19/12/21 東海村古文書と歴史を学ぶ会
徳川斉昭と水戸八景。
仲田昭一先生。
[ ]はhp制作者メモ。
●徳川斉昭。
俗称・敬三郎。名・紀教。字は叔寛。烈公と称す。
[水戸藩の第9代藩主。
藩主に成る時期が遅く勉強する期間が長かった。
多くの知識を有していた。
常磐神社に義公とともに神さまとして祀られている。
父は水戸藩第7代藩主治紀(武公)]

●偕楽園記。斉昭。
[いつも張りつめていてはだめ。
一張一弛が大切。
弘道館は張りつめるところ・
偕楽園は弛むところ。
弘道館と偕楽園は対になっている。
斉昭がつくった]
[水戸市立五軒小学校児童は
偕楽園記を暗唱している}
天に日月有り、
地に山川有り、
万物を曲成して遺のこさず。
禽獣草木、
各々其の性命を保つものは、
一陰一陽其の道を成し、
一寒一暑其の宜しきを得るを以てなり。
諸これを弓馬に譬ふ。
弓に一張一弛有りて、
恒に勁つよく、
馬に一馳一息有りて、
恒に健かなり。
弓に一弛無ければ、
則ち必ず撓たわみ、
馬に一息無ければ、
則ち必ず殪たおる。
是れ自然の勢ひなり。
夫れ人は万物の霊にして、
其の或いは君子と為り、
或いは小人と為る所以の者は何ぞや。
其の心の存すると存せざるとに在るのみ。
・・・
人も亦弛息なかるべからざるや固もとよりなり。
・・・
(その修養のあり方に弛息がある)
・・・
必ず其の華晨に吟詠し、
月夕に飲?いんえんする者は、
文を学ぶの余なり。
鷹を田野に放ち、
獣を山谷に駆る者は、
武を講ずるの暇なり。
・・・。

■斉昭の初就藩。
1831/3/5。
湊御殿へしばしば宿泊。
●3/10・瑞龍参拝。
杉山−青柳−菅谷−向山浄鑑院−額田−墓参−太田浄光寺泊。
●3/11・
西山御殿−太田蓮華寺−稲木久昌寺−田彦−枝川−
(舟行)−杉山−帰城。
●5/2・6/26・村松大神宮参拝直ちに湊御殿へ。
●7/4・湊柏原明神参拝。
●8/17・伊勢畑筋巡村。
●8/21〜29・北浜筋巡村・玉簾寺・枕石寺。
●1832/3/16南郡巡村。
●3/27・武茂郡巡村。
瓜連−山方−鷲子−大子−袋田−天下野−
大方−小島。

■斉昭作水戸八景。
●斉昭詩水戸八景 読み下し
雪時嘗て賞す仙湖の景 
雨夜更に遊ぶ青柳の頭 
山寺の晩鐘幽壑に響き
大田の落雁芳洲を渡る 
霞光爛漫たり岩舟の夕 
月色玲瓏たり広浦の秋
遥に望む村松晴嵐の後 
水門の帰帆高楼に映ず


●仙湖暮雪。
雪時嘗かつて賞す仙湖の景。
[斉昭和歌。
千重の波 よりてはつづく 山々を 
こすかとぞ見る 雪の夕ぐれ]

[所在地。水戸市常磐町。偕楽園内]

●青柳夜雨。
雨夜更に遊ぶ青柳の頭ほとり。
[斉昭和歌。
夜さめに 小舟くだせば 夏陰の
柳をわたる 風のすずしさ]

[所在地。水戸市青柳町。那珂川の万代橋近く]

●山寺晩鐘。
山寺の晩鐘幽壑ゆうがくに響き。
[斉昭和歌。
つくづくと 聞につけても 山寺の 
霜夜の鐘の 音そ淋しき]

[所在地。常陸太田市稲木]
●光圀。
朝夕に 峰の松風 ききなれて
近くおどろく 波の音哉

●日乗上人・久昌寺住職。
西山の眺望は奥無窮
地勢天然は洛中に似たり
田渡の嶺は将軍頂の如く
高鈴の嶺は是れ四明峰
稲木を旋れば嵯峨と比し
精舎全く兼ね衣笠に同じ
君君し都下の美を看るを要せば
常陽城の北太田の東なり 

●斉昭。
山の寺なる 三昧てふ堂の庭の前より 
青うな原を見渡して

大舟の ともつなへつな ときはなち 
千島をさして 行かまく思ほゆ

1843年・斉昭は檀林破却の命を出す。

●太田落雁。
大田の落雁芳洲を渡る。
[斉昭和歌。
さして行く 越路の雁の 越えかねて 
太田の面おもに しはしやすらふ]

[所在地。常陸太田市栄町。鯨ケ岡]

●巌船夕照。
霞光爛漫たり岩舟の夕。
[斉昭和歌。
筑波山 あなたはくれて 岩船に 
日影ぞ残る 岸のもみぢ葉]

[所在地。大洗町祝町]

●広浦秋月。
月色玲瓏たり広浦の秋。
[斉昭和歌。
大空の かげをうつして ひろ浦の 
なみ間をわたる 月ぞさやけき]

[所在地。茨城町下石崎]
斉昭 舟中聴楽
舟を広浦に浮べて仙楽を聞く
鐘鼓管絃晩涛に混す
君子人を愛す真に慕ふ
鶏を割くに牛刀を用ふるを笑ふなかれ

[孔子がある街を訪れた。
小さな街を治めるのに大袈裟なことをしなくてよい
という意味で
鶏を割くに牛刀を用ふるを笑ふなかれといった]

●村松晴嵐。
遥に望む村松晴嵐の後。
[斉昭和歌。
真砂地に 雪の波かと みるまでに 
塩霧はれて 吹く嵐かな]

[所在地。東海村村松村松虚空蔵尊裏手]


●水門帰帆。
水門の帰帆高楼に映ず。
[斉昭和歌。
雲のさかひ しられぬ沖に 真帆上げて 
みなとの方に よするつり舟]

[所在地。ひたちなか市和田町]
●東廻海運の寄港地。
涸沼川−海老沢−(陸送)−巴川−北浦−
利根川−江戸川。
●?賓閣いひんかく。
開宴賞月 戯賦 斉昭
山蝉声発して雨初めて晴れ
?賓閣中涼気生ず
尤も喜ぶ今宵雅客を迎へ
文波月に湧いて詩情を促す



■烈公の教育観。
家庭教育。
■烈公の医政と厚生・上巻。
我等杯は、
三つ四つの節より文公[第6代藩主治保]お供にて
毎朝々々面白くもこれ無き寒さに御庭のお供いたし、
武公[第7代藩主治紀]の御代にも同様毎寒中御鷹に相成候へは、
御提灯にて入らせられ、
夜も又提灯にて御帰りに相成、
手も足も皆ひびにて血流れ申し候を、
足洗い候節あかすりにてむしり取り候へき。
耳杯は、霜やけにて絶えず血のみ出候へき。
鶴千代杯も寒く相成り候はば、
朝は七ツ(5時)頃より起き候て水にて顔洗ひ、
入り側の障子杯あけ、
顔へ風のつんつんと当り候所にて、
大声にて四書にてもよみ、
少々空白みがかり候はば、
直に鷹に出従ひ、
鷹合せ申さざる日たりとも、
一廻り庭を廻り帰り候て食事にても致し、
書物なり剣術なり致し候のよろしく候。
炬燵杯へくぐり込み居り候様にては、
迚も用に立ち候人には相成り難く候・・・。


■烈公の医政と厚生・上巻。
庶子は嫡子と異りて.
養子に望む家あらば直に遣わすべきものなれば、
永く我が膝下に教育し難し、
されば文武共に怠らしむべからず。
若し他家に出し遣る時、
柔弱にして文武の心得なくば、
我が水戸家の名を辱しむる事あるべし。
水術・弓術・馬術の三科は並に修行せしむべし、
中にも馬術は馬場にて乗るのみにては
何の用にも立たず、
坂を乗り廻らんために、
度々好文亭の辺、
仙波のあたりを廻るべし。
湊などへも、
手軽に付の者共と遠馬に出づるよう扱うべし、
但し子供はじめ腰弁当たるべし。

■家臣への書簡。
■18367年9 月29 日附青山延于宛。
二男の量平の病状を聞くに、
なかなか軽くないとの趣、
さぞ心配のことであろう。
結核の名をえては、
容易な病気でないと察している。
同封した別紙薬方は至ってよろしいというので、
先年もしもの時を思って写しておいたので、
必要な部分を見せるから、
主治医に相談の上、
思う通りにするがよい。
労症の病人は類を引く、
伝染するというから、
もしものことがあっても、
病人が使った食器類は一切用いないようにすればよいと、
度々実験済みであるから注意しておきたい。
看病人のところへ、
かかる不吉のことを申すのは、
あまり弁もないように思われるけれども、
当人は天命でいたし方ないとして、
外の兄弟共にまでうつしてはならない。
兄弟は皆よい人物であるから、
万一うつりでもしたなら、
自分としても残念であるから、
この際はありのままを申し聞かせることにした。
なお、量平に万一のことがあっても、
延于、お前が力を落として
病気になるようでは絶対困るから・・・。

■1837年12 月15 日附川瀬七郎衛門教徳宛。
難病如何いたし候哉、
下り前も用事の節、
よくよく親康え薬用可申、
少々の事なりとて其まま指居候へは、
たとへは一本指にてもみけし候事
相成火よりも大火に相成候事にて、
其上にては如何程の火消来候ても間に合不申段も、
其節委細に申候癖か、
あまり剛強に過候故、
機会を失ひ大事と相成り候義は、
今更いたし方も無之、残念至極に存候、
さて何れにも今死候ては決て不相成事故、
色々と相考申候処、
武公御大病中に風と心付、
誰も親の病気は同じく心配いたし候事よと存、
御病中御看病いたし候時より
妙薬と承り候は自身書留置、
今以人に承り次第認させ申候処、
凡奇法の数千余にも相成候、
今の内に舌疽の妙薬も有之様に相成覚え申候故、
くりかへし見候処幸に探当り申候故、
則玄之に申付写せ遣し申候故、
よくよく相談いたし、
可然と存候ははよく用可申候、

●真田へ拳の鴨遣し候序有之候故、
舌疽の妙薬も存居候はは承り度由申聞候処、
如別紙申来候へは、
定て今日於 殿中逢候はは薬法書及見候事か、
又は見舞として心得候人遣し候事かと存候、
薬法書及見候はは早速遣し可申、
若も心得居候人遣し度由申候はは遣し候やう可申候故、
同人参り候てもさしつかへ無之様に致可申候、
・・・

●此度の義は何れとかいたし
我等の勢力にて
死度とも決て死せはいたし不申故、
左様可存、
空しく病を考居候よりは、
仕法等の義、
決てけ様無是ては不相成と申義を相考、
筆記にいたし可申候、
前文の通り死度ても死せは不申候へ共、
役所に居候て色々雑用に取紛レ候より、
静に宅にて考候はは又一増よき考も可有之、
たとひ川瀬の身は死候とも、
了簡は通り可申と存、筆記可致、
病の義は我等の方にて請取、
決て死せは申間敷候、
我等相考候には、
真の舌疽には無之歯にて
摺れ候を其ままさし置候のみならす、
肉酒を多相用候故、
一本指にてひねり消候火を見て居、
大火に致し候気味にて、
申さは類疽に可有之、
しかし地火にても類焼にても
大火と相成候上は同し心得にて
消不申候ては不相成候故、
何分手当は幾重にも厚いたし可申候。


■1838年5 月附御用調役藤田東湖宛。
ちよっと耳に入れるが、
藩医の西村元春や松延元之らに聞くところによると、
近く江戸へ廻りくる酒は石灰が多く入っているから、
それをあまり多く呑むと、
脾臓を悪くして中風の気のある者は発病するし、
眼病その他の病気にもよろしくないとの話であるから、
石灰の多く入っている酒を飲むのは用心するようにしてほしい。
川瀬が病死した上に、
また虎お前まで病身になったなら、
孤独になり、
どうしても自分一人では万事不行届きになるから、
国家のために用心してほしい。
最もそうしたことは十分承知しているだろうと思うが、
今回心配になったので話すまでである。
虎なども毎度酒好きであるから、
止めるわけにはいくまい。
良い品を少しずつたしなんではどうだろうか。
呑まずにいると少しでも酔うようになるものである。
いずれにしても酒に呑まれぬようにしたいものである。
虎のことだから外に心配は無いけれども、
酒を呑み過ぎて自分の身を殺すのではないかと、
そればかりがはなはだ安心できないから、
日ごろは多く呑まぬようにしてほしい。

■1845年豊田天功宛。
天功の中風の気を心配して烏犀円を下賜。
これは昔家康からの拝領品で
少々ではあるがやるからハッカ湯で服用すればよい。

■年不明5 月4 日附豊田天功宛。
其後不快如何いたし候哉。
此度松延定雄咄にて承り案じ申候。
何分加養致すべく候。
走馬牙疳に候ては、
永く命保兼候はずに候処、
全く内悪敷、
血熱にて齦腐乱致し候にも之れ有るべく、
右は宣露とかいふ症と察せられ候、
六味地黄、
煎薬にて用ひ、
此付薬齦はぐきへ昼夜共付け、
試み申すべく候。
宣露の症は命には障り申さず候へ共、
治し兼ね候由、
歯長く成り落ち候後は、
自然全快致し候よし、
然しながら強て歯を抜き候は宜しからざるよし、
書物見候などは彦次郎義はやむなく候へ共、
酒餅等すべて重き品は用ひざる方と存じ候に付、
薬遣し候故、
便に任せ、
此段も一寸申遣候也。

■種梅記。
予少きより梅を愛し、
庭に數十株を植う。
天保癸巳、
始めて國に就く。
國中に梅樹最も少なし。
南上の後、
歳毎に手づから梅の實を採り、
以て國に輸り、
司園の吏をして之を偕樂園及び近郊の隙地に種ゑしむ。
今茲庚子、
再び國に就く。
種うる所の者、
鬱然として林を成し、
華を開き實を結ぶ。
適々弘道館の新たに成るに會ひ、
乃ち數千株を其の側に植ゑ、
又國中の士民に令して家毎に各々數株を植ゑしむ。
夫れ梅の物たる、
華は則ち雪を冒して春に先んじて風騒の友と爲り、
實は則ち酸を含んで渇きを止め軍旅の用と爲る。
嗚呼、備へ有らば患ひ无し。
數歳の後、
文葩國に布き、軍儲も亦充積すべきなり。
孟子云はずや、
「七年の病に三年の艾を求む」と。
戒めざるべけんや。
聊か記して以て後人に示すと云ふ。

■賛天堂の記。
[天堂記は、1843年に開設された医学館に掲げらた。
斉昭が医学館開設の主旨を記した。
外国に頼らず国内で良薬を製する・
日本のあるべき医学・医療体制を医学館から発信する]

●夫れ天地の萬物に於けるや、
煦嫗覆育、
~妙測られず。
然れども其の廣大無窮なるに及びてや、
其の賦與する所の者、
或は齊しき能はず。
是を以て凡そ四方の國、
寒煖燥濕有り。
而して民の其の間に生まるる者、
其の性各異なり。
南方は煖燥、
人心寛柔にして恭順、
衣食餘り有り。
故に生育自ら多し。
北方は寒濕、
人心凝悍にして猛烈、
衣食倶に乏し。
故に生育自ら少なし。
夫の火食せず粒食せず穴居野處、
皮を衣とし羽を被る若きも、
亦風土の然らしむるなり。
嗚呼、我が~州は正氣純粋、
寒煖宜しきを得、
人心仁厚にして義勇、
衣食饒かに、
居處安らかに器械備はり、
一物と雖も之を他に求むるを待たずして足れり。
然るに中世以降、
海外の交易大いに行はれて、
蠻舶の齎らす所の者は則ち
藥石・砂糖・珍禽・奇獸・皮角・羽毛、
諸の玩好の物なり。
彼に與ふる所の者は、
大は則ち金銀銅鐵、
小は則ち紙?脯脩の屬、
皆日用の物なり。
蓋し升平無事、
驕奢淫逸、
奇を好み異を衒ひ、
以て之を致す有り。
其の敝、
今日 に至りては殆ど救ふべからざる者有り。
其の大敝の如きは、
則ち姑らく置く。
今夫れ藥石も亦天の生ずる所、
萬國各有り。
而して異産の我に於けるや、
固より肺腸に熟せざる者有り。
故に適之を服すれば、
則ち其の奇驗有るも亦宜なり。
遂に藥物の於ヌは海外に及ばずと曰ふに至り、
而して我の産する所及び傳ふる所の醫方は
皆棄てて省みず。
是れ何の心ぞや。
蓋し海外の奇藥は其の價最も貴し。
故に富貴の人、
獨り之を甞むるを得。
然れども未だ其の齡を保ち百千歳なる者を聞かず。
而るに、
貧賤の人之を甞むるを得ずと雖も、
亦未だ人の短折するを聞かず。
而して或は長壽を保つ者、往有り。
今富貴の人、獨り之を得るも、
亦大いに善し。
然れども他日辺釁一たび開き、
交易路絶ゆれば、
則ち將に之を奈何せんとす。
且つ藥物は之を用ひて盡き易くして、
金銀は壹たび之を與ふれば、
則ち再び取る能はざる者なり。
獲難きの至寶を擧げて、
以て盡き易きの藥物に換ふ。
是れ亦何の心ぞや。
今其の至寶を蠻夷に棄てんよりは、
其の財を以て良藥を製するの愈れりと爲すに如かざるなり。
蓋し上世、
大己貴命、少彦名命と戮力壹心、
天下を經營し、醫藥の方を定む。
是の時に當たり、
未だ奇藥を海外に取るを聞かざるなり。
余、少小より慨然として
深く之を嘆ずること茲に三十年なり。
海内産する所の藥物と、
傳ふる所の醫方とを聞見する毎に、
採りて之を集む。
今、局を弘道館に設け、
醫生をして檢閲艶サせしむ。
因りて之に命けて賛天堂と曰ふ。
蓋し人心の靈、
誰か天の賦與する所、
各分かつ處有るを知らざらんや。
嗚呼、我が國中より推して天下に及ぼさば、
則ち~州の~州たる所以を知るに庶からん。

■医弊説。
[斉昭は医弊説を書いて医療改革を主張した]
(要旨)
それ医薬は保命の大具、
死生存亡の係るところなり、
以て慎まざるべからず。
医術を修め、
以てその病原極めに尽くすこと肝要なり。
医師、周囲の毀誉褒貶きよほうへんを気にし、
寛薬柔剤?にしてこれ命なりと責任を回避す。
あるいは幸いにして治癒すれば
己の功として誇り多り言を容れず、
それを以て賞与を貪る心有り。
もし変証横出すれば、
罪の我が身に及ばんことを恐れ、
身を屈し他医師に替えんとす。
その医師ら互いに責を回避する。
これまことに嘆くべきことなり。
今、医生たるもの、
熟議討論、心を尽くし身を致し、
唯その薬の験、
その疾の治を図れ。
また拡充して士民に及ぼし。
鰥寡かんか(やもめ)を侮らず、
困窮を廃せずんば、
則ち仁の術というべきのみ。