19/11/29 常陸大宮市石沢 常弘寺報恩講 真宗本願寺派。
法話 講師 鷲元明俊師。
真宗本願寺派 那珂市 上宮寺前住職。
[ ]はhp制作者メモ。

■御取越おとりこし。 
御開山親鸞聖人の命日。
お東では11/21〜11/28御正忌報恩講。旧暦11/28が命日。
本願寺派では1/9〜1/16御正忌報恩講。新暦1/16が命日。
浄土真宗の末寺や門徒の家々で、
本山で行われる御正忌報恩講と重ならないように、
日を繰り上げて報恩謝徳の仏事をおこなっている。
日を繰り上げて行われるから御取越おとりこしという。
最近はあまりやっていない。
■1/9〜1/16御正忌報恩講に8年間参加している。
参加することはおもしろい。
朝は6時からおつとめ。
5時30分には入っている。
1時間30分くらい正座。
きびしいがありがたい気持ちになる。

我々は何のために生きてきたか?
本当の自分をしるために生きてきた。
とこたえたひとがいた。
支えられた恩をしるため。
赤ちゃんはお腹がすくと泣く。
だれもが大事に大事に育てられた。
可愛がって育てられた。
大きなはたらきの中に生きている。
御恩報謝。
仏のご恩。
800年前。
親鸞聖人は、源空・法然上人の弟子になる。
源空は13歳で比叡の山に入る。
19歳で仏教を理解する。
智慧第一の源空といわれた。
源空は疑問をもつ。
エリートばかりが救われる仏教。
普通の人が救われないのはおかしい。
源空は一切経を読む。
一切経は一切の経典のこと、7000有る。
毎日何年も読んだ。
黒谷報恩蔵で一切経を5回読む。
ついに善導大師の
「一心に弥陀の名号を専念して、
行中座臥、時節の久近を問はず、
念念に捨てざる者をば、
是を正定業と名く、彼の仏願に順ずるが故に」
の文に出会う。
善導大師は、阿弥陀仏の誓った本願を信じ、
ひたすら念仏をとなえれば、善人悪人を問わず、
阿弥陀仏の力により必ず阿弥陀仏の浄土
に生まれ変わることができる。
普通の人が救われるという。
源空は吉水で教えをひろめる。
親鸞聖人が教えを受けたのはこの頃。
念仏を称えれは往生できるか。
これは違う。
念仏。
仏が私を助けてくれる。
人智 仏智 仏にお任せする。仏智をあてにせよ。
明るい人生を送っていける
[こちらから仏に近づくことでない。その念仏は自力となる。
阿弥陀仏におまかせし、阿弥陀仏の大悲・誓願・本願に救ってもらう。
それが仏の仏智か。
阿弥陀仏の南無阿弥陀仏を受け取り南無阿弥陀仏を称える]

■佐賀のがばいばあちゃんのはなし。
がばいとは佐賀弁で「すごい」という意味。
漫才B&B島田洋七さんのばあちゃん。
以前に茨城東組で島田洋七さんに講演をお願いした。
印象にのこるはなしだった。
島田洋七こと昭広少年が、佐賀のばあちゃんと暮らしたはなし。
がばいばあちゃん、本名は徳永サノさん。
貧乏の中明るく生きた人。
1900年に生まれる。
24歳のときに13歳年上のじいちゃんと結婚。
7人の子供をもうけた。
42歳のとき、じいちゃんは他界。
ばあちゃんは7人の子供を育て上げる。
ばあちゃんの子供・昭広少年の母は、夫を原爆症で亡くした。
広島で小料理屋をやっていた。
母のはからいで昭広少年は
ばあちゃんのもとで2人で暮らすことになる。
ばあちゃんの仕事は掃除婦。
毎朝4時には仕事にでかける。
昭広少年がはあちゃんと初めてあったとき。
朝起きて
かまどでごはんを焚く・仏壇にご飯をあげる
ようにいわれる。
佐賀を離れるまで8年間続いた。
ばあちゃんとの暮らしは昭広少年には驚きの連続だった。
ばあちゃんの家はかなりの貧乏だった。
食べものがなかった。
仏壇は立派だった。
■念仏者
ばあちゃんは明るかった。
仕事の休みにはお寺に行った。法話をきいた。
ばあちゃんは仏さまに手を合わせ、
仏さまの懐に抱かれ、救いの喜びがあった。
ばあちゃんはいつも南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏を称えていた。
念仏ばあちゃんだった。
貧しい中でも仏さまへのお参りを大切にしていた。
その後ろ姿を見て昭広少年は育った。
お寺は遊び場であり
お坊さんや近所の人から色々なことを教わる場所だった。
ばあちゃんは浄土真宗門徒であり、
浄土真宗生活信条のひとつ
「みほとけの誓いを信じ 尊いみ名をとなえつつ 強く明るく生き抜きます」
を実践した。
毎日を強く明るく生きた。
■ばあちゃんの哲学。
収入が少ない。
徹底して支出を減らす。
仕事の休みの日にはお寺。
お布施はケチらなかった。
■小さな川。
ばあちゃんの家の近くには小さな川があった。
そこでばあちゃんは、川に木で簡単な柵をつくっていた。
そこに引っかかるものを拾った。
木は焚き木にする。
野菜も拾った。
川の上流に八百屋さんがあった。
売り物にならない形の悪い野菜を川に捨てていた。
ばあちゃん曰く。
「ふたまたの大根も切って煮込めば一緒。
曲がったキュウリも刻んで塩で揉んだら同じ。
夏にはトマトが冷えて流れてくる。
川は自然のスーパーマーケット。
柵に何もかかってないと、今日はスーパー休みか・・。
配達もしてくれるし、勘定も払わなくてもいい。
欠点はその日に食べたいものが手に入らない。
世の中に拾うものはあっても、捨てるものはない。
■腰に紐
少しでもお金を得るため
腰にひもをして磁石をひいて歩いた。
磁石に着いた金属を売ってお金を得た。
空地にはやさい作り、ニワトリを飼う。
■昭広少年は剣道をやりたくなった。
でも防具などにお金がかかるとわかると。
ばあちゃん曰く。
「やってはだめ」
柔道も同じ。
柔道着にお金がかかるのでダメ。
ばあちゃん曰く。
「走るのはよい」
昭広少年は走ることになる。
毎日一生懸命走った。
ばあちゃん曰く。
「一生懸命走ってはダメ。腹が減る。
靴も減る。これからははだしで走れ」
昭広少年は体が強くなった。
走るのもはやくなった。
運動会では1等だった。
■運動会。
運動会、昭広少年は、ひとり教室で弁当を食べようとした。
ばあちゃんの作ったご飯と梅干だけの弁当、
はずかしかった。
食べようとしたら担任の先生が来て、
昭広少年に
「先生ちょっとお腹壊した。
弁当を交換してくれないか?」
昭広少年の弁当には梅干しが入っている。
腹に優しいという。
昭広少年は、先生の弁当を見て驚いた。
今まで見たこともないごちそうが入っていた。
それは担任の先生がかわっても6年間続いた。
「なぜ毎年、運動会の日に限って先生は腹が痛くなるのだろう?」
不思議に思った昭弘少年は、ばあちゃんに話した。
ばあちゃん涙ぐんで曰く。
「それは先生がわざとしてくれた。
昭広のために弁当持ってきたと言ったら、
昭広もばあちゃんも気を使う。
人に気づかれないでするのが、本当の優しさだ」
■2つの貧乏。
毎日、働きっぱなしのばあちゃん。
昭広少年「うちは貧乏だ。金持ちになったらいいね」
ばあちゃん曰く。
「なに言ってる。貧乏には2通りある。
暗い貧乏と明るい貧乏。
うちは明るい貧乏だから大丈夫。
最近貧乏になったのではない。
心配しなくてよい。自信を持て。
うちは先祖代々貧乏だから」

■貧乏はひとのありがたみを感じることができる。
むかしは、隣の家に風呂をもらいにいったことがあった。
明るい貧乏。仏智にたっている。
■言葉を覚えられないチューラパンダカは
箒での掃除でさとりを得た。
箒で掃除をし
「塵ちりを払わん、垢あかを除かん」と
唱えるようにブッタにいわれた。
しかし言葉を覚えられない。
しかし、塵とはなんだろう、垢とはなんだろうと考える。
何年もの間箒での掃除は続いた。
そして、自分の心の塵、自分の心の垢を自覚。
塵と垢を離れ捨て切ることができた。
[ある時「塵とは何か、垢とは何か、払い除くとはどういうことなのか」
という疑問が湧いてきて、
やがて自分の心の塵、垢を自覚し、
それを離れ、捨てきるまでになり、
ついにさとりを開いたという]
頭のいい人、頭の悪い人。
その考えから離れていく。
善悪・老若
そういうしがらみから解放される生き方。
きれい・きたないは人智。
それを捨てる。それが仏智。
かしこい・かしこくない。
あるとかないとかが問題ではない。
あるがまま大きな世界に生かされている。
大きなはたらきの中に生きている。
仏教は実践。
めをつぶり南無阿弥陀仏を
称えるのではなく、
阿弥陀如来をみて
南無阿弥陀仏を称えよう。
如来の呼びかけを感じて称えよう。
いつも私をつつんでいる。
いつも呼びかけている。
口に現れた時、お念仏。
私の後ろにいる阿弥陀さま。
わたしを思ってくださる阿弥陀さま。
それがお念仏。
仏につつまれて生活。
わたしよりも思っているのは仏では。
信心は仏心。
仏心は皆同じ。
法然上人・親鸞聖人・みなさん。
仏の心だから皆同じ。
皆が救われないと、私は救われない。


聖人一流の御勧化のおもむきは、
信心をもって本とせられそうろう。
そのゆえはもろもろの雑行をなげすてて、
一心に弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として、
仏のかたより往生は治定せしめたもう。
そのくらいを一念発起入正定之聚とも釈し、
そのうえの称名念仏は、
如来わが往生をさだめたまいし
御恩報尽の念仏と、
こころうべきなり。
あなかしこ あなかしこ
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏。