19/11/17 水戸市立博物館 大正の漫画家・山田みのる&講演会。
水戸駅から水戸市立博物館へ歩いていく。
水戸城大手門 水戸市

水戸市水道低区配水塔 水戸市北見町

水戸東武館  水戸市北見町

水戸市立博物館
■特別展。
大正の漫画家・山田みのるをみる。
山田みのる。1889〜1925年。
大正時代の水戸出身の漫画家。
東京美術学校(現在の東京藝術大学)で洋画を学ぶ。
朝日新聞社へ入社。
国内政治や国際情勢を風刺漫画をかく。

■講演会をきく。
時代と人が生み出す風刺とユーモア 日本近代漫画の展開。
山田みのるが活躍した近代漫画界の様相。
講師。湯本豪一先生。
漫画史研究家・元川崎市市民ミュージアム学芸室長。
●川崎ミュージアムが水害にあった。
漫画家の家族から譲りうけた発禁処分の本がある。
水害にあっていないか心配。
漫画を後世をどのような形で残すか。
考えてもよい時期。
●山田みのる。
大正の漫画家。
大正は15年。
明治40年。昭和60年。とくらべ短い。
大正の期間は短いが、漫画の転換期になった。
さまざまな角度からかかれている。
風俗・事件・関東大震災。
一般の生活に着眼している。
●団団珍聞まるまちんぶん
一般よりも政治的なもの。
●大阪滑稽新聞。
伊藤博文の女好きを風刺した漫画
大久保利通 象
西郷隆盛 サイ
明治風刺の特徴
●冬の時代。
幸徳秋水による幸徳事件。大逆事件。
明治天皇の暗殺を計画したとして、
社会主義者・無政府主義者を逮捕・起訴。
死刑や禁固刑判決を下した事件。
事件後、官憲がきびしくなる。
漫画にはエアスポットになった。
官憲が厳しくなり明治風刺は休みとなる。
●大正時代になる。
若い人が出やすくなった。
漫画の表現にしばりがない。
●漫画漫文。
漫画に文章をつけストーリーがある漫画がでた。
画期的なこと。
現代の漫画に通じるものがある。
明治漫画は、1枚の漫画。風刺漫画。
今の漫画はストーリーがある。
ストーリー漫画は大正時代から始まった。
ストーリー漫画は漫画漫文からはじまった。
●子ども漫画もでてきた。
職業人の漫画家。
漫画に専念し職業にする。
風刺漫画をかいた人。
西洋画・日本画を学んだ人が金のためにかいていた。
それとは別に漫画に専念し職業にする。
その運動が起きて東京漫画会ができる。
東京漫画会は漫画家の集まり。
多くは20代の漫画家。
活動としては。
漫画展・地方で漫画祭・似顔絵漫画。
東海道53次絵巻を書くイベントを実施。
日本橋から京都まで。
旗をたてトラックで移動。
漫画家の存在を世間の人にしらしめた。
江戸時代。
北斎漫画・鳥羽絵・京絵。
いろんな手法があった。
漫画はそのなかのひとつだった。
●明治になると。
ジャパンパンチがでる。
社会風刺の絵。
漫画はポンチとよばれた。
今の漫画の意味。
政治風刺
卑下されることばになるポンチ。
ポンチはやめ漫画を使う。
●文明開化以降の時代の人。
それが大正時代。
対立よりも風俗。
大正デモクラシーの背景。
わずか10数年に漫画はかわった。
現在の漫画の開始時期。
現在に伝わっている。
大正で活躍した
岡本一平・水戸市出身の山田みのるなど。
大正漫画を牽引した人は40代になり大御所となる。
同じことをやっても若い人の出番がない。
●若い人は新しい活動をはじめる。
新漫画家集団。
新しい漫画を切り開く。
新聞は大御所が占領している。
若い人は雑誌にマンガを掲載することをみつけた。
どのような本にも4コマ漫画のっている。
戦争前まで漫画は自由に掲載。
●国が戦争推進の時代になる。
お国のため・報国のため。
漫画集団もそれに参加を要求された。
いやになって漫画をやめる人も出てきた。
漫画に関わっている人には闇の時代になった。
大政翼賛会の戦争讃歌の漫画もある。
社会矛盾・風刺エネルギー。
だが逆に使われる。
漫画は人に伝えるに大きな力をもっている。
読む人は、どのような背景で書かれているか、
考えることも大事か。
絵をかいて食べることができなかった。
漫画家の地位が低くなった。
●戦後。
手塚治虫・赤塚富士夫がでてきた。
時代が大きく変わった。
漫画が新しく生れる状況になった。
検閲があり制約があった闇の時代は過去のものになった。
戦後新しい漫画。
昭和21・22年。漫画雑誌できた。
言論の統制から解き放たれた。
関西赤本漫画が出版される。