20/1/9 常陸太田市東連地 青蓮寺
七歩の会 第10回釈尊臨終U ストゥーパ造営と結集 真宗本願寺派。
[ ]はhp制作者のメモ。
■最後の教示・・・アーナンダに告げる。
わたしが説いた教えと、
わたしの制定した戒律とが、
わたしの死後にお前たちの師となる。
■弟子たちに向かい告げる。
仏・法・僧について疑惑が起きるかもしれない。
問いなさい。
後に後悔することがないように。
3度この言葉を繰り返す。
しかし、誰も問うことがなかった。
■最後の説法締めくくりのことば。
さあ、修行僧たちよ、お前たちに告げよう。
もろもろの事象は過ぎ去るものである。
おこたることなく修行を完成しなさい。
■人格の完成に向かって不断の修行を続けよ。
仏教は
*無常をさとること
*修行に精励すること
のふたつにつきる。
■入滅の日。
サーラ樹の間で最後の言葉を告げる。
瞑想の最終段階に入る。
ニルヴーナ涅槃に入られた。
■釈尊の入滅日は不明。
●南アジアではタイを中心としてウエーサク祭が行われる。
4〜5月の満月の日を中心に数日間行われる。
釈尊の誕生・成道・入滅を祝う。
世界的に認められた行事。
●中国・日本などの東アジアでは。
涅槃会ねはんえ、2月15日。
降誕会ごうたんえ、4月8日。
成道会じょうどうえ、12月8日。
■涅槃図。
涅槃図ははじめ石壁へレリーフで残された。
日本では絵画で描かれた。
■釈尊涅槃の地クシナーラ。
涅槃堂と涅槃像がある。
■焼骨と分骨。
涅槃堂から1.5kmくらいのところに、
釈尊焼骨後に造られたとされるストウーパがある。
経典によると、釈尊が生きている間に、
火葬の仕方を明確に命令した。
■ストゥーパは、
釈尊が荼毘に付された際に残された仏舎利を納めた塚。
■サーンチーのストゥーパ。
紀元前3世紀に、
アショーカ王が8つのストゥーパを
サーンチーに建てた。
現在3つが残っている。
アショーカ王はこの8塔の仏舎利を掘り出し、
インド全土に8万4千の塔を作り、
仏舎利を分配したという。
■中国のストゥーパ。
ストゥーパは漢の時代に中国に伝わる。
木造建築の影響を受けて形が変わった。
搭になった。
■日本のストウーパ。
中国を経由して伝わった。
五重搭・三重搭・多宝塔・宝篋印塔・五輪塔・相輪塔になった。
奈良県 法隆寺 五重搭。
兵庫県 一乗寺 三重搭。
茨城県 西蓮寺 相輪塔。
滋賀県 延暦寺 相輪塔。
■日本の仏舎利。
仏舎利は入滅した釈尊の遺骨。
日本にもある。
愛知県 覚王山日泰寺 泰安搭。
熊本県 花岡山。
静岡県 平和公園。
兵庫県 名古山霊苑。
[和歌山県 高野山普賢院]
■第1回目結集。
釈尊葬儀の導師をつとめた
大迦葉だいかしょうが教団の2世となった。
釈尊入滅3か月後、第1回目の結集けつじゅうをひらいた。
結集は「法」を検証整理する経典編纂会議。
王舎城郊外に499名の阿羅漢が集まった。
アーナンダも行ったが入れてもらえなかった。
アーナンダはそのとき阿羅漢の資格がなかった。
しかし、アーナンダ抜きでは経典編纂ができない。
アーナンダは25年間釈尊のそばにいつもいた。
記憶力の優れたアーナンダは釈尊の説法をよく知っていた。
アーナンダはその夜、死に物狂いで座禅し悟りをえた。
会議への参加を許された。
そして、アーナンダは会議で
「如是我聞・わたしはこのように聞きました」といって、
とくとくと語ったといわれる。
■無財施
釈尊は無財施むざいせを説いた。
無財の七施しちせと言う。
身施しんせ・
心施しんせ・
眼施げんせ・
和顔施わげんせ・
言施ごんせ・
牀座施しょうざせ・
房舎施ぼうしゃせ
がある。
●身施は肉体による奉仕。
自らの生命を犠牲にする捨身行は最高の布施行。
他の命を救うため自分の命を捧げる。
命はその功徳により最高の悟りに達する。
●心施は慈悲の心。
慈悲は他の人の心に喜びを与え、苦しみを抜き去る。
●眼施は優しい眼つきをたやさないこと。
●和顔施はおだやかな笑顔をたやさないこと。
●言施は言葉による施し。
思いやりのこもった暖かい言葉をかける。
心情のこもった言葉が施しになる。
●牀座施は席を譲ること。
弱い人、尊敬すべき人に対する思いやりの行為。
●房舎施は家に泊めてあげること。
泊まるところがない人の宿を提供する。
■布施は物や金だけではない。
人のために自分の体の全てで布施できる。
眼・耳・鼻・口・手・足をつかい布施できる。
[釈尊の教えは自己中心でない慈悲の施しの実践か]