20/6/25 那珂市本米崎 上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
延方量昭師 鉾田市称念寺住職。 
[ ]はhp制作者メモ。
■コロナについて。
3月4月5月は、中止・延期が多かった。
茨城は最近は少しよくなってきた感じか。
でも安心はできない。
コロナ疲れになってきている。
かかるから・うつさないにかわってきた?
対人恐怖症になってきた?
少し前には、
最近は、コロナうつ・世界中でコロナうつ。
第2波・第3波があるといわれる。
何となく注意すれば対処できるか?
全く絶望的ではない。
そこに落とし穴がある?
どのように対処するか?

■今日・お寺にくるのに何が押してくれた?
お寺に来ようと努力した?
努力をしたかもしれないが、
くるのに、これる条件がそろった。
縁が成就してここにきている。
如来のはたらきにより
縁が成就してお寺にこられた。
仏縁・縁が成就することが大事。

■おばあさんの話
月命日、月忌がっきをおこなっている家がある。
以前は50軒だった。
今は20軒くらい。
●92歳のおばあさんの家に
午前中いっておつとめをしてきた。
おばあさんとは住職になってから
20数年前からのおつきあい。
父も祖父もおばあさんとおつきあいがある。
おばあさんは
デイサービスに週に3回いっている。
最近、おばあさんの耳が遠くなり会話にならない。
おばあさんの話をきくだけになっている。
はなしの終わりは
湯呑茶碗に蓋をすることが合図になっている。
おばあさんは
「年をとると容易でない・容易でない」
とよく言う。
デイサービスは
女の人20人・男の人4〜5人。
おばあさんは、
耳は遠いが頭はしっかりしていて
同じ話を何度もしない。
家族のグチはいわない。
おばあさんの息子がグチを言う。
居間の前の芝生にはいた草をおばあさんがとる。
近所の人に年寄りを働かせていると
思われる。
やめて欲しいとグチる。
しかし、年よりは何かしたいと思う。
ひとのために働きたいと思い
外にでて草をとる。
最近は、
嫁さんがお参りをするようになってきた。
嫁さんからもグチがでる。

■小言念仏という落語がある。
信心というよりは
習慣になって念仏を称える男のひとがいる。
毎朝仏壇の前で念仏・南無阿弥陀仏を称える。
念仏を称えながら小言をいう。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・
奥さんに「仏壇がよごれている」
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・
奥さんに「花をとりかえたほうがよい」
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・
奥さんに「鉄瓶の湯が煮立っている」
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・
奥さんに「飯が焦げている」
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・
奥さんに「朝のおかずは何?」
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・
外をどじょう屋が通る。
奥さんに「どじょうを買って」
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・
奥さんに「鍋に酒を入れと、どじょうを蒸し焼きに」
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・
「暴れないようにしっかり蓋を」
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・
どじょうを食べることを考え
念仏をしながら笑む。
仏前でどじょうを殺生する。
というはなし。
念仏称えながら殺生。
これでいいのか?
[ひとは生きもののいのちを奪っていきている。
いのちを奪わないと生きていけない。
いのちに感謝して食べろ・・・という」
念仏はどのようにやればいいのだろうか。
トイレで念仏していけないか。
念仏は、名号・南無阿弥陀仏。
念仏は阿弥陀如来がしてくれている。
念仏は口から出た瞬間にほとけになっている。

念仏は自分の願いを
阿弥陀如来にお願いしているのではない。
[阿弥陀如来の本願は
かならず救うまかせよと
南無阿弥陀仏のみ名となり
たえず私によびかけます]
阿弥陀如来の本願を
私のくちをとおして
南無阿弥陀仏のみ名がはっせられる。
阿弥陀如来は空間のどこにでもおられる。

[寝てもさめてもいのちの続く限り念仏申すことが大事。
念仏を称える場所はどこでもよい。
寝ながらでも、立ってでも、座ってでも、
車の運転をしながらでも、
歩いていても、場所時間は問われない。
ただし、お寺などでは
それなりの格好と姿勢は必要]

■本尊は名号。
蓮如上人は
浄土真宗は、本尊は木像より絵像、絵像より名号といっている。
南無阿弥陀仏が大切
[阿弥陀如来の本願は
かならず救うまかせよと
南無阿弥陀仏のみ名となり
たえず私によびかけます]
木像・絵像は方便。
真宗は名号だけ・本尊は名号。
物でなく名号を与えられている。

■あなたの拠り所は何?
お金・健康は大事。
でも手に入れてもなくなってしまったらどうする?
なくならない・消えないものが
人生の拠り所としてはよい。
御本尊・阿弥陀如来がよい。

■山崎ヨンさんのはなし。 
山崎さんは石川県のひと。
あるとき新興宗教の勧誘の人がきた。
勧誘の人は
「不安を無料でとってあげる。
話をききにきませんか」
山崎さん
「不安は私のいのち。
不安がなくなったら生きていけない」
といって断った。
山崎さんには話すことも聞くこともできない娘さんがいる。
結婚して離婚、その時に娘さんは生れた。
最初は一緒に死のうと思った。
何年もの間多くのお寺をたずね歩いた。
そして親鸞聖人の教えにであった。
親鸞聖人の教えが生きる拠り所となった。
現在は、念仏の世界を教えてくれた娘に感謝している。
これからも娘のことを考えると不安。
しかし、それが生きる力を与えてくれている。
不安が生きる力になっている。
不安は不安として生きることを
阿弥陀如来から教えていただいた。
不安は次から次へでてくる。
不安を力にする教えが
真宗の教えにある。
ご先祖さまも不安があった。
凡夫のわたし、不安がなくなることはない。


■松本梶丸さんのことば。
松本さんは石川県の真宗の寺の住職。
「波風絶たない家庭は、不健康かがまんしている。
波風が立つところに・・・生きている」
ひとりひとりが凡夫だから
煩悩具足の凡夫。 
如来の・・・いただいて・・・。

■掲示板のことば。
幸福とは 
ものの有難味の 
わかること


有難味に気づくと
顏が変わってきます
−前住−