19/11/25 那珂市本米崎 上宮寺報恩講 真宗本願寺派。
法話 講師 鶴山信行師。
神奈川県 真宗本願寺派 常光寺住職。
無上甚深じん微妙の法は、
百千万劫にも遭遇あいおうこと難し。
我いま見聞し受持することを得たり。
願わくは如来の真実義を解したてまつらん。
■ご縁ということ。
ハーバード大で教えている知人がいる。
英語にはご縁ということばがない。
遠慮という言葉もない。
といっていた。
欧米でははっきりさせる文化。
どちらでもよいといった考えはない。
ご縁は自分の意図するものではない。
たまたま、わたしは上宮寺前住職と龍谷大が一緒。
そのご縁で今話をしている。
すごいことです。
人身にんじん受け難し、いますでに受く。
仏法聞き難し、いますでに聞く。
此の身今生において度せずんば、
さらにいずれの生しょうにおいてかこの身を度せん。
大衆だいしゅうもろともに、
至心に三宝さんぼうに帰依し奉るべし。
自ら仏に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、
大道を体解して、
無上意を発おこさん。
不思議なご縁。
人間として生まれた。
どうして生まれたのか。
説明がつかない。
私の意思をこえたものがある。
■仏道を習うは自己を習う 道元禅師のことば。
仏道をならふというふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、
自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
仏教の目的は、無我になること。
我が無いということが分かりにくい。
■親鸞聖人20年間比叡の山。
親鸞聖人は、いづれの行もおよびがたき身となれば、
とても地獄は一定いちじょうすみかぞかし。
自分を縛っているのは自分自身であることに気付く。
無我。
簡単ではない。
おれ・お前で争う。
自分が正しい。
あなたが間違い。
争いになる。
おれが・・・。
それが煩悩。
善と悪。
相手を悪くいう。
煩悩具足。
親鸞聖人は、聖道門をあきらめる。
法然上人にあう。
生死しょうじ。
生と死にとらわれている。
死のない生はない。
生れてきたものは必ず死ぬ。
生と死は一体のもの。
自己を見つめた人・親鸞聖人。
損と得。
苦か楽か。
善し悪し。
■死の話をきらう。
哲学者田辺元がいっている。
メメント・モリ。ラテン語で Memento mori (死を忘れるな)
毎日ラジオで一刻も死を忘れようと
笑いを提供している。
死を忘れようとしている。
■何となくよい。
門徒のかたの葬式があった。
亡くなったのは父親。
本当はさびしい葬式のはずが少し違っていた。
父はすべてをやってきた。
と家族がいった。
父が亡くなるまでの1週間。
家族で生死の話をした。
死をおそれなくなったようだ。
死の話をしてなくなる。
なんとなくよい。
■山村暮鳥。 
ああもったいなし もったいなし 
貧乏なればこそいい月がみられる
金のある人はあっちいったりこっちいったり。
山村暮鳥という詩人。
結核にかかって牧師の職をやめ、
奥さんに働いてもらって、
自分は詩や童話を書いた。
「病床の詩」というのがある。 
 ああ、もつたいなし
 もつたいなし
 かうして
 寝ながらにして
 月をみるとは
 
 ああ、もつたいなし
 もつたいなし
 妻よ
 びんぼうだから
 こんないい月もみられる

[後半の話は聞かずに帰宅]