20/8/25 那珂市本米崎 上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
稲木義友師
栃木県宇都宮市 稲木山 観專寺住職。
 [ ]はhp制作者メモ。

■ご讃題。浄土和讃より。
慈光はるかにかぶらしめ  
ひかりのいたるところには  
法喜をうとぞのべたまふ  
大安慰にを帰命せよ

[阿弥陀如来の慈悲の光明は、
われわれとは
はるかに隔たった境地から、
いつでもどこでも果てしなく照らし、
その光明に照らされて
信心をいただくものは、
自らみ法を喜ぶ心が得られる
衆生の大きな安らぎと
慰めとなってくださる
弥陀如来を帰命したてまつれ]

■おかあさんのうた。
母親を数年前に亡くした
小学6年の女子が書いた詩。

今日の宿題は 
つらかった 
今まででいちばんつらい宿題だった
一行書いては 
なみだがあふれた 
一行書いては 
なみだが流れた
「宿題は、お母さんの詩です」
「つらい宿題だと思うけど
頑張って書いてきてね。
お母さんの思い出と
しっかり向き合ってみて」
「お母さん」と一行書いたら 
お母さんの笑った顔が浮かんだ
「お母さん」と もう一つ書いたら 
ピンクのブラウスのお母さんが見えた
「おかあさん」と言ってみたら
お母さんの声がした
「おかあさん」と 
もう一度言ってみたけど 
もう 何も聞こえなかった
がんばって 
がんばって 
書いたけれど 
お母さんの詩はできなかった
 一行書いては 
なみだがあふれた 
一行読んでは 
なみだが流れた
今日の宿題は 
つらかった 
今まででいちばんつらい宿題だった
でも 「お母さん」と 
いっぱい書いて 
お母さんに会えた
「お母さん」と 
いっぱい呼んで お母さんと話せた
宿題をしていた間 
私にも お母さんがいた

[この詩は、
南無阿弥陀仏と称え、
親さまである
阿弥陀如来の名を呼ぶ尊さを
教えてくれる]

■浄土で出遭う。
この世で出遭う。
浄土で出遭う。
この世の命が終わると浄土に生れる。
先に浄土に往生している先祖と出遭う。
倶会一処くえいっしょの世界。

■本願寺新報2020年7月1日号より。
ウイルスで死ぬのではない。
生まれたから死ぬのだ。
いまさら驚くとか・・・
生きて 死ぬ
いのちを生きている

■蓮如上人御文章4帖目第9通。
当時このごろ、
ことのほかに疫癘とてひと死去す。
これさらに疫癘によりて
はじめて死するにはあらず。
生れはじめしよりして
定まれる定業なり。
さのみふかく
おどろくまじきことなり。
しかれども、
今の時分にあたりて死去するときは、
さもありぬべきやうに
みなひとおもへり。
これまことに道理ぞかし。
このゆえに
阿弥陀如来の仰せられけるやうは、
「末代の凡夫罪業のわれらたらんもの、
罪はいかほどふかくとも、
われを一心にたのまん衆生をば、
かならずすくふべし」
と仰せられたり。
かかるときは
いよいよ阿弥陀仏を
ふかくたのみまゐらせて、
極楽に往生すべしとおもひとりて、
一向一心に弥陀を
たふときことと
疑ふこころ
露ちりほども
もつまじきことなり。
かくのごとくこころえのうへには、
ねてもさめても南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏と申すは、
かやうにやすく
たすけまします
御ありがたさ
御うれしさを申す
御礼のこころなり。
これをすなはち
仏恩報謝の念仏とは申すなり。
あなかしこ、
あなかしこ。

■親鸞聖人の手紙
なによりも、
こぞ、
ことし、
老若男女、
おほくのひとびとの
しにあひて候らんことこそ
あはれにそふろうへ。
ただし生死無常のことはり、
くはしく如来のときを
かせおはしまして
そふらふうへは、
おどろきおぼしめすべさふろふ。
まづ善信が身には、
臨終の善悪をばまうさず。
信心決定のひとは、
うたがひなければ、
正定聚に住することにて候なり。
さればこそ
愚痴無智のひとも
おはりめでたく候へ。
如来の御はからひにて往生するよし、
ひとびとにまふされ候ける、
すこしもたがはず候なり。
としごろ、
をのをのにまふし候しこと、
たがはずこそ候へ、
かまへて
学生沙汰せさせたまひ候はで、
往生をとげさせたまひ候べし、
故法然聖人は
「浄土宗のひとは
愚者になりて往生す」
と候しことを、
たしかにうけたまり候しうえに、
ものもおぼえぬ
あさましき人びとの
まいりたるを御覧じては、
「往生必定すべし」とて、
えませたまひしを、
みまいらせ候き。
ふみざたして、
さかさかしきひとのまいりたるをば、
「往生はいかがあらんずらん」と、
たしかにうけたまはりき。
いまにいたるまで、
おもひあはせられ候なり。
ひとびとに
すかされさせたまはで、
御信心たじろがせたまはずして、
をのをの御往生候べきなり。
ただし、
ひとに
すかされたまひ候はずとも、
信心のさだまらぬひとは、
正定聚に住したまはずして、
うかれたまひたるひとなり。
乗信房に
かやうにまふしそふらふやうを、
ひとびとにもまふされ候べし。
あなかしこあなかしこ。

■聖人一流の御勧化のおもむきは
信心をもってほんとせられ候、
そのゆえは 
もろもろの雑行をなげすてて
一心弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として
仏のかたより往生は
治定せしめたもう、
そのくらいを一念発起
入正定之聚とも釈し、
そのうえの称名念仏は 
如来わが往生を定めたまいし、
御恩報尽の念仏と 
こころうべきなり、
あなかしこ 
あなかしこ。

■掲示板のことば。
空き缶と 
人生は 
投げたらあかん

「なんだこんなもん」
と投げ捨てたものが
なんとかけがいのないもの
だと知っていくのが
人生かと
思う
アキカンも ちゃんと
捨てて下さい
前住職

[■佛心鬼手。
外科医は残酷なほど大胆に手術する。
それは患者を治そうとする
やさしい心によるもの
という意味。
鬼手佛心ともいう]