にしてきた
言葉を
思い返したら
見えてきた