19/11/14 常陸太田市栄町 帰願寺報恩講 真宗大谷派
法話 講師 祖父江佳乃師
愛知県 真宗大谷派 有隣寺住職。
●お釈迦様の生まれた国インド。
右手。ご飯を食べる手。
左手。おしりをふく手。
唯識を学ぶためおじいちゃんが
インドによく行っていた。
おじいちゃんが亡くなった。
お骨の一部をガンジス川に流すように
言われていた。
デリーからガンジス川へ。
遠かった。
途中よった粗末なドライブイン。
ヨーグルトを食べるようにすすめられ食べた。
注文したらヨーグルトはカメに入っていた。
カメの上面はヨーグルトの上に
真っ黒になる程ハエがとまっていた。
ヨーグルトはおいしかった。
食べたらお腹をこわした。
トイレは野外で。
左手おしり。
右はご飯。手はよいこともする。
左手。きたないもの。悪いこともする。
●台風と豪雨大変だった。
災害に逢われ途方にくれる方の姿をみる。
大変だと思う。
一瞬可哀そうだと思う。
何とかしてあげたいと思う。
でもすぐに災害が自分でなくて
よかったと思う。
自分にとって都合の良いことが良いこと。
私たちは自分を中心に
自分がよければよいと考える。
直ぐに人と比べる。
この人よりはましだと思う。
●帰命とは。
如来の勅命にしたがうこころなり
帰命とは南無。
「帰命」とは
阿弥陀仏の本願の仰せにしたがうこと。
●自分の価値観はいつも同じではない。
判断の基準は感情によりかわる。
あばたもえくぼ。
ときによりあばたに見えたり
えくぼに見えたり。
虫のいどころにより判断が変わる。
自分の都合のいいことをよいとする。
●ごはん。
いただきますという。
あなたの命をいただきます。
魚・牛・ブタ・キュウリ・トマト。
その命をいただく。
他の命を奪う。
他の命を殺す。
うまれたときからはじまる。
殺さなければ人は生きていけない。
●いい人・悪い人。
殺すことは悪い人。
悪い人・皆の命を救う。
どうか私の国に生れて。
阿弥陀仏の願い。
仏に成る人だ
南無阿弥陀仏
帰とは。
よりかかるという意味がある。
仏になる。
身をまかす。
●報恩講は親鸞聖人の命日。
息をひきとるとは
残さされた人は
ひきとらせていただく
死んでいくのに順番はない。
ただうまれたら死んでいく。
瞬間を大事に生きる。
命日は、自分の命の大事にあう日。
●念仏いただく。
念仏がこぼれおちる。
仲間
御同行・御同朋
御はかしづきて。
●親鸞聖人の聖。
ひじり聖の意味。
日をしる。
春と秋。
彼岸は日本だけ。
米をまく日。
聖徳太子。
17条憲法。
和をもって尊しとする
三宝。仏・法・僧サンガ。
心から三宝を敬う。
こよみ・カレンダーなかった。
彼岸、昼・夜の長さ同じ。
天皇は知っていた。
●扶持がなかった。
ほどこしで暮らした。
襟まきの あたたかそうな黒坊主
こやつの法は天下一品
一休。
●親鸞聖人がいなければ。
私は阿弥陀の本願を知らなかった。
私・父・じいちゃん
帰願寺に来る前、
父のノートを見て勉強した。
仏縁。
帰願寺で話すことがなけれは
父のノートを見ることがなかった。
父のノートにめぐりあった。
●関東にくると。
電車から広い平野をみる。
親鸞聖人が足を地に着かせたところ。
親鸞聖人が関東を歩いた。
おみのりをいただいている。
親鸞聖人の徳。
しゃくりかんじんげん?
念仏。
車窓で親鸞聖人のことを考える。
おなかがあたたかくなる
阿弥陀の本願。
いただいている。
●親鸞聖人は承安3年京都に生まれた。
冬に台風・夏に雪。
飢饉。
食べないと体力がなくなる。
疫病がはやる。
地獄絵であった。
鴨長明が方丈記に書いている。
臭きかおり満ち満ちて。
死臭が漂い。
犬が亡くなった人を食べている。
●親鸞聖人4才ときの名前、松若丸。
父は、松若丸8才ときなくなる。
母は、松若丸8才ときなくなる。
親孝行もできないのに別れ。
母は
私を母にさせていただいた。
出会ったものは別れるもの。
屋敷の外には泣き叫ぶこども。
この世に何ひとつ
いらぬものなどないはずなのに。
この世に生まれてきたことを
後悔しているものがたくさんいる。
このような弱きものに光を
あてるみちをあゆんでほしい。
といって息をひきとった。
松若丸がどれだけ泣いても
母の瞼はあかなかった
夜さみしかった。
涙がこぼれる。
9才のとき。
お坊様になろうときめる。
弱き者に光を。
叔父さんにお願いし、
青蓮院で得度を受けようとする。
叔父さんは松若丸を公家としたかった。
青蓮院慈鎮和尚に
お坊さんを諦めるよう勧めることをお願いした。
慈鎮和尚は松若丸に坊さんに簡単になれない。
多くのお経のなかからひとつ読むようにいった。
松若丸は
「仏説阿弥陀経 如是我聞
一時仏在 舎衛国・・・・」
よどみなく読み終えた。
慈鎮和尚は驚いた。
叔父さんに
松若丸をお坊さんにさせてほしい。
衆生を救うお坊さんになる。
得度式を明日にしようとした。
松若丸は
いやです。
仏法は急げと和尚様はいつもいっておられる。
今、桜が咲いているが、
夜嵐がきて桜は散ってしまうかもしれません。
明日の朝、花はないかもしれません。
「明日ありと思う心の仇桜
夜半に嵐の吹かぬものかは」
母からいただいた歌です。
いただいたときは意味がわからなかった。
今はわかります。
和尚さまのいのち、
私のいのちもいつなくなるかわかりません。
慈鎮和尚
私がわるかった。
その通りだ。
わたしは何もわかっていなかった。
おぶった子に道を教えられる
とはこのことだ。
松若丸は得度した。
範宴と名前を改めた。
●念仏をいただく。
今が今。今やることが大事。
南無阿弥陀仏。
ひとがなくなる。
息をひきとる。
のこされたわたしたち。
亡くなった人の息をひきとらせていただく。
いつかは死ぬ身。
お浄土へいく。
順番はわからない
命日は、自分の命をかんがえるから大事。
いのちの大事に気づかせていただく日。
ほとけとむかいあったとき南無阿弥陀仏。
ごはんを食べる時いただきます。
大事なことは忘れません。
大事をわすれることはできません。
手をあわせることは大事です。
南無阿弥陀仏、
合掌を次に伝えることは大事です。
煩悩具足。
ありがとうの感謝の気持ち。
阿弥陀仏は前かがみになっている。
多くの人を救おうとしてくださる。
光の中につつまれている。
阿弥陀は大事につつんでくれる
ただ頭をさげるだけ。
手を合わせることが大事。
子まで孫まで続けさせることが大事。
■感想
昨年の報恩講以来聞かせていただいた。
独特の語り方。
どんどんと話にひきこまれていきました。
ありがとうございました。
感謝です。南無阿弥陀仏。
■門前掲示板より。
進学や就職など、
人生には多くの岐路が訪れます。
そして、その時の選択肢は
数えきれないほどたくさん
あるようにみえますが、
実際は選べるのは、一つだけ。
でも、その選びを経て、
いま・私が・ここに、います。
どの道を選んでも、
かけがえのない、
いまの私です。
人生は選びの連続です。
どの道を選んでも、
かけがえのないいまの私です。
人生は選びの連続です。
どの選びも、
それがまた自分のかけがいのない
大切な道に違いないのでしょう。