20/9/5 ひたちなか市 正安寺法話 真宗大谷派。
正信偈・同朋新聞9月号参考。
■獲信見敬大慶喜
即横超截五悪趣
■以下hp制作者のメモ。
■信を獲うれば
見て敬い
大きに慶喜きせん、
すなわち
横に五悪趣を超截す。
■信心を得て
大いに喜び
敬う人は本願力によって
直ちに
迷いの世界の縁が
断ち切られる。
■阿弥陀如来の本願は
必ず救うまかせよと
たえず私に呼びかけます。
この呼び声をきき開き
如来の救いにまかすとき
永久に消えない灯火が
私の心にともります。
浄土真宗救いのよろこびに
てせてくる
永久に消えない灯火が
私の心にともった時が
信心をえたときなのか。
如来からの本願を聞き開く。
そのような本願を信ずるということは、
私が何とかするものでなく
阿弥陀さまに何とかしてもらう。
■自分で自分の心に決めることは、
「自力のはからい」。
それは本願を信ずるのでなく、
私の都合を信じているに過ぎない。
それは自力となる。
「信」は、
私が起こすものではない。
いただくもの。
私は如来の本願をいただく。
私は称名念仏するだけ。
阿弥陀如来の本願をいただく。
私は念仏を称えるだけ。
■掲示板のことば。
縁あれば
何をするのか
わからん
それが凡夫
それが私