19/12/10 常陸大宮市野上 本泉寺報恩講 真宗本願寺派。
法話 講師 佐野善浩師。
かすみがうら市 真宗本願寺派 往西寺住職。
[ ]はhp制作者のメモ。
■なごりおしく思えども。
なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、
ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。
[この世との別れをどんなに名残おしく思っても、
その縁が尽き、ちからなくして人生の終りをむかえるとき、浄土に参る。
浄土とは魂の故郷であり、生の依るところ。
浄土とは、人生の依りどころ。人生の意義を見出す。
人生の意味を明らかにするもの。
生きる力の源泉のありかを教えるもの]
■報恩講。
親鸞聖人90年の生涯をしのぶ。
教えを聞いて。
真宗では一番大切にしている。
■お供え物。
華束けそく。
報恩講で供えるモチ。
報恩講の時期は冬。
花のない季節。
小さなモチを串に刺し色をつけ花とみたてている。
[本泉寺の華束]

小さなモチの理由。
如信上人が報恩講のため歩いて京都まで毎年行った。
地元の人は、如信上人にモチを京都まで持っていってもらった。
だから小さいモチが必要だった。
・・・という説。
■築地本願寺で法話をしたかたの反省。
築地本願寺の一般の方の席で寝ている女の人がいた。
60才くらいのかた。
法話をする前から寝ていた。
法話が始まっても寝ていた。
法話が終わっても寝ていた。
法話をされた方は、途中で寝ている方が気付くように
大きな声で話すことをなんどか試したが起きなかった。
築地本願寺のかたから後で聞いた。
その寝ていた方は、朝から晩まで働く。
家に帰ると両親の介護。
結局、その方は朝から次の朝まで休むことができない日々を送っている。
築地本願寺にくるのは、貴重な休みの日に来てくれる。
話をききたく来てくれる。
しかし、日々の疲れのため寝てしまったのだろう・・・。
その話をきいて法話をされた方は
何も知らずにはずかしい気持ちになった。
今日、本泉寺に来ているひともいろいろ事情がある。
災害にあわれたかたもいるかもしれない。
報恩講に参加してもらいありがたい。
■災害。
毎年災害。
親鸞聖人の生きた時代。
災害が多かった。
親鸞聖人の生きた90年間に年号が30回変わっている。
天皇がかわるとき年号が変わるのは明治以降。
悲しいこと・いやなことがあると年号が変わった。
■親鸞聖人88才の時に弟子乗信房宛の手紙。
当時全国的に地震や飢饉、疫病で多くの人が亡くなった。
関東の乗信房が手紙で悲しみ・悲惨さを京都の親鸞聖人に伝えた。
親鸞聖人は温かい人情の言葉を述べた。
一方、仏さまの教えを言い聞かせるように、
生死無常の道理は如来が説いている。
改めて驚くことではないと返事した。
生死無常とは、
人間世界にながく留まるものはないということ。
人間は生まれたら必ず死ぬ。
その日がいつなのか分からない。
大切な人・愛しい人といつ別れるか分からない。
生死無常を自覚した大切な生き方がある。
朝、目が覚めた時、今日も生命あって有難う。
両手が合わさる。
朝目が覚めることは、保証があったのではない。
今日も生かされたということ。
生かされた一日を無駄にはできない。
■釈迦・阿難 愛別離苦
釈迦は、臨終にあたり泣いている弟子の阿難に、
愛別離苦をさとした。
阿難よ、嘆くな、悲しむな。
すべて愛するものから、離れなければならないと、
私はいつも説いたではないか。
■四苦八苦。
四苦とは、
生苦・老苦・病苦・死苦
さらに4つの苦しみ。
愛別離苦あいべつりく・
怨憎会苦おんうえく・ 
求不得苦ぐふとっく・
五陰盛苦ごおんじょうく
愛別離苦。愛する人や物と別れる苦しみ。
怨憎会苦。会いたくない人や物と会わなければならない苦しみ。
求不得苦。求めるものが得られない苦しみ。
五陰盛苦。五陰から生ずる身心の苦しみ
五陰とは。
色 物質的要素。受 感情。想 認知。
行 意志。識 知性。
■黒白二鼠こくびゃくにそのたとえ。
荒野をひとりの旅人が歩いていた。
突然、暴れ象が旅人を追いかけてきた。
旅人は必死で逃げる。
象は迫ってくる。
象に踏み殺されてしまう。
その時、古井戸を見つける。
井戸の中に逃げ込めば助かる。
旅人は一目散に井戸めがけて走った。
井戸の中の水は枯れていた。
中につたが垂れ下がっていた。
旅人は一心にそのつたをつかみ井戸に逃げ込む。
象から逃げることができひと安心。
目が暗さになれてくる。
井戸の四方に4匹の毒ヘビをみつける。
更によく見る。
井戸の底には毒龍がいる。
もし落ちたら命はない。
旅人はつたをしっかりつかんだ。
そうしたら、上でカリカリ音がする。
見ると黒と白の2匹のネズミが交互につたをかじっている。
旅人は絶体絶命。
さらに追い打ち。
野火が樹に迫っている。
旅人は恐怖に身を震わせ天を仰いだ。
その時。
旅人の口に、甘い蜜が5滴ほど落ちてきた。
井戸の上の樹木にできたミツバチの巣。
そこからから美味しい蜜が落ちてきた。
蜜の甘さに心が奪われる。
もっと甘い蜜をなめたいと思った旅人は、
切れそうなつたを揺すり出した。
・・・というはなし。
旅人は凡夫。
荒野は長い迷い。
井戸は人生。
つたは寿命。
2匹のネズミは昼と夜。
4匹の毒ヘビは死に至る苦しみ。
全てのものを構成する要素。地・水・火・風。
身体の不調による病苦。
井戸の底の龍は死の象徴。
野火は命を脅かす老いと病。
心奪われる甘い蜜は人の欲望。
諸行無常。
人は、無常の世にありながら、
目先の楽しみに心を奪われている。
人のいのちははかない。
目の前にある楽しみに執着する。
人に与えられている命は限りがある。
死は必ずやってくる。
■私の父。
わたしの父は77才でなくなった。
父は亡くなる半年前に病院の先生にあと半年のいのちといわれていた。
それは父が亡くなってから
私は病院の先生の話から知った。
家族だれもが父から知らされてなかった。
住職をしていると、人には
我やさき人やさき・きょうともしらずあすともしらず、
おくれさきだつ人はもとのしずくすえの露よりもしげしといえり、
されば、朝あしたには紅顔ありて・夕ゆうべには白骨となれる身なり、
すでに無常の風きたりぬれば・すなわちふたつのまなこたちまちにとじ・
ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて・・・。
と話している。
しかし、
自分は大丈夫。
家族は大丈夫と思っていた。
他の人には無常を説きながら、
自分のことは分かっていなかった。
父はそれを知っていたので何も言わなかった。
■阿難とうぬぼれ。
阿難は、釈迦の十大弟子の一人。
20年間釈迦の侍者として常に説法を聴いていた。
多聞第一たもんだいいちといわれる。
釈迦入滅について、阿難はまだ先だろうと考えていた。
それは、まだ大切な話を聞いていないからだった。
最後に、大事な話を聞けると思っていた。
釈迦入滅を前にして阿難は釈迦たずねた。
釈迦曰く。
わたしは何も隠していない。
すべて話してきた。
阿難は愕然とした。
20年間何をきいてきたのか。
うぬぼれていたことに気づいた。
■ありがとうが報恩講
自分の願いがかなったとき
損得勘定は自分の物差しでのこと。
損得ではかれない世界がある。
如来の智慧。
ものごとをありのままに見る。
諸行無常。
形はこわれる。
いのちは途絶える。
生きているのは不思議。
縁起。
わたしは一人ではいきてない。
周りの人に支えられている。
ありがたい。
おかげさま。
ありのままに見る如来の智慧。
道に迷う。浅い迷い。
どこにいるかわからない。深い迷い。
自分の迷いに気づいていない。深刻な迷い。
●鈴木章子さんの詩
道に迷ったら
たちどまって
道を知っている人に
尋ねるのが一番
そのうちにと思っていると
日が暮れてしまう
●まよい。
たずねること。
道を知っている人に教えてもらう。
進むべき方向を教えてくれる。
さとりを得ること。
まよい。
念仏の暮らし。
極楽浄土のみち。
他力のみち。
●振り返るのが報恩講。
親鸞聖人は死してなお道を教えてくださる。
■御文章 
聖人一流の御勧化のおもむきは、
信心をもって本とせられそうろう。
そのゆえはもろもろの雑行をなげすてて、
一心に弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として、
仏のかたより往生は治定せしめたもう。
そのくらいを一念発起入正定之聚とも釈し、
そのうえの称名念仏は、
如来わが往生をだめたまいし、
御恩報尽の念仏と、
こころうべきなり、あなかしこ あなかしこ
[チャノキ]

■前住職のはなし
90才をすぎて歩くには
ちょっと工夫が必要。
わたしは実践している。
あるところにまで歩いて帰ってくる。
途中の工夫。
少しの区間を大またで歩いてみる。
前傾となり格好悪くとも大事。
できれば少しの区間を走ってみる。
時には片足ケンケンをする。
できなくとも毎日すこしずつ。
本泉寺は幼稚園をやっている。
子どもは上手にやる。
ズボン・靴下は立ってはく。
座っては好ましくない。
布団の上げ下げをする。
これは生活の中の運動。
いよいよとしをとってくると阿弥陀様たより。
ぜったい他力の念仏。
他力の念仏でなければダメ。
死ぬときはひとりでいくしかない。