19/11/16 ひたちなか市民大学講座 
第9回
「マヤ文明のクロスワード、東南マヤ辺境
−ラ・エントラーダ考古学プロジェクト」
長谷川悦夫先生。
■青年海外協力隊。
大学生の時に休学し青年海外協力隊に参加。
国内研修をうけてホンジュラスに行く。
■ホンジュラスについて
当時、ホンジュラスは平穏な国だった。
コパン遺跡やカリブ海岸の
ビーチリゾートを生かした
観光開発のはなしがあった。
遺跡発掘と修復に協力した。
■ラ・エントラーダ考古学プロジェクト。
1991年から2年8か月間
プロジェクトの手伝いをした。
遺跡発掘と修復作業をおこなった。
■コパンと東南マヤ辺境。
●コパン遺跡。
古典期マヤ文明。東の都。
●エル・プエンテ遺跡。
フロリダ盆地最大級の遺跡。
●ロス・イゴス遺跡。
ラ・ベンタ盆地最大級の遺跡。
●ラ・ベンタ盆地以東の遺跡。
高さ2〜3mのマウンド。
凝灰岩・石灰岩を加工した遺跡でなくなる。
自然石を積み上げた建築。
■エル・プエンテ遺跡、
建造物31と
訪問者センター建設予定地の
発掘調査1991〜1993。
●建造物31
建造物は木・土・草で覆われていた。
それらを取り除く。
石は積み方がくずれている。
いちど石を解体し再度積み直す。
建造物は700〜900年のもの。
建造物は、6段階に分かれる。
6つの層。6回改修されている。
コパン遺跡にみられる
マヤ的な建築様式は
3〜6段階に見られる。
出土土器。
下層の古い時代。在地の土器が多い。
上層の新しい時代。マヤ的な土器が多い。
●訪問者センター建設予定地の発掘調査。
ウスルタン様式の土器を採取。
●エル・プエンテの建造物。
当初。マヤとは異なる
フロリダ盆地の人が建造。
次第に、コパン王朝の影響で
マヤ的建造物になった。
■エル・プエンテ遺跡、建造物1の発掘調査1991〜1995.
建造物1はエル・プエンテ最大の建造物、
7段階の建築過程を確認。
最古段層建造物フェーズ6は、
コパンのチョルチャ建造物と酷似。
人物形香炉の副葬品も酷似。
エル・プエンテは、
7世紀、コパン王朝の飛び地か。
■7〜8世紀のコパン
●11代王ブッ・チャン在位578〜628
コパン谷。急激な人口増加。
●12代王煙イミシュ在位628〜695
コパン発展。
●13代王ワシュクラフーン在位695〜738
コパン最盛期。
738年。キリグア王に殺害される。
●14代王カック・ホプラフ在位738〜749
モニュメントつくりなし。
●15代王カック・イピヤフ在位749〜763?
モニュメントつくりなし。
●16代王ヤシュ在位763〜820
モニュメントつくり再開。
コパン谷。人口飽和状態。
■コパン系の彩色土器の出土状況
コパドール多彩色土器。
600〜900年。
コパン谷の外部に流通したのは738年以降。
チランガ彩色土器・
グゥアルポパ多彩色土器・
カテルピジャール多彩色土器
も出土される。
■まとめ
●エル・プエンテは在地の非マヤ人が建設。
●徐々にコパンとのつながりが深まる。
738年以降顕著になる。
●コパンが東方に進出した背景。
遠距離交易路の確保。
●コパン王朝は
土地・農産物・資源のための征服を
おこなっていない。と思える。