20/1/5 ひたちなか市中根 正安寺法話 真宗大谷派。
法話 講師 増田廣樹師 
ひたちなか市 真宗本願寺派 清心寺副住職。
[ ]はhp制作者メモ。
●十方微塵世界の 
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば 
阿弥陀となづけたてまつる
[親鸞聖人。浄土和讃]
●阿弥陀如来はどのような方。
浄土真宗の救い。
娑婆に縁のつきたとき
浄土にいけるというだけではない。
阿弥陀如来の願いの中に歩ませていただく。
●十方微塵世界。
十方とは東西南北の四方。
北東・南東・南西・北西を加え八方。
上・下を加え十方。
十方とはあらゆる方向にある世界。
[微塵とは細かいチリ。多くのもの]
僧侶の世界・十人十色などという。
壁がないと中心がわからない。
建物には壁がある。
私には壁がある。
私たちは自己中心でしか歩むことができない。
自分の考えが正しいとする。
私と他人との間には感情の橋がある。
関係しあって私たちは生きている。
自分の世界に近い人を好む。
自分に合う人を好む。
私と家内と合っている。
それでもうまくいかないこともある。
普段の生活の中でちょっとしたことでうまくいかないことがある。
食べもののことでうまくいかないこともある。
家内に本音をいえる。
本音を言える人がいるか。
本音をいえるひとがいると気持ちがらくになる。
●室蘭の料理屋のはなし。
講演の仕事で室蘭に行った。
室蘭は豚肉とタマネギを使用した串焼き料理が有名。
食べに行った。
3か所有名店にいった。長蛇の列であきらめる。
赤ちょうちんの下がった店に入る。
店内のお客は日本ハムファン一色。
日本ハムファンの店だった。
広い店内が狭く感じた。
知らない人ばかり。
肩身がせまかった。
周りに人はいたが孤独を感じた。
孤独が孤立になると大変。
孤立は大きな苦しみになる。
ひとは関係性のなかを歩んでいる。
気の合う人がいると楽しくすごせる。
●後悔こうかい。
新聞の投稿記事の紹介。
母は92才の誕生日のあと1週間後になくなった。
一人暮らしで、施設に入っていた。
難聴だった。施設にあいに行くと
何時まで居れるといつもいっていた。
母の誕生日に好きな寿司を食べさせたくて食べに行く約束をした。
待ち合わせた場所に行く。
母はコンビニ弁当を準備して持っていた。
息子に余計なお金を使わせないために一緒に食べようとしたのだ。
「寿司をたべさせたかったのに」
母は悲しそうな顔をした。
・・・・。
しばらくして母は亡くなった。
なぜあのとき「ありがとう」を言えなかったか。
悔やまれて仕方がない。
遺影の写真も悲しそうな顔に見えた。
●ぼたんのかけ違い。
私たちはそのような中で生きている。
皆が自分は正しいと思っている。
小さな我の世界をもって生きている。
[親鸞聖人は、正しいものが何かわからない。
正しいものをしっているのは阿弥陀さまだけ。といっている]
阿弥陀さまの願いがいつも働いている。
阿弥陀さま。
十方微塵世界の 
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば 
阿弥陀となづけたてまつる
南無阿弥陀仏
無量光であり無量寿である。
時をつらぬき 空間をつらぬく。
[無量寿は阿弥陀さまの救いの時間的無限性をあらわす。
無量光は空間的な無辺性をあらわす。
阿弥陀さまはあらゆる衆生を漏らさず救う]
[浄土真宗のみ教えは他力本願。
阿弥陀さまは私を抱きかかえ歩んでくださる。
娑婆のいのち終われば、お浄土へお連れくださる。
阿弥陀さまの願いとはたらきは、
「お前の親はここにいる」とよんでくださる声。
私の口から「南無阿弥陀仏」となってくださる。
阿弥陀さまのお慈悲の心に包まれて安心をいただく。
阿弥陀さまを「おやさま」と呼ぶ。
阿弥陀さまは私をいつも無条件に抱いだいてくださる]
●自他一如。
自と他がひとつ。
[他人の痛みを我が痛みとする。
釈尊はいのちのあり方を縁起と説いた。
どのようないのちも単独で存在しない。
いのちはつながっている。
自分と他人は一つの如し。
自他一如という。
それは私には関係ない。自分は自分。他人は他人という生き方。
我他彼此がたひしの日暮らしと言う。
阿弥陀さまは、
いのちはみんなつながっている、
自他一如だと南無阿弥陀仏と呼んで下さる]
●海と陸の境目はどこか。
私たちは線引きをしていきている。
阿弥陀さまの願いの世界は線引きの無い世界。
比較の無い世界。仏の世界。
[海と陸のさかいはどこ?
砂浜・波打際。
トンチで答えれば海と陸のさかいは「と」。
海と陸は対応する言葉があって成り立つ。
釈尊は、生老病死、四つの苦で生きている身ととらえた。
この身が苦。
心がこれを受け止めると悩む。
苦をどう乗り切るかが生きること。
苦と楽は対応する言葉があって成り立つ。
一方を排除しては他方は成立しない
楽ばかり続くと退屈になり苦となる。
生きることに苦はなくならない。
生死とは一生涯のこと。
いのちはつながりがあってあるもの。
いのちのつながりを無視できない。
私は正しいと思い生きていることは正しいことではない・・・]
いのちのつながりの中で生きている。
●芥子けしの地も 捨身しゃしんの処ところに あらざることなし
という言葉を親鸞聖人は教行信証に引用している。
ケシの実は小さい。
ケシの実が地面に落ちていても見つけることは難しい。
阿弥陀さまは小さなことに気づいて下さる。
阿弥陀さまは小さなことも見過ごさない。
●昨年の台風被害。
77名の方が亡くなられた。
ニュースで日々亡くなる方の人数が増えた。
77名の方にはそれぞれに人生があった。
家族があった。
そのことを私たちは見逃す。
阿弥陀さまは見逃さない。
●老夫妻は2人暮らしをしていた。
夜中おばあさんは布団がぬれているのに気づく。
浸水が始まっていた。
おじいさんは数年前から足が不自由。
何かにつかまって立つのがやっと。
おじいさんは窓際まで移動し近所に助けを求めた。
水位は一気に上昇。
おばあさんはベッドに上る。
おじいさんの手を握りベッドに上げようとした。
水につかったおじいさんをあげることができない。
「長いこと世話になった」
おじいさんは水に沈んでいった。
おばあさんは救助された。
おじいさんは亡くなった。
ニュースで報じられた。
私たちは一時的にかわいそうとおもう。
でも自分の事ではないので忘れてしまう。
私たちのありよう。
いのちの大切さに気付かづかずに過ごしている。
阿弥陀さまは
「大変だったね」とおもってくださる。
みんなが素通りするところを阿弥陀さまは立ち止まってくださる。
●3/11震災後。
ゴールデンウィークに札幌に話に行った。
夕食にひとりでレストランに入った。
店内は家族連れがほとんど。
店内奥のカウンタ席での食事となった。
家の家族のことが気になった。
カウンタ席にはおじさんが一人で酒を飲んでいた。
自分の親と思えるくらいにおもえた。
食事をしていると声をかけられた。
どこから来たのかきかれた。
茨城県といったら喜んでくれた。
酒はあまり飲めないが、ハイボールをご馳走になった。
いろいろと話をした。
おじさんは大変喜んでくれた。
利尻島りしりとうのかたで札幌には仕事できていた。
しばらくすると。
大変うれしい。今日はありがとう。といわれた。
これからすすきののなじみの店に行こう。
翌日の講演の仕事もあるのでこまった。が、
すすきのにいく。
日付がかわるまで店にいた。
ホテルが同じだった。
おじさんと肩をくんで千鳥足で歩いた。
途中交差点を渡る途中。
おじさんは立ち止まって突然泣き出した。
震災後、こんなにうれしいことは無かった。
きょうはありがとうといって泣いた。
震災後願ってやまない[ひとに出会った]。
ひとりぼっちではなかった。
●自他一如
くらべることなく私をだいてくださる阿弥陀さま。
しっているよ。しっているよと阿弥陀さまがつつんでくださる。
真宗の教え。
願いと共に歩んでいる。
はからいとともに歩ませていただく。
そしてお浄土にいく。
[阿弥陀さまの本願力によって信心をめぐまれ、
念仏を申す人生を歩み、
この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、
迷いの世に還って人々を教化する]

聖人一流の御勧化の趣は、
信心をもって本とせられ候。
その故はもろもろの雑行をなげすてて、
一心に弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として、
仏の方より往生は治定せしめたまう。
その位を「一念発起・入正定之聚」とも釈し、
その上の称名念仏は、
如来わが往生を定めたまいし
御恩報尽の念仏と、
心得べきなり。