19/12/1 那珂市瓜連 水戸・歴史に学ぶ会
明治維新後の水戸。
薗部等先生。
■年表
●1868年・
明治天皇即位の大礼を挙行。
水戸藩義篤死去。
水戸藩主昭武に。
弘道館の戦。
●1869年・
版籍奉還・昭武藩知事に。
義烈二公に従一位を追贈位。
●1871年・
廃藩置県。
茨城県誕生・山岡鉄舟茨城県参事。
●1874年・
常磐神社社殿落成。
義烈公に神号下賜。
●1875年・
明治天皇・小梅の水戸徳川邸に行幸。
義列ニ公の功績ょ嘉賞。
●1890年・
明治天皇・皇后、水戸に行幸啓。
●1900年・
義公に正一位を追贈位。
●1903年・
烈公に正一位を追贈位。
●1907年・
明治天皇・彰考館蔵書の保存費補助を下賜。
●1909年・
皇后・彰考館蔵書の保存費補助を下賜。


■1869年・義烈二公に従一位を追贈位。
●光圀。
其先、
贈従二位大納言光圀、
兵革始息、
文教未明の時に方り、
首に尊王の大義を唱へ、
君臣の名分を正し、
殊に心を修史に尽くし、
以て千古の廃典を興す、
其の功績、
深く御追感あそばせらる。
これによりて、
贈従一位宣下候事。
●斉昭。
祖父、
贈従二位大納言斉昭、
光圀の遺旨を継ぎ、
専ら心を皇室に存し、
内は綱紀の衰頽を憂い、
外は辺備の弛みを患い、
自ら奮って国家を維持せんとす。
其忠志、
深く御追感あそばせらる。
これによりて、
贈従一位宣下候事。

■1875年
4月4日・明治天皇・小梅の水戸徳川邸に行幸。
明治天皇は隅田川沿いの小梅村の徳川昭武邸へ行幸。
天皇は、光圀・斉昭らの遺文や書画を御覧になる。
昭武・親族ら天皇へ拝謁。
天皇は、光圀・斉昭の皇室尊崇の志を称える。
先代の志を引継ぐようにとの勅語を昭武に下す。
●勅語
朕、親臨して光圀斉昭の遺書を観て、其功業を思う、
汝昭武遺志を継ぎ、能く益勉励せよ。
●御製。
花くはし 桜もあれど 此このやとの 
代々のこころを われはとひけり


●4月4日は、あんぱんの日。
明治天皇が徳川昭武邸を訪れたとき
木村屋のあんぱんが出された。
当時侍従は山岡鉄舟。
木村屋に、
「京都の菓子が多い。
パンをお出ししたらどうか」
木村屋は、桜あんぱんをつくりお出しした。
それで4月4日はあんぱんの日になる。
木村屋の看板は山岡鉄舟の揮毫による。
山岡鉄舟は茨城県の初代知事(当時は参事)

■1890年・明治天皇・皇后、水戸に行幸啓。
●10月26日・
近衛諸隊秋季小機動演習を親閲。
8時55分上野、
浦和・大宮・久喜・小山・結城・岩瀬・宍戸に停車。
午後2時水戸。
沿道の町村奉迎する。
瑞竜山にいき光圀・斉昭の墓を詣でる。
西山荘に赴きて光圀隠棲の旧荘を訪い、
其の塑像を視て帰り、
翌日具に復奏す、
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●10月27日・
・・・
午後2時10分・水戸行在所に還御したもう。
・・・
4時30分・市民の懇請を聴したまい、
陳列場に臨御あらせられ、
古書画、古器物等の列品を覧ふもう、
・・・
●10月28日・
皇后別に停車場より常磐公園好文亭に成らせらる
・・・・
途次水戸公園に成らせられ、
八卦堂の前に至りて御下車、
堂内に入り、
燭器を執とて弘道館記の碑を読みたまい、
・・・
又種梅記の碑を覧たもう、
・・・
●10月29日・
午前8時5分天皇・皇后行在所御出門、
8時15分水戸停車場より汽車に乗御あらせらる、
午後1時5分上野停車場に著御、
倶に還御あらせらる。

■1900年・義公に正一位を追贈位。
贈従一位徳川光圀、
夙に皇道の隠晦を慨い、
深く武門の驕盈を恐れ、
名分を明にして、
志を筆削に託し、
正邪を弁して、
意を勧懲に致せり、
洵に是れ勤王の倡首にして、
実に復古の指南たり、
朕適々常陸に幸し、
追念転々切なり、
更に正一位を贈り以て朕か意を昭にす



■1903年・烈公に正一位を追贈位。
斉昭、
夙に家祖光圀の遺志を紹ぎ、
心を皇室に存じ、
文を修め、
武を講じ、
身を以て天下の安危に任ず、
誠に当時勤王の倡首たり、
・・・・