20/7/25 那珂市本米崎 上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
上宮寺前住職 鷲元明俊師。。 
[ ]はhp制作者メモ。
■ご讃題
「深心とうは、即ち是れ深く信ずる心なり。また二種あり。
一つには決定して、自身は現に是れ最悪生死の凡夫、
曠劫よりこのかた常にしずみ、常に流転して、出離の縁有ること無しと深心す。
二つには決定して、彼の阿弥陀仏、四十八願をもて衆生を摂受したまう。
疑無く慮り無く彼の願力に乗ずれば定んで往生を得と深心す」
■善導大師のことば。
深信は機の人信・法の人信。
機は人間・自分。機は地獄・慚愧。
法の深信。法の行信・極楽・歓喜。
歓喜のない慚愧は暗い。
慚愧のない歓喜は浅い。
[■二種深信は機と法のふたつ。
機は衆生の信心。信機。
法は阿弥陀仏が衆生を救う力・はたらき。信法。
両者は一つであり異なるものではない。
■機の深信は機実。
私のすがたを知らされること。
■法の深信は法実。
如来の願力を知らされること。
■機実。
罪悪生死の凡夫で出離の縁なき私。
私のカは出離のために役に立たない。
私のはからいを捨てる。
信機は捨機。
■法実。
如来の願力のひとりばたらきで救われる。
願力にすべてまかせる。
信法は託法。

■私のはからいを捨て、如来の願力にまかせる。
自力を捨て他力にまかせる。
捨機即託法、捨自即帰他]
■三味線ばあちゃん。
御影道中で吉崎の東本願寺別院にいった。
東本願寺別院に入る階段わきに三味線ばあちゃんの石碑がある。
三味線で自作の念仏を歌い、
集まったお金を本山や別院に寄進した。
石碑の歌。
「地獄極楽 丁半賭けて 弥陀にとられて 丸裸」
50数歳のとき夫と養女と辛いわかれをする。
頭を剃って24輩の寺を巡る。
巡礼先で寺の住職さんにいろいろと教えてもらう。
「出発前は小さな念仏だった。巡礼で大きな念仏になった」
80数歳で亡くなるまで、
三味線を弾いて放浪する。
念仏を称える歌を歌った。

■少年院にいって教誨師を32年やっている。
暴走族リーダーだった少年がいた。
普通の少年だった。
少年はおかあさんのことを考える。
逆らってばかりいた。
遊んでばかりいた。
しかしおかあさんはいつもごはんを出してくれた。
いつも逆らっていたばかな恥ずかしい自分だった。
これから真面目になって頑張りたい。
といった。
慚愧と歓喜は一緒。

■住職になったころ。
バス2台・3台の旧跡参拝が多かった。
九州から参拝に来てくれたおばあさんに聞いてみた。
住職
「念仏のどこがありがたい?」
おばあさん
「地獄に行くしかない、そんな私を
ぜったい救おうと阿弥陀さま。
わたしを地獄に落とさない。
阿弥陀を尊く思う」

■自身では自分のことがよくわからない。
自分のまわりのひとが
自分をよくしっている。

■聴聞しても全然かわらないという人がいた。 
「井の中の蛙 大海をしらず」
聴聞することにより
大きな世界の中に
住まわせてもらっていることをしる。
わからない自分を知る。

■畑に種をまく。
あとはよろしくお願いします。
大自然に支えられている。

■コロナ菩薩。
法友より年賀状をいただいた。
コロナが人間の傲慢なことを教えてくれる
・・・と書いてあった。

■熊谷守一さん。
97歳まで生きた画家。
絵が描けず貧乏が続いた。
妻からは何度も絵を描いてくださいと言われた。
当時は日々の食事にも事欠くありさまで、
子ども5人いたが栄養失調で3人を亡くした。
晩年は体調をこわし自宅からほとんど出ることがなかった。
昼間は自宅の狭い庭で過ごした。
夜はアトリエで数時間絵を描いた。
庭は大宇宙だった。
庭にやってきた鳥や昆虫、猫や庭に咲く花などを描いた。
文化勲章・勲三等の話があった、
人と合うのはいやという理由で断った。

■京都まで歩く。
住職を息子に譲った。
700年前、如信上人は
福島県古殿町大網・茨城県上金沢などで布教された。
如信上人は親鸞聖人報恩講のため京都にいっている。
お参り法要をつとめていた。
46歳から20年間毎年かかさず京都にいっている。
托鉢しながら京都まで行った。
如信上人にならって、私も京都まで歩いてみようと思った。
上金沢から歩いた。
出発地は、上金沢法龍寺とした。
野宿はやめて、出発前に宿を決めた。
宿はビジネスホテル。
今は何でも「1秒でも早く」という。
しかし、ゆっくり歩くと見えてくるものがある。
■ビジネスホテル。
学校卒業後、京都から自宅上宮寺まで歩いて帰った。
お寺に泊まった。
しかし、大変だった。
泊めてもらうお寺探しが大変だった。

■京都から上宮寺までの帰りを翌年にやることになった。
鈴鹿峠近くの関宿がよかった。
静岡県は長い。5泊した。
■一隅を照らす
いろんな仕事をしているひとがいる。
バス停近くの道路で雑草をとっているおばあさんがいた。
「雑草がとても気になって。
ひとの役に立ちたいが、
としをとるとこれくらいしかできない」

■今は便利になった。
学校を卒業して歩いたことを
今でもはっきりと思い出す。
生きている実感がある。
便利で無かったことが幸いすることもある。

■お墓そうじ。
お墓でたおれると
あしをとられる
迷信 お墓で倒れると足をとられる。
お墓で倒れて足をけがをした。
悪い菌が入りしばらく通院した。
自分のからだに治す力があることをしった。

■福知山の真言宗観音寺住職のことばが好き。 

■念仏者は、無碍の一道なり。
親鸞聖人の言葉。
念仏者は、何ものにもさまたげられることのない、ひとすじの大道を歩む。

[私に良いことと・悪いことを区別する。
悪いことはさけようとする。
その判断は時として私の都合で変化する。
私を救ってくれる名号・南無阿弥陀仏・念仏。
仏の智慧のはたらきにより、
事実を真っ直ぐに受け止める]

■聖人一流の御勧化のおもむきは
信心をもってほんとせられ候、
そのゆえは もろもろの雑行をなげすてて
一心弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として
仏のかたより往生は治定せしめたもう、
そのくらいを一念発起入正定之聚とも釈し、
そのうえの称名念仏は 如来わが往生を定めたまいし、
御恩報尽の念仏と こころうべきなり、
あなかしこ あなかしこ。

■掲示板のことば。
優劣はない 
ただ 
違うだけ

優劣はだれが決めるのでしょうか
その価値感によって のぼせたり
おちこんだり。
その価値感や
自分の思いから離れると
楽になりますよ


ただは 唯 違いをみとめて
おまかせすることです

大いなる世界に(アミダ様)