19/12/14 東海村 太田史学会
第6回歴史探訪会 石神城跡と関連史跡
[ ]はhp制作者メモ。
01長松院。
曹洞宗。
02石神小野崎氏霊堂
03大正年間石神合戦五輪萬霊供養塔
04左上の木のあるところは石神城T郭あたり。
田は久慈川だった。
05田は久慈川だった。
震災の時砂が吹きあげた。河川だったことがよくわかった。
06石神城T郭とU郭間の堀。深い。
07T郭。
かつては木はなかった。見晴らしがよかった。
08U郭。
09U郭とV郭の間の堀
10石神城周辺地図
11 石神城の歴史と構造
12小野崎氏系譜
13V郭の堀
14W郭領主屋敷。
15旧浜街道(塩の道)
海岸でつくられた塩を山の家々に運んだ道。
むかしの村道1号線。
常陸太田の人も13参りには
旧浜街道を歩き村松虚空蔵尊にいった。
16願船寺
真宗大谷派。
1214年願泉寺として開創。
親鸞聖人二十四輩第十四番旧跡。
光圀が願泉寺を詣で、泉の字を船という字に変更させる。
願船寺となる。
[しかし境内には泉が今も湧き出ているとのこと。
泉の字にも意味がある。
光圀の強引さが感じられる。
願船寺は斉昭による廃仏毀釈に抵抗。
願船寺は斉昭に焼き討ちにされる。
現在イチョウの木が残る。
10年後本堂を再建。
住職は水戸藩の刺客に殺される。
水戸藩は寺に対して厳しい。
しかし光圀は母のため日蓮宗久昌寺をつくっている。
光圀・斉昭を常磐神社は神として祀っている]
17住吉神社
水の神・海の神。もとは石神城にあった。
戦い破れ現在の地になった。
18願成寺跡。
寺はなく墓がのこっている。
土の中から地蔵さま?がみつかった。
いま地蔵さまは小さな堂に入っている
以前は、曹洞宗の檀家で、帰命頂礼といっておつとめした。
19おかめ笠抜田
[昔石神に、腰までつかる田だった。
おかめは一人で田植えをはじめた。
田はぬかるむので板の上に乗っての作業だった。
連日の田植で疲れていた。
おもわず゛うっとりした。
その時運悪く板の上から落ちた。
おかめは夕方になっても家に帰らなんった。
心配してだんなが探しにくる。
田の中に菅笠がぽつんと浮かんでいた]
右は石神城。
かつて田のところは湿地か?
20大手口のあった場所。
手前の道路部分に堀だった。
21大手口に残る土塁の一部。民家の築山になっている模様。
22周辺地図。
23
24観音寺跡
[大きな寺だった。
光圀により神式と仏式に墓が分かれれた。
神式のひとの墓は観音寺跡にある。
神式の悔やみがあると
住吉神社の禰宜さんがおつとめする。
仏式のひとは長松院にお墓がある]
長松院に戻り解散。
みなさまお世話さまになりました。
ありがとうございました。